この記事は、
[戦跡] 函館要塞を見に行ってみた~前編 からの続きです。

戦闘指令所を後にし、遊歩道を進んでいく。

すると、千畳敷高地観測所跡に到着。
こちらは周囲も草生しており良く分からない状態だ。
でも視界が良ければかなり広範囲を見渡せそう。

今来た遊歩道を戻り、千畳敷第二砲台へと行ってみる。
砲台部分は整備されているようだが、この時期という事もあってか所々に雑草が生えていた。

こちらの砲台の掩蔽部はちょっと面白い形をしていた。

入り口上部に渡された石の上にも開口部があるのだ。

内部に関しては他の砲台の掩蔽部と同様の作りのようだ。

でも、奥の壁が塗り固められていて、なんだか違和感が・・・。

ちなみに掩蔽部奥から入り口方向を見ると、こんな感じだ。

掩蔽部を出て、他の掩蔽部を見に行ってみる。

すると、こちらも入り口の上部に開口部が。

上部開口部には木枠が残されていた。
下側の開口部に本来あったはずの扉は金属ドロに持ち去られているようだ。

もぎ取られたヒンジの痕跡が生々しい。

この掩蔽部は他の物に比べて随分と小さい。
床には大量の木片が散乱している。
内部に何か建物のようなものを作っていたのかもしれない。

奥から入り口方向を見てみる。
上部の開口部は通気口なのだろう。

こうやって見ると、石材、コンクリート、煉瓦と、多様な資材を用いて作られているのが分かる。

せっかくなので、このまま遊歩道を進んで千畳敷まで行ってみる事にした。

遊歩道を下っていくと・・・。

やがて見えてきた千畳敷。
と言っても、東屋とトイレがあるくらいだ。
曇天の平日という事もあるのか、人の気配は無い。

そのまま車道を戻り、今度は入江山観測所に行ってみる事にした。
往路では入江山観測所へ向かう道が良く分からなかったので後回しにしたのだ。

道路脇に入江山観測所方面の看板を見つけ、進んでいく。
道が塞がれているようにも見えるが、踏み後はその通行止めを避けるように続いている。

尾根道をどんどん進んでいくと・・・。

なんだかミニチュアの砲台のような物が現れた。
中央にはボルトも残されている。
後で yakumo氏に聞いてみた所、演習用の砲台という事らしい。

そして、その先へと進むと何か見えてきた。
これが入江山観測所なのだろう。
ロープで周囲を囲まれている。

どうやらこのロープの中には入るなという事らしい。

階段があったので降りてみる。

どうやら掩蔽部があるようだ。

ちょっと内部を見に行ってみよう・・・。

ぐちゃぐちゃの足元をゆっくりと進んでいく。

掩蔽部の内部は狭い空間が一つあるだけだった。

しかし天井部分の状態がかなりやばいことになっている。

ここらへんはいつ落ちてきてもおかしくなさそうだ。

天井部分全体が大きく破損しているのだ。

なるほど、だから上部に乗るなという事だったのか。
確かにこれは危険だ。

ここで横浜で仕事中の yakumo氏に連絡を取ってみる。
すると、GoogleMapに 『旧大日本帝国 海軍魚雷司令所』 とかいうものが載っているという。
ただ、地図に書かれているだけで、本当に存在するのかは分からない。
砲台の散策MAPを見ても、そのような施設は載っていない。

そこで、一度駐車場に戻り、海軍魚雷司令所を探しに行ってみることにした。

GoogleMapの位置情報を頼りに山に分け入る。

登山道か遊歩道かは分からないが、階段を延々と下っていく。
ちなみに GoogleMapに載っていたのは
これ。

これ以上下ると戻りが大変そうだ・・・。

そう思いながら進んでいくと、何やら立派なレンガ造りの建物が見えてきた。
これが魚雷指令所か!?
と思ったが、調べてみるとこれは薬師山砲台のようだ。

重厚な三連の掩蔽部。

内部はがらんとしている。

全体的に痛みが激しいようだが、周囲は整備されているように見える。

開口部の上には木片が残されていた。
これは当時の物なのか!?

