去年解体されている状況を見に行った能登半島の列車 だが、現状、どのようになっているのか見に行ってみる事にした。

能登半島の先端を目指し、車を走らせる。

能登空港近くにある、道の駅桜峠にて車中泊。
標高はそこまで高くないのだがひんやりと涼しく、扇風機だけで十分に車中泊可能だった。

翌朝、まずは築堤に放置されている方の列車を見に行ってみると・・・。
!?

なんと、絶賛修復中ではないか!!!

だいぶ傷んできていたのだが、白く塗装している。
この色は下地で、今から本塗りをするのかもしれないが、まさか修復されるとは思っていなかったのでびっくりだ。

これは、修復が終わったころにまた見に来よう。

この列車が置かれている場所から数百メートルに位置する蛸島駅へやってきた。
今の所線路もそのまま残されている。

それほど開発が進んでいる地域では無いので、しばらくは駅舎もこのまま残されそうだ。
という事で、今度は
撤去されたもう一つの列車があった場所に行ってみる事に。

道中、真脇遺跡に寄り道する。
ここは何回来ても良い雰囲気だ。

しっかりと管理されているようで、この時期でも歩きやすく開放感も最高だ。

真脇遺跡でしばらく時間を潰した後は、列車が放置されていた藤波台運動公園へ。

公園脇の道を下り、軌条跡へ。

前回の訪問時に撤去していた線路は、その痕跡さえも消えつつある。

この場所に、以前のと鉄道の列車が置かれていたのだ。
時期的にはこの先は藪が凄いはずなのだが、その藪も伐採されているようだ。

長年放置状態だったとはいえそれなりに良い雰囲気だったこの場所だが、列車を見る事は二度と出来ないのだ。

一通り周辺を歩いたので、そろそろ横浜に戻ることに。

と言っても、休みはもう一日あるので、寄り道しながら南下して、名古屋経由で帰ろうかな。

国道160号を南下していくと、海の向こうに立山連峰が見えてきたので車を停める。

訪問したのは6月の下旬。
もう、7月になるというのに、まだ雪が残っている。

その後、道の駅氷見にある、氷見前寿司へ立ち寄る。
3000円程度で鮮度の良いお寿司がたっぷりと食べられるので、能登方面に来るときは必ず立ち寄っている。
お昼時や夕食時はとても混んでいるが、夕方だったのですぐにお店に入ることが出来た。

食事を済ませ、道の駅の隣にある温泉に漬かる。
その後は8号線を延々と南下し、敦賀にある道の駅河野にて車中泊することにした。
おやつをたっぷりと買い込んで道の駅へと向かう。

翌朝、外は曇り空のようだが、随分と気温が高い。
と言うより、朝からかなり暑いぞ。

目の前の敦賀湾を眺めながら、帰りの道程を考える。

しばらく考え、帰り道は福井市内まで戻り、大野市を経由して高山から松本へ抜ける事に。
標高の高い場所を移動するので、涼しそうだし。

夕べ走った8号線を北上する。
越前市から鯖江市を経由し、福井市内へと。

福井北ICから高速道路に乗り、ジャンクションを経て中部縦貫自動車道へと入る。

全線開通はまだまだ先なのだが、開通区間の 40Km弱を無料で走ることが出来るのだ。

道の先にトンネルが見えているが、残念ながらこの先は延伸工事の真っ最中だ。
勝原 (かどはら) インターを降り、国道 158号へ入る。

福井県大野市から岐阜県郡上市に抜けるこの道は、快適な2車線道路が続く峠道で、運転していてとても楽しい。

前方に九頭竜ダムが見えてきた。

ここまで来ると、あっという間に岐阜県だ。

混雑していそうな高山市内を迂回し、国道 158号へと。
遠くに延伸中の中部縦貫自動車道の橋脚工事現場が見えている。

そして、奈川渡ダムにてちょっと休憩を。
この先では大規模なトンネル工事が行われている。
開通はまだしばらく先だろうが、国道 158号の現道のいくつものトンネルが廃道化しそうなので、ちょっと楽しみだ。

