Digital Artworks TeeART Blog.

デジタルから穴ログまで、日々の改造・探索を綴ります ((((っ´ω`)っ

[戦跡] 大磯にある洞窟陣地を見に行ってみた  2019-12-23

大磯の洞窟砲台 を後にし、山の反対側で洞窟陣地の壕口らしきものを発見したので、今回はその内部へと潜入していくことに。


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壕口は、コンクリートにより固められているが、軍の構築した陣地にしては様子がおかしい。




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内部をのぞき込んでみると、壕口付近には水槽が作られていた。
おそらく戦後に井戸として整備していたのだろう。




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内部に進むと、すぐに右手に枝坑が伸びていたので、まずはこちらを見に行くことに。




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この枝坑は20m程度で行き止まりとなった。
塞がれているように見えるので、どこかの法面に当たっているのかもしれない。




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今来た枝坑を戻り、再び壕口付近へと戻っていく。




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壕口付近にある、井戸の構築された辺りまで戻ってきた。




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続いて、本坑と言うか、幹となる坑道を進んで行く。




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本坑を進んで行くと、 3方向への分岐が!!
こういうのはテンションが上がる。
案外複雑な内部構造をしているのかもしれない。




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まずは左手の広めの坑道へと進んでみる。
天井部分が大崩落し、壕床に土砂が堆積している。




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しかし、その土砂の上によじ登ってみると、奥にはまだ進める坑道が見えている。




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支保工だろうか、杭のようなものがいくつも見られる。




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横 1メートル、高さ 1.8メートルほどの坑道を進んで行く。




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しかし、この坑道も、この先すぐに塞がれていて行き止まりとなっていた。
進入した壕口と同じ方向に曲がって進んでいたので、法面にあった別の壕口を塞いでいるのだろう。




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先ほどの分岐まで戻り、今度は真ん中の坑道を進んでみる。




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壕床には若干の水没が。




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しかし、深さは長靴程度なので、問題なく進んで行けそうだ。




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30メートル以上進んできているが、まだまだ奥がありそうだ。




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坑道の幅が狭く、圧迫感がすごい。




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そのままどんどんと奥へと進んで行くと・・・。




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こんな奥で、また分岐が!!!
いったいどうなっているんだ、この地下壕は。




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まずはちょっと広そうな右手の坑道へと進んで行く。




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あ、行き止まりの所になにやらいる!!




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ちょっと近づいてみる。
ハクビシンだ。
おそらくここを塒としているのだろう。




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行き止まりも見えていたし、あまり刺激してもかわいそうなので、最奥部までは行かず、分岐部分まで戻る。




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そして、かなり狭そうな左手の坑道を進んで行くことに。




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どんどん奥へと進んで行く。
ちょっとありえないくらい幅が狭く、両腕が壁にズリズリと擦る。




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城ヶ島の洞窟陣地に潜った際、狭いなあとは思ったが、ここはその比では無いくらい幅が狭い。
背中側に回したウエストバッグもズリズリと擦りまくっている。
奥に全く光は見えず、風の流れも無い。




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結構な距離をそのまま進んで行くと、やがて行き止まりが見えてきた。




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やはりこの坑道も行き止まりなのか。
この狭さの坑道を何人でどうやって掘っていたのだろう。
すれ違いなど絶対に不可能なので、大勢で協力して掘り進むにしても、かなり苦労したのではないか。




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狭い坑道内で体を 180度回転させ、今来た狭い道を戻ることに。





戻る際に撮影した動画がこちら。
ズリズリ聞こえるのは両腕が壁に擦れる音。
たまにチリチリ鳴るのは、霊的な何かでは無く、ウエストバッグにぶら下げた熊避けの鈴です。
普段は音がしないようにネオジム磁石で留めてあるのですが、あまりの狭さに磁石がずれまくっていました。




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という事で、入口付近まで戻ってきた。




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しかし、先ほどの 3つに分かれている場所の右手をまだ確認していないことを思い出し、そちらを見に行くことに。
右手の坑道を進んで行くと、この写真のような分岐が 3か所ほどあった。
どの分岐も、片方はすぐに行き止まりで、もう片方は奥へと続いていた。




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結局最後はどの枝坑も行き止まりとなっていたのだが、行き止まりの手前の足元に、 高さ 90cm程度の小さな横穴が開いているのを発見。




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幅は 50cm程度だろうか。
コンクリートで枠が作られている、謎の枝坑だ。




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荷物を全ておろし、小さな穴へ体をねじ込んでいくと、なんと奥は広くなっており、まだ先へと進めるようだ。
壕床の土砂により高さがあまりないため、ほとんど四つん這いの状態で奥へと進んで行く。