荷重が一番かかっていると思われるアーチの付け根部分は酷く破壊されてしまっている。

掩蔽部横に掘割の道があったので、そちらに行ってみる事に。
こちらの通路は通行止めになっているようだ。

進んでいくと、掩蔽部がある方向から力が加わり、掘割の擁壁を押している状態が見て取れた。
掩蔽部が崩れたら、この掘割ごと埋まってしまいそうな感じだ。

その先にある砲台部分は草生している状態だ。
石造りのベンチのような物が設置されている。
この砲台が登山道の途中に存在しているので、登山者の休憩用に設置してあるのかもしれない。

隣りの砲台には木製の階段が設置されていた。

登ってみると、砲台部分を見下ろすことが出来る。

砲台の上部には奥に続く通路があった。
この先は観測所か?

進んでみると、どうやら観測所のようだったが、かなり荒れていて良く分からない状態だ。

このまま魚雷指令所を探しにもう少し下っていくことも考えたが、既にかなり下ってきているのでこれ以上下るのはやめる事にした。
本当に存在するのか気になるが、日ごろの運動不足のせいか体力的にそろそろきつい・・・。

今来た階段を登り、車を停めた所に戻っていく。

大した距離では無いのだが、高低差が大きいのでここへの探索は下から攻めて、戻りが下りの方が楽そうだ。

という事で、今回の函館山探索はこれにて終了。
残りの時間は温泉に漬かり、ゆっくりと函館観光をしてました(^^)/

フェリーふ頭にて車中泊し、明日はフェリーで青森県の大間へと。

帰り道は、青森から下道でたっぷりと運転して帰ることにします (^^)/
この記事は
函館要塞を見に行ってみた~プロローグ からの続きです。

探索道具の準備をし、早速函館山へと向かっていく。
山頂付近は濃い霧がかかっているが、大丈夫かな…。

函館山山頂へ向かう道路は、夕方以降の夜間は指定車以外は通行止めとなっているが、日中は自由に通行することが出来る。

山頂付近にある、つつじ山駐車場に到着。
この上にある展望台の下にもいろいろと遺構があるのだが、今回は一般公開されている遺構の周辺しか回っていない。

探索着に着替え、早速山に入っていく。
と言っても、基本的には高低差のほとんどない遊歩道を進むだけだ。

遊歩道は車両通行止めとなっているが、遊歩道の先にある函館山無線中継所へのアクセスのために車両が出入りしているようで、それなりの幅があるようだ。
それにしても遊歩道入り口にあるトイレが立ち入り禁止の黄色いテープで巻かれていて、まるで事件現場のようだ。

遊歩道に入るとすぐ左手に御殿山第2砲台がある。
急な階段を登り、砲台方面へ。

霧の中に浮かび上がる御殿山第2砲台。
仮想敵国ロシアから本土を護るために明治期に作られたものだ。

砲台部分などはいつでも見ることが出来るので、まずは消滅の可能性もある裏手の方を見に行ってみる。

霧に濡れた草をかき分けながら、砲台の掩蔽部の上へと進んで行く。

ぐちゃぐちゃになりながら小高い土盛りを越えると…。

突然崩れた掩蔽部が現れた。
崩れ方から見ると、戦後米軍に爆破解体されたようにも見えるが、他の要塞が無事なのでただ単に地盤の劣化で崩れたのかもしれない。

崩れた掩蔽部を覗き込んでみる。
右奥に通路のような物が見えている。

奥へ進んでみると、土砂は流入しているが十分奥に進めそうだ。

隣の掩蔽部に入ると、その奥にも通路が。

掩蔽部の後部を接続し、内部で行き来出来るようにしてあるという、良く見られる構造のようだ。

開口部方向からはすごい量の土砂が流れ込んでいる。

そして、上部にある通気口の内部にも・・・。

大量のレンガが詰まっている。
てか、この上ってどうなってるんだ!?
見た感じだと土盛りの上が草生しているように見えるだけだったが、草枯れした時期に来れば状況が分かるのかな!?

