八ヶ岳の山体崩壊による土砂が二つの川によって浸食された、ちょっと面白い地形である。
その七里岩に、日本軍が掘削した地下壕が残されているというので、早速見に行ってみた。

yakumo氏と二人で山梨県にやってきた。
背後に見える断崖が七里岩だ。

七里岩地下壕自体は保存会により保存されているらしい。
駐車場も用意されているというので、迷いながらも駐車場らしき場所に到着。

本当にこの場所が地下壕の駐車場なのか!?
と、思ったが、崖沿いに説明版が設置されていた。
うん、この場所で間違いなさそうだ。

でも、この場所自体、生コン屋さんの構内のような気がするのだが・・・。

ま、細かいことは気にせず壕口を探しに行こう。
崖に向かって階段が設置されているので、まずはあそこを登ってみよう。

擁壁の上に降り立つと、結構な草木が。
この時期の探索は、ホント、藪との戦いだ。
しかし、それほどの苦労もなく、さらに上部へ向かう梯子を発見。
でも、このくらいの斜面ならば、梯子はいらない感じだ。
逆に障害物となって登りにくい・・・。

梯子を登って行くと、そこにはすぐ壕口が。
入り口付近は水没しているが、梯子により橋がかけられていた。
梯子の橋を渡りきると、そこには大量のヘルメットが。
これはきっと見学者のための物だろう。

内部から見た壕口。
外光が水没部に反射し、とてもきれいだ。

早速内部へと進んで行く。
この地下壕の存在自体はかなり昔から知っていたのだが、単独壕に毛が生えた程度の物件だと思い込んでいたので、何度も目の前の国道20号を通過したが、今まで一度も訪れたことは無かったのだ。
しかし、内部は思いのほか、広そうだ。

坑道の接続部に、支保工の残骸だろうか、杭が残されている。
その向こう側には何やら説明版が。

そこには二段堀の説明が掲げられていた。

少し奥まで進み、説明版の方を振り向く。
下部の掘削の途中で終戦になったのか、工事の最中に工事中止になったような雰囲気だ。

坑道の奥は、かなり拡張が進んでいるようだ。
人物比を見てもらえば分かると思うが、この坑道、かなりの広さがある。

奥へ進んで行くと、ズリだしのトロッコの軌条跡がはっきりと残っていた。

その先は再び別の坑道と接続している。
変則十字路のような形だが、水没がすごい。
これほどの水没は予想していなかったので、本日はウェーダーは持ってきていないのだ。

無理すれば長靴でもある程度は行けそうだが、正直長靴ではぎりぎりすぎる。
いつでも再訪できる場所なので、今回は行ける範囲で回ることにした。

浅瀬を探りながらゆっくりと進んで行く。

内部は、当初の予想を覆すほど広い。
内部図自体存在するのか分からないが、これは是非とも内部図を作りたい。

崩落はそれほど見受けられないが、一部、盛大に天井部分が崩落していた。
地質はごつごつした石が含まれる独特なもので、海沿いの地下壕の地質とはかなり違う感じだ。

季節によるのかもしれないが、壕床はぐちゃぐちゃしている部分も多かった。

入り口付近だけではなく、奥の方にも説明版が。
と言っても、説明版は壕口のある本坑とその枝坑に限られるようだ。

これも支保工の残骸なのかな!?
ま、もう支保としては全く機能していないけど。

その後も、壕内をぐるぐると。

このエリアには、壕口がいくつも存在するという事だが、他の壕もこんなに広いのだろうか!?

回れる範囲で壕内をぐるっとしたので、そろそろこの壕を出ることに。

壕内はひんやりと涼しかったが、壕口付近はすでに 30度近い温度になっている。

壕を出て、今度はお隣の壕を見に行ってみる事に。
斜面を下り、再び藪へと突入する。

しかし、腰より上まで浸食している草木に阻まれ、進むのが困難になってきた。

どのみち再訪するんだし、今無理に壕口を見つけなくても・・・。
と思い、今日の所は素直に撤収することに。

この壕を出た後は、崖沿いに車を走らせて、怪しそうな場所をチェックしていく。

でも、この季節に外部からの目視で壕口を発見するのは不可能か・・・!?

古道に沿って山肌を見たりしたのだが、やはり季節が悪すぎる。

ここへは、もう少し冬枯れした季節に装備を揃えて再訪することにした。

帰りがけ、旧軍の飛行場跡があるというので寄ってみる事に。

なんとその場所には南アルプス市教育委員会による説明看板が立っている。

現在は周辺の開発が進み、掩体壕の基礎が遺されているだけのようだが、説明版にある写真を見る限り、発掘調査をしているようだ。

戦時中、秘匿飛行場があったこの場所も、今は住宅街となり静寂に包まれていた。

ちなみにこの場所から 200m程度離れた所にも、同様の掩体壕基礎が遺されていた。
こちらは民有地のようで、説明板は無かったが、撤去にもお金がかかるためか、そのままの状態で放置されているようだ。

ということで、今回は山梨県への訪問だったが、思いのほか規模の大きい地下壕が遺されていることが分かったので、引き続き調査を進めていこうと思う。
じゃ、飯食って帰ろ。
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