Digital Artworks TeeART Blog.

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[戦跡] かもめ団地 砲弾試験用着弾場跡  2009-04-27

かもめ団地の一角にある、海上自衛隊鳥ヶ崎官舎。
横須賀市浦賀に位置するこの場所には戦時中に大砲の着弾試験を行なっていた巨大掩蔽壕が残されている。


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この地図は、当時の米軍が作成したものである。
着弾試験場があった場所は、『Gun range』と記載されている。
海上からこの場所に向かい、試験射撃を行なっていたらしい。




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早速現地を訪れてみると、団地の奥に巨大な掩蔽壕が口を開けている。
日常空間にある、非日常的な景観に圧倒される。




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壕の正面から見てみると、砲弾が当たった跡がそこかしこに見られる。




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内部のコンクリートも着弾により破壊されているのか、大きくえぐられ、鉄骨が剥き出しになっていた。




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壕内は、奥が盛り上がっているが、内部には侵入していないため、詳細は分からない。




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金網と鉄条網により閉鎖されているだけなので進入は容易なのだが、団地のすぐ脇にあるし、通報される可能性もあるため、侵入は避けたほうが良いと思われる。




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奥の閉塞部も当時はコンクリートで覆われていたのだろうが、着弾により破壊されたのか、中央部分より下が剥がれ落ちていた。
上部の鉄骨も剥き出しとなっており、当時の着弾の衝撃を物語っていた。




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終戦後に破壊された壕はたくさんあるが、この壕は壊すための破壊ではなく、砲弾試験の結果の破壊だと思われるため、当時の姿がそのまま残っているのは貴重だと思う。
開発が進んだ際に撤去されてしまうのかは分からないが、是非、後世に残して欲しいと思う。




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当時ここに砲弾が撃ち込まれていたのを想像すると、現在の静けさが対照的に感じた。



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[戦跡] 観音崎砲台跡探索~2  2009-04-25

この記事は、観音崎砲台跡探索~1 からの続きです。

観音崎第三砲台を後にし、今度は三軒家砲台へと向かっていく。
三軒家砲台も明治時代に構築された砲台であるが、観音崎第三砲台が関東大震災後に除籍されてしまったのに対し、三軒家砲台は復旧工事により修復され、昭和9年まで東京湾防衛の重要拠点として機能していた。


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三軒家砲台に向かう途中に大きな公園があった。
ここにも砲台があったらしく、公園のあちこちに当時の遺構を見ることができた。
この写真に写っている掩蔽部は、下半分以上が盛り土により埋められてしまっていた。




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こちらの構築物も土に埋もれてしまっている。




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公園から坂道を下っていくと、三軒家砲台入り口の門柱があった。
以前訪れたときには門柱の脇に煉瓦の壁があったのだが、現在は危険防止のためか取り壊されてしまっており、門柱だけが残されていた。




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砲台へ向かう道の脇には壕が掘られていた。
同じ作りの壕が並んでいることから、おそらくそれぞれが単独壕だと思われる。
入り口はコンクリートで塞がれており、取り付けられた扉にも鍵が取り付けられているため、内部がどうなっているのかは分からない。




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三軒家砲台跡。
これと同様の砲台跡が4つ並んで構築されている。
当時ここには 27cmカノン砲4門が設置されていた。
また、この奥にも 12cm速射カノン砲2門が設置されていた。




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砲座間の地下には弾薬庫と思われる掩蔽部が構築されていた。




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地下入り口をのぞき込んでみると、土砂に埋もれた掩蔽部が見える。
階段があると思われる場所には、大量の腐葉土が堆積している。
入り口はしっかりとコンクリートにより固められているが、コンクリートに穴が開けられているのを発見してしまった。

中が見たい!!