漆喰の上には昭和中期ごろのものと思われる落書きも多数残されていた。
それにしても、明治期の砲台はどこも造りがきれいだ。

掩蔽部に流れ込んでいる土砂に隙間が空いている。
あそこから外に出られそうだ。

ゴソゴソと隙間から這い出てみると、これまたいい感じの遺構が。

そして、その近くには新たな掩蔽部が!!

内部に進んでみると、先ほどまでいた掩蔽部とは接続されていない別の空間だった。

足元には大量のレンガが散らばっている。

これはどう見ても自然崩落では無さそうだ。

こちらの掩蔽部と掩蔽部の間は小さな通路があり、それぞれ小さな窓が備えられている。

この辺りの構造も、各地の砲台の掩蔽部で見られるものと同じだ。

そして、この通路。
恐ろしいことに、天井を突き破って土砂が流入している。

ここを抜けて行けばそのまま砲台方向へと行けそうだったが、強度的にいつ崩れてもおかしくない状態に見えたので、再び掩蔽部を抜けて戻ることにした。

先ほど抜けてきたところを再び戻っていく。

先ほどは気が付かなかったが、土砂の上にいい感じの標識が放置されていた。
これって道路標識なのかなあ。
裏を見なかったのが悔やまれる・・・。

この掩蔽部の上部にも大きな亀裂が入っている。

これだけ隙間が空いているといつ圧潰してもおかしくなさそうだ。

掩蔽部から這い出して、今度は砲台跡方面を見に行ってみる。

少し上に上がる階段があったので登ってみる。
現役時にこんな場所に階段があったら邪魔そうだが、おそらく後年の公園整備時に置かれた物だろう。

階段を登ると、公園のような広場になっていた。
晴れていれば良い景色が見られるのかもしれない。

砲台横にある掩蔽部のポータルは本州で見られる掩蔽部のものよりも重厚な造りに見える。

アーチ状の庇がレンガの前に張りだしている構造だ。

前面にあったはずの壁は全て無くなって、開口部が広くなっている。
中央の開口部の上に乗っていたと思われる石が天井に残されているが、大丈夫なのだろうか。

これは人為的な破壊だと思うのだが、戦後の金属ドロの仕業なのかな!?

隣にある掩蔽部も同様の状態だったので、さらに奥にある掩蔽部を見に行ってみる。

すると、奥にある掩蔽部も同様に破壊されていた。

掩蔽部前の切り立った壁の感じは、
観音崎で見た掘り込みと違い、石積みになっているようだ。

うーん、この雰囲気たまらん。

ちなみに砲台部分はボルトも撤去され、完全に公園として整備されている状態だ。
ちゃんと保存され公開される代わりに、遺構は安全な形へと変えられてしまうという事だ。

観測所方向に進んでみる。
あれ?
なぜか新旧の階段が・・・!?

方向的には新しい階段が観測所方向だと思うが、古い階段を登ってみる。

するとそこには指揮所のような狭い空間が。
草生していて良く分からないが、人為的に整備してあるようにも見える。
ちなみに、この場所と新しい階段を登った先は繋がっており、休憩所のような東屋が建っていた。

