Digital Artworks TeeART Blog.

デジタルから穴ログまで、日々の改造・探索を綴ります ((((っ´ω`)っ

[戦跡] 六浦地下軍需工場再訪  2018-05-09

横浜市港北区にある艦政本部壕 を後にし、今度は八景島近くにある、六浦地下軍需工場へとやってきた。
ここは、第二次世界大戦中に航空機の部品を作っていたとされる、地下の秘密工場だ。
2010年の訪問 以来の訪問だがはたして・・・。


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巨大なマンションの間を抜け、裏手の緑地帯へ向かって歩いて行く。




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そして、山へと分け入り、山頂を目指す。
と言うのも、この壕に入るには山頂にある抜け穴から進入し、地上階まで下らなくてはならないのだ。




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前日の雨により水を含んだ斜面をどんどんと登っていく。
足場も悪いし、斜面もきつい。
どんどんと体力を奪われる。




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息切れしながら山頂へと辿り着く。
すると、なにやらコンクリートの柱が何本も立っている。
付近には貯水槽もあり、この付近に何かしらの施設があったものと推測される。




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山頂から馬の背の尾根道を北へと進んでいく。
尾根道の北端近くに壕口があるのだ。




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前回訪問時には残っていた尾根道も、崩落により分断されている。
急峻な斜面から滑り落ちると、30m下まで真っ逆さまだ。
まあ、途中の木に引っかかるとは思うけど(´-`)




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今考えると素直に上を巻いた方が安全だとは思うが、つかむ物がたくさんあったため、それほどの危険を感じずに進むことが出来た。




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ほどなく壕口前へと無事到着。




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早速壕口から六浦地下軍需工場跡へと入っていく。
せっかく山頂まで登ってきたのに、また地上階まで一気に下る。




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斜面は途中から角度を増すが、以前より設置されているホースをつかみ、ゆっくりと下って行く。
天井が低いため、頭を天井にこする度にパラパラと乾いた土砂が落ちてくる。




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長い斜面を地上階まで下りきると、そこには広い空間が広がっている。
四角く掘削された坑道の断面や、フラットに削って均してある天井がとても美しい。




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坑道を進むと、当時工作機械を置いていたと思われる台座が。
コンクリート製の重厚な作りだ。




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当然電気も来ていたようで、当時の碍子が置かれていた。




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奥へ進む前に、この広い坑道と平行に掘られている坑道へと入ることに。




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平行する坑道は、土砂にて埋め戻されているが、上部に空間が残されているため体を低くして進むことが出来る。




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だんだんと漂ってくる薬品臭に向かっていくと、以前もあった大量のビンが現れた。




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前回訪問時より 8年の月日が流れているが、内部の液体量は変わらないようだ。
湿度が高いので蒸発しないのか、それとも全く揮発しない液体なのかは分からないが、ちょっと気味が悪い。




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ビンに触れないように気を付けながら進んで行くと、ドアを取り付けてあったのだろうか、コンクリートの枠が残されている。




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そして、坑道の奥には一筋の光が!




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長い年月により埋め戻していた土砂が沈んだのだろう。
天井付近に隙間が開いていた。
もっとも、この向こう側は民間の工場なので、ここから出入りすることは叶わないだろうが。




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当時の物だろうか。
錆び付いたドラム缶が転がっていた。




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このエリアから、最初の坑道へと戻るには、再び埋め戻しの隙間を抜けなければならない。




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天井付近を頭を低くして進み、横坑より先ほどの坑道へと戻ることに。




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そして、先ほどの機械台座があった方向とは逆の方向へと進んでいく。




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航空写真で見るとそれほど広い緑地帯には見えないのだが、実際に歩いてみると思いのほか広さがあることが分かる。




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枝坑を調べながら、どんどんと奥へと進んでいくと・・・。




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やがて、人の頭の高さくらいから始まっている階段が現れた。
ここは、登るのにもかなりの体力が必要だし、降りるときも危険を伴う。
今回は、ここへ初めて潜るすじ氏と空母氏だけが登ることに。




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すじ氏は足場を上手く利用して、簡単にひょいっと登ってしまった。




