
更に奥へと進んでいくと、今度は『家族湯』との表示が。

入ってみると、小さな湯船と洗い場が。
地下にある、本物の洞窟風呂だ。
壁は洞窟の表面むき出しだし、湯沸かし器はすぐ裏に直付けだし、なんか、まあ、いろいろとすごい。
ということで、そろそろ種明かし。
ここは、今から30年ほど前まで営業されていた、美女の里という観光施設の廃墟だ。
営業していた当時は観光バスで団体さんも訪れるほど盛況だったという。
残念ながら営業当時の写真を見つける事が出来なかったのだが、照明に照らされた壕内は、幻想的だったのだろう。

壕内には人工の川や橋も作られており、なんと祠(ほこら)まで存在していた。

施設部分を一通り回ったので、洞窟内でもお客さん向けの施設では無いところも回ってみる。

かなり大きいサイズの坑道が続く。

しかも、かなりの広さである。

排水のためであろうか、U字溝が並んでいる。

しかしこの辺りは足場が悪い…。
もう、ぐっちゃぐちゃ。

壕内に残されていた電動の排水ポンプ。
当時も、水抜きをしながら営業をしていたということか。

いろいろと回っているのだが、ここ、美女の里のフロントというか、エントランスが見つからない。
うーん、どこなんだろ。

あちこちとうろうろしていると、脱衣場を発見。
大浴場のようだ。

思ったほど広くは無かったが、こちらも本物の洞窟風呂。
先ほどの家族湯同様、洞窟の岩肌がむき出しだ。
洗い場には崩落による土砂が散乱していた。

またまた壕内で看板を発見!!

半田地区にあったこのような施設は、『磨洞温泉』と『美女の里』の二つだったという事なので、ここを発見した時から美女の里の廃墟だと気づいていたのだが、この看板によりそれが確定した。
広さは 3,300平方メートル、坑道の延長は8キロメートルと書いてある。
思ったより狭い気もするが、60m四方に坑道が縦横12本程度あるとこのくらいの数値になるので、ま、こんなもんか。
いや、それより、磨き砂よりオゾンと酸素が放出されるって書いてある!!
そんなバカな!?
オゾンも酸素ももちろん空気中にも含まれているが、放出されているとしたら空気の成分がおかしな事になっちゃう。
空気の成分は窒素が 78%、酸素の割合は 約21%だ。
この日はカバンの中に酸素濃度計を入れていたのだが、特にアラームは鳴らなかった。
表示は見ていないが、まず間違いなく21%程度の数値のはずだ。
酸素濃度が一定以上に上がると中毒症状を起こすはずだし、オゾンの濃度だって高すぎたら死亡する事だってある。
インチキくせー…。
と、思ったのだが、よく考えると嘘は書いてないのか。
だって、磨き砂の層の内部には空気が含まれているのだろうから、たしかに酸素もオゾンも放出してる。
もちろん、その他に窒素や水素も放出している。
でも、その考え方なら、小麦粉だって砂場の砂だって、おにぎりだって酸素やオゾンを放出してるよね(´・ω・)

ということで、一通り内部を回った後、今度は周辺の調査をすることに。

壕口は発見できるものの、水没しているものばかり。

探索途中にあった、磨き砂の工場。
並んでいるのは製品としての磨き砂。
これは乾燥中なのかな。

朝から歩き続けなので、ちょっと小休止。
もう夕方くらいかと思っていたのだが、まだ 2時前だった。
早朝から活動すると一日が長い(*´д`*)

休憩地点の近くにあった三重縣表記の標柱。
なぜ、こんな三重県のど真ん中にこんな物が!?
追記
ぱぱん氏によると、明治5年まで、三重県は三重県と度会(わたらい)県に分かれていたそうです。
その境目が久居と津の間だったということで、どうやらこの標柱は、三重県と度会県の県境を表しているようです。
ということは、『度会縣』の標柱もどこかに…。

更なる洞窟を見つけるために、未調査エリアの山へと登っていく。

谷を挟んだ向こうの山が、旧磨洞温泉があった山だ。
いろいろな情報から推測すると、この谷の付近にも壕口があるはずだ。

ガサゴソしながら進んで行くと、やっぱりあったでかい壕口。

進入可能かどうか、まずはよととさんが調べに行く。
壕口からは大量のガラクタが詰め込まれており、内部の状況が良く分からない。
隙間から進んで行くと、どうやら坑道までは3~4mの高低差がありそうだ。

しかし、縦坑に近い穴ではあったが、大量のゴミが足掛かりとなり、なんとか下まで降りる事が出来た。
ただ、ゴミが崩れると脱出出来なくなりそうだし、とにかく危険な壕口だった。
次回入る際は、ロープ垂らしておいた方がいいかな。

壕口も危険だったが、内部もいきなり危険。
水没している坑道の床面に、突然深い縦坑が…。
下層に抜けているのか!?
水面に浮いている懐中電灯が嫌すぎるwww
誰かここに落ちて沈んでいるんじゃないだろーな。
水温が低すぎて、死体も浮いてこないとか…。

内部はかなり広めだし、地層も磨き砂とは違うようだ。

かなり広いようだが、泥土がかなり堆積しており奥へ進む事は困難だった。
無理に進むと足を取られて戻れなくなりそうだ。

水没も多く、調査は難航…(´・ω・)

ここは水没対策の他に、泥土対策もしないと奥へは行けなそうだ。
名残惜しいが、これ以上無理すると事故が起きそうなので、深入りせずに一旦撤収する事にする。

今回最後に発見したこの壕は、場所や規模からも、地下軍需工場だった可能性が高い。
壕口までのアクセスにも、壕口進入以降もいろいろと難があるが、次回探索までに装備を見直し、なんとか最奥まで行ってみたいと思う。
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