松本を抜け、国道20号を進んでいく。
蔦木宿にて小休止。
まだ横浜までは180Kmくらいあるのだが、長距離を走っているとこの辺りまで来ると帰って来たという気分になってくる。

日曜日の夕方の割には、国道20号はかなり空いている。
というより、ほとんど車がいない。

快適に飛ばしていたのだが、相模湖近くに来ると謎の大渋滞。
渋滞情報を見てみると自然渋滞のようなのだが、中央高速も国道20号もこの先まっかっかだ。

渋滞なんかに並んでいられないので、山越えして宮ケ瀬湖方面へ。

険しい道だが、狭いだけで全線舗装されているので普通車なら問題なく抜けられる。

という事で、この週末の走行距離は 1537Kmでした。
と言っても、行きは滋賀県まで全線高速だったし、無料高速区間もたくさん走ったので、時間的には余裕の行程でした。
週末の土日を利用して、弾丸ドライブに行ってきた。
日曜日の朝に滋賀県の長浜市に行く用事があったので、行きがけに奈良県でのオフ会参加がてら、見てみたかった物件を回って来たのだ。

金曜の仕事を終え、東名高速にて三重県を目指す。
今回の週末の行程は 1500Km程度の予定だが、高速を駆使すればいろいろと寄り道できると考えたのだ。
三重県の松阪市あたりのPAにて車中泊し、勢和多気インターにて国道42号へと。

まずは給油を済ませ尾鷲方面へと向かう。

この先も高速道路が続いているが、国道42号は走りやすいし、やっぱり下道を走っていた方が楽しいのでここからは下道を進んでいく。

尾鷲からは、狭隘な国道425号を進むつもりだ。
初めて走る道だが、秘境感たっぷりと聞いているので楽しみだ。
尾鷲市街地を通らずに国道425号へと抜けられそうな道があったので、その道を進んでみることに。

地図を見ると、この道は県道760号線のようだ。
並走する銚子川はとても澄んでいる。
思わず車を停めて休憩を。

細い県道をクネクネと進んでいくと、やがて国道425号へと合流。
路盤はきれいに舗装されており、走りやすそう。

道幅は基本的には1車線分しかないのだが、離合可能なスペースがたくさんあるので運転はラクチンだ。
飛ばすことはもちろん出来ないのだが、すれ違いの為に延々とバックする必要は無さそうだ。
しばらく進むと、まるで鉄道トンネルのようなトンネルが現れた。

供用中なのに、照明の類は全くない。
これはテンションが上がる!

下北山村までは35Km。
その間、コンビニはもちろん自動販売機も無いという事だが・・・。

狭隘道路が続くが、駐車出来るスペースも随所にあるので、寄り道しながら進んでいく。

携帯電話もずっと圏外が続くこの道だが、道沿いにはこんな壮大な滝も現れる。

観光地化されていないせいか、週末の土曜日だというのに対向車もほとんどない。

やがて一つ目の目的地付近にたどり着いた。
この道の奥には、東ノ川小中学校跡があるのだ。

通行止めにはなっていないようだが、意味深なAバリアも置いてあるし、とりあえずここからは電動バイクで進んでみる事に。

電動バイクで進んでいくと、大きなつり橋が現れた。

橋は通行禁止となっていた。
既に使われなくなってかなりの時間が経っていそうだ。

強風に吹かれたせいだろうか。
グレーチングの踏み板がずれているのが見える。

対岸には何があるのだろう。

気にはなったのだが、高い所は得意じゃないし、行っても何もなく戻るだけのような気がしたので、そそくさと撤収。

再び荒れた道を進んでいく。
落石も多く、ハイエースで入って来ていたら、いちいち落石をどかさなければならなかったので、電動バイクで来たのは正解だ。

もう何年も表示を変えていないだろう道路情報の看板が。

って、電話1番ってどういうこと!?