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一方空母氏は、『これは無理だ!』とか叫んでいる。
日頃の不摂生と毎日の飲酒のせいか、なかなか上手く登ることが出来ない。




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手足の場所を誘導し、なんとか登ることが出来た空母氏。




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早速奥へと進んでもらう。




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ちなみに、再訪メンバーはなぜここに登らないかというと、この坑道は階段を上りきり・・・。




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ぐるっと 180度向きを変え・・・。




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少し進んだところで掘りかけで閉塞しているのだ。




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土嚢で塞がれた箇所が右手に残されているので、当時は開口していたのだろうが、現在土嚢の向こう側はコンクリートの擁壁になっているようだ。




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当時ははしごを掛けていたのだろうか。
なぜこのような掘り方にしたのか非常に気になる・・・。




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と言うことで、一通り壕内を回ったので、そろそろ戻り始めることに。
懐中電灯を消すと完全な闇となるこの空間も、光を当てるとなんとも良い感じの空間になっている。




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山頂より抜け穴を下って這い出てきたこの穴から、再び山頂を目指し斜面を登っていく。
ほとんど四つん這いになって穴に入り込み・・・。




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ホースが切れないことを祈りつつ、山頂まで一気に斜面を登り切る。




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そして、再び馬の背のガレた尾根道を通り山頂から地上へと山肌を下って行く。




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ここ、六浦地下軍需工場は 8年ぶりの訪問であったが、前回来たときと内部にほとんど変化は無かった。
登ったり下ったりとアクセスは大変だが、また訪れてみたいと思わせる壕だと思う。


[戦跡] 横浜市の港北区にある巨大地下壕に潜って来た  2018-05-06

横浜市の港北区の住宅街に、第二次大戦中に掘られた地下壕があるというので早速潜って来た。
場所は日吉駅からほど近い、閑静な住宅地の中だ。


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ということで、早速内部へと進入する。
ちなみに、今回はひょんな事から地主さんの了解を得ることが出来たため、正規 (といっても普段は塞がれているが)の壕口から入ることが出来た。




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壕口から内部に入ると、すぐに盛大に水没していた。
以前潜った際には長靴でもギリギリ回れる程度の水没だったが、今回はひざ辺りまで水没しているようだ。
しかし、今回はウェーダーを装備しているので、かまわず進んで行く。




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振り向くと、透明だった水は壕床に沈んだ土砂を巻き上げ、どんどんと濁っている。




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真っ直ぐ進んでいくと水没も無くなっているようだったが、とりあえず左手 (北側) 方面を先に回ることに。




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ジャブジャブと水没区間を進んで行く。
この壕は艦政本部壕として旧日本軍により作られたそうだが、見事なコンクリート巻きだ。
しかし、湿度が高い。




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基本的に構造は碁盤の目となっているのだが、場所によってはこのように内径が絞られている箇所もある。
この先は埋め戻されているが、壕口となっていたのだろう。
ちなみに、進入してきた坑道も、ここと同じ構造だった。




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水深はひざ程度なのだが、土砂の堆積がすごい上、場所によっては通路の真ん中に排水溝を設けているため、気を付けて進まないと転んでしまいそうだ。




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濁って水中の状態が分からないため、注意して進んで行く。




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奥へ進んでいくと、やがて水没は無くなった。
掘削時のズリ出し用トロッコ軌条の跡だろうか。
枕木の跡がくっきりと残されている。




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横浜市の中心部に近いこともあり、壕の周りは住宅地だ。
開発によってこの壕も、当時掘削された面積の半分程度が失われているようだ。
このように、工事業者によって完全に外から塞がれている箇所が散見される。




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坑道を一つずつ回って行く。
このエリアはほとんどの壕がコンクリートで巻かれていた。
しかも、坑道と坑道の接合部が、本当にきれいに作られている。




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北側のエリアを一通り回ってきた。
奥に見えている光が漏れている壕口が、今回進入した壕口だ。
ここからは、南側エリアを回って行く。




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重厚なコンクリートで厚く巻かれているが、端の上部が大きく崩落していた。
今他の部分が崩れてこないとも限らないので、どんどん奥へと進んで行く。