そのまま遊歩道を進み、次の遺構を見に行くことに。
戦闘指令所方向へ進んで行く。

遊歩道から逸れ山道を行くと、石積みの擁壁が現れた。

その先に見えてきたのは千畳敷第1砲台。

掩蔽部を覗き込んでみると、やはり前面部が破壊されているようだ。

もう少し近くで見ようと近づいてみる。

内部は一部屋のみの単独の掩蔽部のようだ。

それにしてもアーチ部分の作りこみが美しすぎる。

奥の方にも砲台跡があったのだが、なぜかここは未整備だ。

脇にある階段を登り、観測所を見に行ってみる。
御殿山第2砲台と違い、ここは当時のままの面影が色濃く残されていると思う。

駐車場から距離もあるし、ここまで来る人は割とガチな人しかいないと思われているのかもしれない。

安全対策のための手すりや柵などもなく、本当に良い雰囲気だ。

当時の軍道を進み、今度は戦闘指令所へと向かう。
千畳敷第2砲台もあるのだが、こちらは戦闘指令所を見た後に寄っていく事にしたのだ。

整備されているものの、夏の終わりの草木はまだまだ元気で行く手を阻んでくる。

草木をわさわさしながら進んで行くと、やがて小さなトンネルのような物が見えてきた。
あれが、戦闘指令所の入り口か!

丁寧な造りのトンネルにテンションが上がる。

そして、トンネルを抜けると部屋状の空間が広がっている。

右手に見えているのが電話室か。

電話室は半地下構造になっており、明り取りの窓から光が差している。

当時はここから各要塞に伝令を伝えていたと思うと感慨深い。

こちらが明り取り側の窓だ。

明り取りとしての機能ももちろんだが、その意匠も素晴らしい形をしている。

この階段を中心に左右に電話室が作られている。

この階段を上がってみると・・・。

両側に電話室の明り取り窓がある。

そのまま進むと現れるのが指令所。
かなり良い状態で残されている。
奥には、上から全体を眺められるように木製の階段が置かれている。

階段を上がり、上から見下ろしてみる。

良く見るアングルではあるが、実際に自分の目で見るとスケール感がすごい。

上から見下ろす掩蔽部分も、なかなか他では見られない造りだ。
今回も相変わらずスマホ写真しか撮っていないが、再訪する際は一眼レフ持ってきてマニュアルで撮ろうと思う。

その後も内部をくまなく見て回る。
漆喰の塗りこみにもこだわりが見られる。

一通り内部を見て回ったので、そろそろ次の遺構へ行く事にし、指令所を後にする。

メイン物件は全て出てしまった感もあるが、まだまだ遺構が埋もれていたので後半はそれらを紹介していこうと思う。
[戦跡] 函館要塞を見に行ってみた~後編 へと続きます。
5日間ほどお休みを貰ったので、函館の要塞を見に行ってみる事にした。
飛行機+レンタカーが一番安いようなのだが、たくさん運転したいのでハイエースで行ってみる事に。

まずはガソリンを満タンに。
当初は青森まで自走して函館にフェリーで渡るつもりだったのだが、高速代+ガソリン代+フェリー代で 4万円程度とそれなりにお金がかかる。
そして、何より時間的な制約もある。

そこで今回は新潟港から小樽へとフェリーで渡り、南下して函館へと向かう事にした。
金曜日の夜の国道17号を新潟港に向かいひた走る。

夜中に新潟港に到着し、駐車場にて車中泊する。
フェリーは土曜日のお昼に出航なので、寝る時間はたっぷりある。

翌朝、既に今から乗船するフェリー、『らべんだあ』が停泊していた。

時刻は 11:30 .
出航30分位前に乗船開始だ。
係員の指示に従い、車を走らせる。

デッキに車を停め、船内へ。

運転するのが大好きな自分なのだが、実はカーフェリーでの遠出も大好きなのだ。
昨年は青森県まで自走し、八戸から苫小牧へとフェリーで渡ったのだが、今回は5日目には横浜に戻らなくてはいけないので、帰り道のみ青森から自走することにしたのだ。

という事で、自分の部屋を探しに行く。

部屋と言っても、寝る場所のみの簡素なものだ。

しかし、自分的にはこんな感じの空間は車内みたいでとても心地よい。
これじゃ、車中泊と変わらないじゃないか!と思うかもしれないが、航行中は車に行く事は出来ないのだ。
もっとも、船内には高級ホテル並みの部屋も揃っているので、3万円程度料金を追加すれば、ゆったりと船旅を楽しむこともできる。