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ごく短い枝坑の分岐があったものの、20m程度で崩落跡が見えてきた。
同行した すじ氏はあの上を越えて更に奥へと進んだようだが、自分の身体の硬さでは、匍匐で越えるのは厳しそうなので、これ以上は進むのを諦めた。




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潜り抜けてきたコンクリートの枠の所まで、戻ってきた。
ここ、抜けられるなかな・・・。




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頭から行くか、足から行くか、何度か試してみた後、結局足の方から体をねじ込んで脱出することにした。




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体中を泥だらけにして壕の外へ出てきた。
自分以外も泥だらけだ。
同行者の 祐実総軍三等兵氏が、歩測により内部のマッピングしていた。




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匍匐前進の先も気になるし、ここはまた潜りに来たいと思う。




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という事で、大磯付近の地下壕を探索したが、この付近には他にもまだ物件があるという事なので、いずれまた、再訪問してみたいと思う。


[戦跡] 大磯にある洞窟砲台を見に行ってみた  2019-12-20

JR大磯駅の北側にある山の斜面に、陸軍が構築した洞窟陣地があるというので、早速探しに行ってみた。


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大磯駅から山肌の住宅地に向かい、舗装された山道をどんどんと登っていく。
今回は総勢6名の大所帯での探索だ。




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地形図から目星をつけた個所に向け、山の斜面を下ってみる。
このあたりには、表面に何も書かれていない標柱がいくつか立っている。




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斜面を移動しながら壕口を探すが、なかなか見つからない。




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斜面に沿って時間をかけて探していくが、壕口らしきものは全く無い。
そこで、今度は山の反対側に回り込んでみることにした。




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かなり急な斜面を滑り落ちるように下っていくと、コンクリート巻きの立派な砲口が現れた。
ポータル部分にはかなり分厚くコンクリートが巻かれている。




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正面に立ち、内部を覗いてみる。
重厚なコンクリートの奥に、坑道が伸びているのが見える。




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少し進んでみる。
坑道入り口部分のコンクリートが抉れている。
扉が付いており、ヒンジごともぎ取ったのか、それとも鉄枠がはめ込まれていたのか。
いずれにしても、戦後の鉄泥棒の仕業だろう。




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どんどんと奥へと進んでみる。
コンクリート巻きの坑道の奥に、素掘りの坑道が見えている。




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そのまま奥へと進んでいく。
素掘り部分になっても、ある程度の高さも横幅もある。




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振り返って砲口方向を見てみる。
まるで、素掘りのトンネルのように、坑道が伸びている。




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側面に横坑が掘られているので、見に行ってみる。
狭い坑道を進んで行くと・・・。




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その奥は、小部屋のようになっているようだ。
食器が落ちていたが、これは戦後のものであろう。




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振り返り、メインの坑道へと戻ることに。




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メイン坑道を更に奥に進んで行く。
足場がだんだんと悪くなってきた。
奥に見える光は、壕口ではなく、誰かの懐中電灯の灯りかな?




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浅い水没をじゃぶじゃぶと進んで行く。




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天井が一部崩落したのだろう。
壕床に土砂が堆積している。




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土砂を乗り越え、今来た方向を振り返る。
坑道が途中から曲がっているので、もう壕口は見えない。




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奥へ向かって、進んで行く。
また崩落だ。
天井がごっそり抜け落ちている。
そのまま一番奥まで進んでみたが、最後は土砂が堆積し、それ以上進めない状態だった。




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これ以上奥も無いので、砲口に向かい戻り始める。




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この洞窟砲台には、計3つの横坑があり、部屋が設けられていた。




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砲室部分まで戻ってきた。
今秋の台風の影響なのか、木々が倒れまくっている。




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もう一度内部方向を振り返る。
誰もいない壕内は光も無く漆黒に包まれていた。




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一通り壕内を見て回ったので、ここを後にすることに。




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12月にしては暖かい日差しだ。
紅葉した木々が頭上にあふれている。




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大磯にはもう一つ地下壕があるというので、今度はそちらを探しに行くことに。
山を下り、ぞろぞろと住宅街を歩いていく。




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途中の山肌になにやら怪しい建物を発見。
かなり古いものには違いないが、軍関係なのかは分からなかった。




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更なる地下壕を探しに、適当な所から山に分け入る。




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山肌にへばりつくようにして進んで行く。
眼下には大磯駅のホームが見えている。




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周囲を探していくが、なかなか壕口が見つからない。




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移動しながら辺りを探していると、壕口が見つかったとの一報が。




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山肌にぽっかり開いたコンクリート巻きの壕口。
軍跡にしては、ちょっと違和感があるような気もするが、とりあえず内部を見てみよう。




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内部を見てみると、足元には大きな穴が。
穴の内部には水が溜まっている。
壕口付近は、戦後に井戸として改良しているようだ。
先に潜っているメンバーから、奥はかなり深そうで、分岐もあるとの連絡が!!