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この坑道は天井部分のコンクリートが無くなっているが、実際にコンクリートが巻かれていたのは手前部分のみで、それ以外はまだ巻かれる前の状態のようだ。




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そして、その先には、下部のみ巻き立てが無くなっている坑道が。
これは、コンクリート不足を補うために代わりに使用されていた大谷石を、戦後に引き抜いていった跡だという。
強度的に不安が残るが、場所によっては柱として大谷石がそのまま残されていたりもする。




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更に奥へと進んでいくと、巻き立ては全く無くなり、素掘り状態の坑道が現れた。




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終戦によって工事は中止されたのだろうが、この場所もコンクリートを巻く予定だったのだろうか。




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自然の空洞に当たってしまったようで、天井部分が大きく無くなっている。
砂岩質の空洞表面には、化石のような物も見受けられた。




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奥へと進んでいくと、坑道の真ん中になにやらある。




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調べてみると、どうやらこれは集水枡だったようだ。
要するに、天井部分から染み出してきた水を濾過して利用する物だったらしい。
この壕には同様の集水枡が多数あったという。




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進入した壕口付近はコンクリートで巻かれており重厚な作りだったが、南側エリアはほとんど素掘りの状態だ。




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内部の掘り方などは、三浦半島に散見される日本軍が構築した地下壕に酷似している。




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住宅地に存在するため、開口部はごく僅かで、内部に光は全く届かない。
唯一、進入口と反対側の斜面に開口部があったが、かなり狭いため出入りにはかなりの覚悟が必要そうだ。




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一通り南側の最奥部まで回ったので、進入口に向けて戻り始める。




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自然の洞窟のような素掘りの坑道を進む。
奥に行く際には確認しただけで通っていない坑道もあるので、そこを選んで戻っていくのだ。




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また塞がれた壕口がある。
この向こう側は航空写真で見ると民家の裏手辺りのようだ。




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そして、ここにも自然の空洞に当たったと思われる天井の高い坑道が。
先ほど見つけたよりもかなり広い空間が頭上に広がっている。




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素掘りのエリアを延々と歩き続ける。




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ようやくコンクリートで巻かれているエリアまで戻ってきた。




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ここは水没もすごい。
コンクリートの強度が気になるが、とりあえずジャブジャブと進んで行く。




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大谷石が抜き取られた跡が、まるで鉄道トンネルの待避所のようだ。




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しかし、コンクリート表面に残されている木枠の跡が壮観だ。
これを見るためだけにでも、この壕に入る価値はあると思う ←




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ちなみにこの壕も正式に調査されているようで、分岐点や角にマーカーがあった。




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と言うことで、2時間程度の探索だったが壕内を全て回ることが出来た。
午前中の探索を終え、午後は約 8年ぶりの六浦地下軍需工場跡へ。
怪しい薬瓶はまだあるのかな??

次の記事に続きます

[戦跡] 久しぶりに比与宇地下壕に潜ってみた  2018-03-06

田浦駅近くの地下壕へ潜った 後、今度は久しぶりに比与宇地下壕へと潜ってみた。


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JR田浦駅を過ぎ、長浦にある比与宇地下壕へと向かって歩いていく。




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そして、山肌付近ををガサゴソガサゴソして・・・。




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久しぶりの比与宇地下壕へ。
ここに潜るのは、2009年に潜って 以来だ。




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内部は盛大に崩れているが、以前からこのエリアは崩落が多かったエリアだ。




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崩落を乗り越えて奥へと進んで行く。
高さは2m程度、横幅は4m程度もある大きな坑道だ。
壁際には当時の物だろうか、大きなビンが大量に積み重ねられている。




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進んで行くと、コンクリートで施工された跡が残る坑道を発見。




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その先には、扉を取り付けてあったような跡が。




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そして特徴的な掘り込みのある坑道もあった。




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そして、この壕にはかなり立派なコンクリート巻きの部屋がある。
コンクリートの質も、なかなかのもんだ。




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でも、コンクリートで巻かれているのは、この部屋の周辺のみで、他は基本的に素掘りの状態が続く。