ヘルメットの上に「?」を乗せて進んでいくと、やがて目的地である東ノ川小中学校跡に到着。
湖畔に佇んだ校舎はなかなかのインパクトだ。
ガラスは風雨で割れているのか、故意に割られているのか分からないが、見る影もなく割れまくっている。

この学校の詳細は
Wiki等でも紹介されているので詳細は割愛するが、廃校から既に50年以上が過ぎ去っている。
しかも、この校舎で学んだ生徒は5名だけという驚きの物件だ。

50年という年月を経て、教室の床にはたくさんの土砂が堆積していた。

順番に教室を回っていく。

床は汚れているが、それほど荒らされている感じも無い。
窓の外には湖面が見え隠れしている。

床には動物の足跡がたくさんあったが、幸いにも熊の足跡は無さそうだ。

と言っても、いつどこから何が出てくるか分からないので、熊鈴をチリンチリンと鳴らしながら校舎内を巡る。

階段付近にはスプレーでの落書きがいっぱいだ。
ここまで来るのはかなり大変だと思うが、わざわざスプレーを持参して痕跡を残していくとは、なかなかのエネルギーを感じてしまう。

しかも、これだけのスペースがあるのに、教室の角の上の方にスプレーでタイムスタンプを残すという、几帳面さも見て取れた。

校舎の2階にあった大きな教室。
中央部分はアコーディオンカーテンにて仕切られていたのかな。

この教室で学んでいた子供たちは、窓からの景色にどんな想いを馳せていたのだろうか。
授業もろくに聞かず、教室の窓からぼーっと外を眺めていた学生時代をふと思い出す。

もう少しゆっくりしていたい所だが、もう一か所寄りたい所があるので車へと戻る。

車に戻り、湖畔の道を進んでいくと・・・。

かなり大きいダムが出現!
いろいろと検索してみたかったのだが、この国道に入ってからはずーっと携帯は圏外のまま。
ちなみにダムの堤体の上は、林道として整備されているようだ。

国道とダムの接合部は面白い形になっている。
渇水期のせいか、水が少ないからそうみえるのかな。
まあ、
道路の線形の通りと言えばそれまでなんだけどね。

その後も国道425号をクネクネと進んでいく。
やがて、国道169号との接合部に辿り着いた。
携帯電話も、3時間ぶりに電波を受信したようだ。
この時点で時間的にはちょっと微妙だったのだが、もう一つの目的地に寄ることにした。
ここからオフ会の目的地である高野山までは3時間くらいのはず。
ちょっとだけ寄り道しちゃえ!
オフ会の目的地とは逆の熊野新宮方面へと左折し、車を走らせる。

10Km程度南下し車を停める。
この先は車両が入れないため徒歩で林道を進んでいく。
電動バイクで行くつもりだったのだが、路盤が荒れており、とても走れる状態では無かったのだ。

車を停めた場所から目的地まではおよそ 1.5Kmだ。
ガレた林道を足元に気を付けながら進んでいく。
果たしてこの先に何があるのか!?

木々の隙間に何かが見える!

そう、同業者さんはとっくに気づいていると思うが、この道は摺子発電所跡へと続く村道摺子線だ。

今は荒れ果てているこの道だが、かつては国道として供用されていたこともあるという。

木の間から摺子発電所跡が見えてからの道のりも、なかなか長い。
歩く分にはそれほどの苦労は無いのだが、見えてしまったゆえに長く感じるのかも。

進んでいくと橋が現れた。

欄干には、「
擢子谷」の文字が。
もう一つの欄干には「
擢子谷橋」の文字が。
目的地は「
摺子発電所跡」のはずだが、どういうことなんだろ。
ただの誤字なのか!?

どちらが正解なのか分からないが、橋の下にはその谷が見えている。
水かさが増えると、この谷も水中に沈むのかな。

摺子発電所跡の真横まで来た。
装備が無いと建物に行くことは出来ないのは分かっているが、斜面を下り行ける所まで行ってみる。

斜面を下っていくと、船着き場の残骸が。

そして、目の前には摺子発電所跡が見えている。
この距離ならSUPでもゴムボートでも簡単にたどり着けそうだが、あいにく本日の装備は何もない。

ま、ここにはちゃんと準備して改めて来るつもりなので、本日は素直に撤収することに。
この建物にも入ってみたいが、本当は近くにある関連施設に潜りたいのだ。

ということで、足早に車に戻る。

車に戻ると、時刻は既に16:30を回っている。
ここから高野山まではあと 130Km。
しかも、ずっと、山道なのか!?