次回、奥へと進んで行きます!

[戦跡] 舞鶴に明治時代の砲台を見に行ってみた ~後編  2019-07-30

この記事は、前編 からの続きです。

ホテルへのチェックインを済ませ、今度は舞鶴工業高等専門学校の近くの、通称、ロシア病院がある一角に向かうことに。


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ちなみに、ロシア病院という名前で心霊スポット扱いされているが、もちろんロシアとも病院とも全く関係が無く、戦後のうわさや風説によってそのように呼ばれているだけだ。
実際には、この一帯は、海軍の第三火薬廠があった場所なのだ。




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戦後、接収されていた時期もあるが、その後は現在に至るまで放置状態が続いているので、この一帯にはたくさんの遺構が遺されている。
側道からちょっと分け入ると、当時の海軍の消火栓が鎮座していた。




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消火栓の奥へと進んでいくと、当時の建屋が残されていた。
内部にも入れそうなので、近づいてみる。




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建物の内部はがらんとしていた。
崩壊は進んでいるようだが、今すぐに倒壊してしまうという感じでもない。




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市街地からのアクセスが簡単で、車ですぐ近くまで来ることが出来るので、内部のコンクリートには落書きも見受けられる。
コンクリートの痛みは思いのほか少なそうだ。




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どんどんと進んでいくと、奥にはまだまだたくさんの建屋が残っているようだ。




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本日は荒天のため足場も悪いので、この一帯は、もう少し涼しくなってから本格的に探索に来ることにし、建屋を後にした。




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少し車を走らせて、今度は油脂倉庫があるというので見に行ってみた。
草ぼうぼうの平地を歩いていくと・・・。




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奥に、巨大な倉庫が見えてきた。
この倉庫も海軍火薬廠の施設のようだ。




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倉庫に近づいてみる。
かなり重厚な扉だ。




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こんなすごい扉が当時のまま残されているなんて!!!




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と思ったが、裏側はベニヤで出来ている!?
どうやら、この倉庫、映画、『日本の一番長い日』の撮影で使用されたらしく、その時のセットの一部がそのまま残されているようだ。




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扉から内部へと入ってみる。
内部は前室があり、その向こうに巨大な倉庫があるようだ。
山をくりぬいて建設されているようで、内部はやけにひんやりとしている。
倉庫内に光は届かず、内部は真っ暗だ。




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懐中電灯で奥を照らしてみる。
コンクリートで周囲を固められた重厚な造りだ。




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天井には、当時の物だろうか、電灯が残されている。




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前室から倉庫の側面を見に行ってみると、やはり二重構造になっているようだ。
各地にある火薬庫と同様の作りで、防湿性を高めているのだろう。




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側面の隙間は人一人分くらいの幅があり、奥へと進めそうだったので、進んでみる。
足元には排水溝も切られており、非常に丁寧な造りとなっている。




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どんどんと奥へ進んでいくと、上部へと続くはしごが見えてきた。




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実際に登ることはしなかったが、天井部分も隙間がある二重構造となっているのだろう。




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どんつきまで来た。
そのまま左手に折れ同様の隙間を進んでいく。




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見上げると、天井付近に通気用の穴が開けられている。
先ほどの倉庫内の写真の奥に映っている通気口だろう。




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倉庫裏側の隙間空間は、ちょっとじめっとしている。
光は全く届かず、懐中電灯を消すと完全な闇だ。




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再度、左手に折れ、入り口方向に向かって戻り始める。




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ぐるっと周囲を回り、再び倉庫内を照らす。
奥に人がいるのが分かるだろうか。
かなり巨大な空間である。




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一通り内部を見て回ったので、倉庫を後にすることに。




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かなり頑丈なこの倉庫、人為的に壊すことをしなければ、まだまだ後世へ残りそうだ。




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時刻はもう7時近いが、もう少し周辺を回ってみることに。




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丘陵沿いの小径を進んでいくと、短いトンネルのようなものが見えてきた。




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火薬保管庫の周囲を土塁で囲ってあり、その出入りのためのトンネルのようだ。




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トンネル脇の小川には当時の消火栓が横たわっていた。
基礎の土砂が水流によって抉れ、そのまま倒れたようだ。




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海軍マークもしっかりと残った、かなり状態の良い消火栓だ。




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トンネルを抜け、奥へと進んでいく。
今いる場所が、火薬庫があった場所だ。




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奥へ進んでいくと、先ほどと同様のトンネルが。
この外側が、火薬庫の外側となるのだろう。




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何か建物が残っていないか、辺りを探索してみる。




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すると、谷戸の奥になにやら建物を発見!!