船は既に新潟港を出港し、日本海を北行している。
携帯電話は基本的には圏外なのだが、陸地が近いのでごくたまに微弱な電波を拾い、アンテナが立つこともある。
飛行機みたいに航路に沿って基地局のアンテナを立てたり、衛星とつないだりしてほしいが、コスト的に難しいのかな。

船はこのまま一晩中航行し、翌朝 4:30 に小樽に入港予定だ。

時間はたっぷりとあるので、とりあえずお風呂に入ることに。
料金はもちろん無料だ。

18時間の船旅は長いなあ・・・と思っていたのだが、乗船前にフェリーふ頭にて知り合った
軽トラ女子大生さん と、狩猟の話や探検の話で盛り上がり、興味深い写真を見せてもらったりしている間にあっという間に夜になってしまった。
しかしこの方、生き様がめちゃくちゃかっこ良く、いろんな意味ですごい方でした。

早朝 4時、もうすぐ小樽に入港するというアナウンスにて起床。
夜明け前の海は黒く染まっていたが、その向こうには街の灯りが見えている。

車両を停めたデッキに降り、下船の準備をする。

ランプウェイがゆっくりと下がり始める。
機能的で武骨な姿がたまらん ( *´艸`)

そして、黒板に書かれた配車表 (!?) も興味深い。

下船後は、函館方面に向けて車を走らせる。
と言っても、函館要塞の探索は明日の朝一から行う予定なので、今日は寄り道しながら函館に向かいながら、北海道ドライブを楽しむつもりだ。

国道393号から国道276号へ進み、羊蹄山近くのふきだし公園にて小休止。
湧水があふれ出す泉があったりと観光地化されている公園のようで、日曜日という事もありたくさんの人が訪れていた。

そのまま南下し、長万部方面へと海沿いの道を進んで行く。

気持ちよく走っていると、消波ブロックを作っているのが見えたのでちょっと行ってみる。

これは
三柱ブロックかな。
テトラポッドに比べると、型枠の組み合わせが複雑そうだ。

そのまま細い道を進んで行くと、静狩駅とかいう駅があったので見に行ってみる。

人の姿は全く見えないが、現役の駅のようだ。

暫くするとホーム間にある踏切がカンカンと鳴り始めた。
あれ?時刻表によると列車が来る時間はまだ先のようだけど・・・。

走ってきたのはディーゼル機関車に引かれた貨物列車だった。
ゴトゴトと音を立て列車が通り過ぎる。

列車が去ったホームは、再び静寂に包まれる。
遠くでトンビが鳴いているのが聞こえてきた。

時刻はまだお昼を過ぎたくらいだ。
このペースだと函館に日暮れ前に到着しそうだ。

ここで、1回目の給油。
走行距離は自宅がある横浜から新潟までの 420Kmと、小樽からここまでの 180Kmの 600Kmだ。

国道37号が終わり、国道5号を函館に向かい進んで行く。

なんだかすごく険しい山が見えているぞ。
調べてみると、北海道駒ケ岳という山のようだ。
標高は 1000m程度のようだが、周囲に高い山が無いせいか、とても高い山に見えていた。

途中、旧道ぽい所に寄ったりしていたら、時刻はあっという間に夕方に。

夕暮れ前の函館市内へと到着。
夕食を食べ、お風呂屋さんに行き、明日の探索に備えてのんびりすることに。
9月になっても今年の函館はまだまだ暑いが、陽が落ちればなんとか寝られる温度にはなりそうだ。

翌朝、6時起床。
天気は午後には回復するというが、朝は小雨混じりの曇天だ。
今日は月曜日なので観光客は少なそうだが、それでも人は少ないほうが好都合だ。
ということで、早速、函館山へと向かうことにする。
前振りが長くなってしまったが、次回
函館山の要塞探索 をしていく。