しかし、国道169号は思いのほか快適な道路だった。
前を行くトラックでさえ、80Km/h近くで走っている。
これならそれほど遅れずに到着できそうだ。

奈良県大淀町を経由し、五條市から無料の京奈和自動車道へ。
かつらぎインターを降り、高野山へと向かう。

高野山へ向かう国道480号を走行中、あまりにきれいな夕焼けに車を停める。

刻々と表情を変える空を見ながらしばしの休憩を。

その後は探索仲間が集まるオフ会へと合流。

0時近くまでワイワイしてたんだけど、明日の朝には滋賀県に行かねばならないので、お酒は我慢('ω')

そのまま大阪府内を高速で抜け、3時位には滋賀県の長浜市に到着。
金曜の業後から 1000Kmくらい運転してるけど、高速使うと一日で探索しながらでもこんなに遊べるんだとびっくり。
ということで、今後もいろんな所に走りに行こう( *´艸`)
静岡県に建設中の三遠南信道路。
まだまだ距離は短いが、だんだんと距離を伸ばしているこの道路だが、最大の難関である青崩れのトンネルがいよいよ貫通するというので見に行ってみた。

仕事を終え、横浜から下道をひた走り、愛知県新城市にある道の駅鳳来三河三石で車中泊。

道中は雨模様だったが、道の駅に到着したときには雨は小降りになっていた。

翌日は朝から良い天気。
無料の三遠南信道から国道151号を北上し、早速青崩れ方面へと進んで行く。

国道152号へ入ると、三遠南信道の緑看板が現れた。

そのまま長野県方面に北上を続けると、やがて青崩トンネルの建設現場へとたどり着いた。
場所は
以前探索した草木トンネルのすぐ手前である。

車を停め、トンネルを見に行ってみる。

と言っても、現在工事の真っ最中なので、当然近づくことは出来ない。

掘削中の青崩トンネルを見ていた橋梁上から下を見ると、こちらにも何やらトンネルが・・・。
行ってみたかったのだが、どうやら工事関係のトンネルのようで、こちらも近づくのは難しそうだった。

一通り周囲を回って満足したので、このまま北上し長野県に抜けることに。
青崩れトンネルが開通しても、この道路は登山道にアクセスするルートとして残りそうな気もするが、交通量は激減するのだろう。
と言っても、現状の交通量もかなり少ないのだが・・・。

青崩峠の長野県側にやってきた。
青崩トンネルの長野県側坑口はここよりもう少し下った場所だが、ここは国道152号の青崩れ峠の入り口のようだ。

台数は少ないが、車両の駐車スペースが設けられている。
全面通行止めと書かれているが、徒歩での進入は問題無いのかな??

舗装道路が続いているのでちょっと先を見に行ってみた。
峠までは直線距離で 2Kmくらいなので、工事の通行止めが解除されたら行けるところまで行ってみたい。

長野県に入り、峠区間が終わり走りやすくなった国道152号を走っていると、何やらねこ校長の小学校があるという看板が。

古い木造校舎が残っているという事なので、ちょっと寄り道してみる事に。

校庭にも車を停められるようだが、校舎横にある駐車場に車を停め徒歩で校舎に向かう。

校庭から校舎を眺めてみると、木造校舎がとてもきれいに保存されている。

昇降口に近づいてみると・・・。

おおお!
これが、ねこ校長か!!
訪問者など気にもせず、寛いでいる。

それでは早速内部へと・・・。
どうやら他にも訪問者がいるようだ。

ひんやりとした校舎に入るとそこには歴史を感じさせる階段が。

校舎内には所狭しと展示物が並べられている。
自由に回れるようなので、順番に教室を見ていく事に。

一つ目の教室は常駐している管理人の部屋っぽい感じ。
事務室として使っているようで、処理中の書類などが置かれていた。

その隣の部屋にはSHARPの往年の名器(!?)、MZ-80Kが。
横には受信機が2台重ねられている。
てか、この受信機、不動だとしてもそれなりに価値がありそうなんだけど。