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米軍接収時の管理番号だろうか。
大きく411と書いてある。




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内部をのぞき込んでみる。
コンクリートで建てられた建物だが、内部には当時の木枠が残されているようだ。




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湿気も高く、足場も悪かったが、それなりに気候条件が良いのか、壁の板まで残っている。




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天井には、当時の物だろう、電灯がぶら下がっていた。




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床材はすっかり腐って無くなっているが、ここは爆薬庫だったようだ。




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街灯一つない小径を、懐中電灯の明かりを頼りに戻り始める。
時刻はもう8時になるところだ。




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ホテルに戻る途中、もう一つの倉庫があるというので立ち寄ってみる。




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柵の上からのぞき込んでみると、鉄扉は開きそうで中に入れそう!!
しかし、内側にチェーンが巻いてあるようで、ここから入ることは出来なかった。




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上を見上げると、大きなボルトが付きだしていた。
クレーンか何かを設置していた跡だろうか。

こちら側からはこれ以上どうしようもなさそうなので、反対側に回ってみることに。




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降りしきる雨の中、倉庫の反対側にやってきた。




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こちら側の入り口も、チェーンによりしっかりと封鎖されている。




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隙間から中を覗いてみると、内部はがらんとしている。
天井には蛍光灯も設置されている。
もしかしたら、現役で何かに使用されているのかもしれない。




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ちなみにこの倉庫の鉄扉は、軍が使用していた当時のままの扉のようだ。

時間も時間なので、そろそろホテルに戻り、明日に備えて乾杯をすることに。




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探索二日目の朝。
明け方まで降り続いた雨は上がっているようだ。




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コンビニで、昼食を買い込み、まずは吉坂 (きっさか) 砲台へと向かう。
吉坂砲台は、京都府と福井県の境界の福井県側にあるのだが、福井県がかなりのお金をかけて発掘、整備をしたのだ。




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吉坂砲台は昨年探索し、記事にもした ので、今回は省略するが、見どころたくさんの巨大砲台跡だ。




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きれいに発掘された砲座などは、本当に、一見の価値があると思う。




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吉坂砲台を一通り探索し、最後に、前回訪れた際は時間が無く行くことが出来なかった、吉坂付属保塁砲台跡を探しに行ってみる。




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GPSを頼りに、関西電力の鉄塔管理用の踏み跡を辿っていくと・・・。




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前方に立派な石組みを発見。




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そして、その先には付属堡塁の門柱が。




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門柱を抜けると、すぐに炊事場跡を発見。
良い感じに苔生して良い雰囲気だ。




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その先には、半地下式の掩蔽部が。




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階段を下りて掩蔽部の中を見に行ってみる。




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1つめの掩蔽部はごく普通の弾薬庫。
その向こうには、井戸があった。
横須賀の千代ヶ崎砲台にあるのと同じような作りだ。




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しかし、その向こうの掩蔽部は、浄化水槽になっていた。
本堡塁にも立派な井戸が構築されていたが、ここ、吉坂砲台は、水を大切にしていたのだろう。




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このように、掩蔽部の中に作られた浄化水槽は、かなり珍しいのではないかと思う。




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浄化水槽の隣の井戸を見に行ってみる。
どうやらこの足元のコンクリートの下が、空洞となっており、水が溜まっているようだ。




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懐中電灯で井戸の中を照らし、のぞき込んでみる。




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やはり、この下には大きな空間があるようだ。




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と言っても、降りる術も無いので、今度は周囲を見に行ってみる。




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ここも、福井県による発掘が行われているようだが、砲座の周辺になにやら溝が掘られている。




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平場には、兵舎の跡だろうか、基礎が残されていた。




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時刻はお昼を回り、そろそろ帰り支度をしなくてはならない。
背丈ほどの草むらをくぐり抜け、今来た道を戻り始める。




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本堡塁にはラブホテルの廃墟の裏から登ったが、下りは神社の辺りへと下りる事にした。
良い雰囲気の竹林をのんびりと下って行くと・・・。




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国道27号沿いにある、杉森神社に辿り着いた。




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ここ、杉森神社は、以前の探訪時に紹介した、陸軍省の石柱 だけでなく、天然記念物である、オオハツキイチョウなんかもあるようだ。




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しかし、時刻は 14時を回っているので、ガソリンを入れ、早々に帰り支度を始める。
高速を飛ばしても、横浜に着くのは 21時を回ってしまうだろう。




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と言うことで、今回の舞鶴遠征は、2日間で走行 1063Km。
現地ではほとんど空母氏のハイエースに同乗していたため、高速走行ばかりでした( *¯ ꒳¯*)

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