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コンクリートで巻かれているエリアから、更に奥へと進んで行く。、




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以前入った時も湿度は高かったが、壕口がほとんど埋められた現在は更に湿度が上がっているようだ。
真っ暗な壕内を懐中電灯の明かりを頼りに進む。
すると、床一面に大きな皿が大量に散乱していた。




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皿には海軍のマークがついている。
当時の物に間違いは無さそうだ。
ホーロー製の海軍食器は、様々な地下壕で目にする。
しかし、陶器製は珍しい。
という事は、かなり位の高い者がここにいたのだろうか。




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その近くには、もう少し小さめの食器が散らばっている場所もある。




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こちらも全て陶器製の海軍食器であった。




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まだまだ奥に行けそうなので、その先もどんどんと進んで行く。




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崩落した土砂の上を乗り越えて行くと・・・。




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コンクリートブロックで塞がれた壕口が。




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ここは、隣接する比与宇トンネルの内部にある、塞がれた壕口だ。
比与宇トンネル内部にはこのような壕口がいくつもある。




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この写真は 2009年に撮影したものだが、当時はまだトンネル内に『軌道終端』の標識が遺されていた。
戦中はこのトンネルの内部まで引き込み線が引かれており、トンネル内部で列車からの荷役を行なっていたのだろう。




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本坑に戻り、更に奥へ進んで行く。
このエリアは基本的に碁盤の目状に掘削されているようだ。




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開口部分がほとんどないこの地下壕だが、ここをねぐらにしているのだろう。
ハクビシンが目の前を走り抜けていった。




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地下壕の西端に近づいた。
壕床が一段高くなっている。
2009年に潜った時の記憶だと、そろそろこの辺りに井戸があるはずだ。




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高くなった坑道を進むと、すぐにそれは現れた。
以前と変わらない、良い状態を保っており、内部には僅かながらの水を蓄えていた。




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そして、この井戸のすぐ奥にも、同様の井戸が。
こちらの井戸は先ほどの物よりも、水量が多かった。




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二つの井戸の位置関係はこんな感じ。
現在は西端の壕口は全て塞がれているが、当時はたくさんの壕口が付近に開いていた。
この付近は炊事場のような役割を持っていたのかもしれない。




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塞がれてしまった地下壕西端の壕口。




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どの壕口も、全くの隙間もなく完全に塞がれている。
この向こう側は、コンクリートの擁壁となっているので、今後、ここが開くことは無いだろう。




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ちなみに 2009年当時はこの写真のように壕口は広場に向かって大きく開口していた。
当時は入口から詰め込まれたゴミが大量に壕床を埋め尽くし、大変な事になっていたが、壕口を塞ぐ際に、全て撤去したようだ。




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今度は地下壕の南側に向かって歩いていく。




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南側のエリアは以前から水没が多い。




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この水没エリアには、当時の計算板のようなものが落ちていた。
正式名称は、『零式雷撃照準機三型計算板』と呼ぶらしいが、ネット上では情報が見つからなかった。
yakumo氏が以前ブログ内にて解説しているので、興味のある人は こちらのブログ をどーぞ。




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水没区間は長靴程度で踏破可能なので、水の中をジャブジャブと歩く。




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そして水没区間を抜け、東端へ向かう。




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きれいに掘削された坑道がまだまだ奥へと続いているようだ。




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東端の坑道は、小さな坑道が複雑に入り組んでいる構造となっていた。




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掘りかけという訳でもないのだろうが、このエリアは他の部分に比べるとやっつけ感がある。




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狭い坑道を抜けると、煉瓦造りの大きな倉庫のような壕へ出た。
5m以上はあると思われる壕の天井付近に大きな穴が開いている。
あれは、何の用途だったんだろう。




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上方の坑道へは、別の坑道を辿ると行くことが出来た。




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天井の穴側から倉庫の内部を見るとこんな感じだ。
当時は扉を設置して、物資の搬入や搬出をここから行なっていたのだろう。




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という事で、時刻はすっかり遅くなってしまったが、久しぶりの比与宇地下壕を楽しめた。
次はまた、10年後くらいに様子を見に来ようかな。

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まとめ