この独特のキー配列とキーに書かれたグラフィックが、当時を知る人には懐かしく感じると思う。

次の部屋は理科室だ。
誰もいない放課後の理科室と言った雰囲気か。

卓上に置かれた古い実験器具も良い雰囲気を醸し出している。

理科室の奥の方には縄を編む機械が。
ちょっと動かしてみたが、駆動部分は手入れされているようで、今でも十分に使用可能な感じだった。

そして今度は音楽室。
たくさんの楽器が置かれている。

ちなみに校舎内にはたくさんのオルガンが置かれている。
音楽室だけでなく、廊下にもたくさんのオルガンが並べられているのだが、これらは近隣の廃校となった学校から集めてきたものだそうだ。
校舎の解体と共に廃棄してしまうのはあまりにももったいないという事で、ここに集めたのだという。

校舎内を歩いていくと、今度は校長室が。

入り口付近には謄写版が置かれている。

そして、なぜか部屋の片隅には人体の解剖模型が。
理科室から持ってきたのかな!?

賞状なども残されており、まるで現役のような雰囲気の部屋だった。

廊下を進んで行くと、『最後の一年生』と書かれた部屋が。

どうやらこの学校の廃校が決まった際の最後の児童がいた時の状態を再現しているようだ。
引越センターのCMがここで撮影されたようで、その時の様子が紹介されていた。

校舎の端にある階段から今度は二階に上がってみることに。

古い階段だが、まだまだしっかりとしており、登る際に不安は無い。
階段を登り真っすぐは廊下となっている。

しかし、階段の横に部屋があるようなので、まずはそちらに行ってみる。

その部屋は、書庫を備えた小部屋だった。
部屋の場所的には用務員室のような所だったのかもしれない。

部屋を出て階段の方へ戻ろうかと、ふと足元を見ると・・・。

なんと、床板に穴が開いているではないか!!
しかも、床板、薄すぎる・・・。
まあ、現役施設なので問題ないとは思うが、どうしても安全性が気になってしまう。

穴から下を覗いてみると、結構な高さがあることが分かる。

という事で、床板中央の梁がある部分から恐る恐る戻った。

二階にも教室があり、こちらは賑やかだった頃の教室の状態を再現しているようだった。

林業で栄え、たくさんの人々が暮らしていた当時は、この学校にもたくさんの児童がいたのだ。

今ではすっかり静まり返ったこの廊下にも、たくさんの児童が走り回っていたのだろう。

校内には往時を偲ぶたくさんの写真も展示されていた。

2階の教室の一つは森林鉄道の展示室となっていた。
当時の貴重な写真が多数展示されている。

往時に使用されていた貴重な電話機などを見ることが出来る。

林鉄ファンにはたまらない展示も多そうだ。

ここは、入って来た昇降口からすぐの階段を上がった場所だ。
大玉転がしの大玉が置かれている。
奥にある部屋は、倉庫のようになっていた。

二階の廊下にもたくさんの写真が貼られていて、見ていて飽きない。

一通り校舎を見て回ったので、今度は体育館に行ってみる事に。

体育館の内部はひんやりした空気が。
ワークショップのようなことが行われているのか、テーブルが置かれていた。
舞台の前にアップライトの古いピアノが置かれていたので、ちょっと弾かせてもらった。
広い所で弾くピアノは音が響いて気持ちいい!

かれこれ2時間以上、校内をうろうろとしてしまったので、そろそろ帰ることに。

すると、管理人さんから声を掛けられ、事務室に招き入れてもらった。
あまりに熱心に見て回っているから声をかけたとの事。

当時の貴重なお話を聞かせていただき、当時の林鉄の地図を頂いてしまった。
しかも、コーヒーまで出して頂き、本当に感謝です。

偶然に見つけて立ち寄った木澤小学校だったが、思いのほかいろいろと楽しめた。

雰囲気もとても良かったので、また、違う季節にも訪問してみたいと思っている。
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