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足を進めると、柔らかい腐葉土ゆえ靴がどんどん沈み込んでいく。
なんかミミズがいそうだし、幼虫もいそうだし、ふかふかして気持ち悪いけど、気持ち悪いのさえ我慢すれば命に関わることは無さそうなので、気にせずどんどん下っていく。

なんとか最下部に辿り着いた。
靴の中に泥が入り込んでいるような気がするが、まあいい。
早速コンクリートに開けられた穴から中をのぞき込んでみるが、当然真っ暗で何も見えない。
カメラをマニュアルフォーカスにセットし、穴に腕を突っ込んでフラッシュ撮影してみる。




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撮れた写真がこれ。
内部は2部屋に分かれていた。
おそらく奥が弾薬庫で、手前の部屋からは地上の砲台へ砲弾を上げる事が出来たのだろう。

この弾薬庫も観音崎第三砲台近くにあった弾薬庫と同様に、内部にはたくさんの焦げ跡があった。




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先ほど降りてきたのと反対側の腐葉土をよじ登り、地上へと戻っていく。
もう、足泥だらけだわ…。




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三軒家砲台のすぐ横に、『危険注意 近づかないで下さい』と書かれたパイロンが置いてあった。
近づかないで下さいという割りにはパイロンは1つだけで、特に道が閉鎖されているわけでもない。
ホントは近づいて欲しいんじゃないかと思われるくらい、やる気のない注意書きである。




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先へと進んでいくと明らかに人工的に造られた深い掘り割りの道が続いている。
側壁にへばりついた木の根がラピュタを彷彿とさせる。
こんな景色、どこかで見たなと思ったら、東京湾にある無人島、猿島で見た景色と酷似している。
猿島も東京湾防衛の一端を担っていた要塞島で、島全体が要塞となっているのだ。




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この通路を見学者が安全に通れるように整備したら、落石防止フェンスが設置されてしまうだろう。
そんな事になったら雰囲気が台無しになってしまうだろうから、だったら立入禁止のままでいいやと思う。
路面には崩落した石が多少あったものの、それほどの危険は感じなかったのだが、あくまで自己責任ですよ。




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掘り割りを行き止まりまで進んで行くと2つの掩蔽壕が掘られていた。
どちらも完全に塞がれており内部は全く見ることが出来なかった。




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しかし見事な掘り割りだ。


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掘り割りをぐるっとまわって三軒家砲台跡に戻ってきた。
この写真は、12cm速射カノン砲が設置されていた場所の下部にある弾薬庫。
イギリス積みで美しく積み重ねられた煉瓦だが、一部色が違っている。
この場所は見学者もたくさん来る場所なので、修復されているのかも知れない。




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入り口には当然鍵がかけられていたが、かんぬきが錆び付いているため鍵を開けても入るのは難しそうだ。




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観音崎公園内にはまむしが生息しているらしく、まむし注意の看板を見かけた。
ただ、何をどう注意すればいいんだろう。
蛇よけの鈴でもつけて進入すればいいのか?




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観音崎には他にもいくつかの砲台跡があるようだが、今回は観音崎第三砲台と三軒家砲台周辺を探索してきた。
公園として整備されてしまってはいるものの、案内板には書かれていないたくさんの遺構がまだまだたくさん残されていると思われる。

ちなみに、海岸沿いにもいろいろな遺構が残されているのだが、この写真の遺構は旧軍が構築したもので、弾薬を輸送船から荷揚げする際にロープを結びつけ係船するための物らしい。
他にも、潮の干満を調査する検潮所跡(他にも諸説あり)や、関東大震災で崩落したままの当時の灯台の残骸など、たくさんの遺構を見ることが出来る。

次回探索の際には、海沿いを廻ってみようと思っている。
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[戦跡] 観音崎砲台跡探索~1  2009-04-21

東京湾に面する観音崎には明治時代に作られたいくつもの砲台跡が残っている。
日清・日露戦争で活躍したこれらの砲台だが、大正12年の関東大震災により甚大な被害を受け、その傷跡が生々しく残っていた。



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観音崎隧道を抜けた所に、防衛施設庁の石柱を発見。
この道を上がっていくと海上自衛隊の観音崎警備所がある。
この先はもちろん民間人は立入禁止なので写真だけ撮って戻る。
防衛施設庁は2007年に防衛省と統合してしまったため、この石柱も遺構なのか!?

ちなみに、観音崎自体が、戦時中は国防の重要拠点であったため、終戦の昭和20年まで一般人の立入は禁止されていた。




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公園内に進入するが、奥の方に明らかに廃道っぽい道を発見した。
砲台跡へ向かう本来の道ではないが、とりあえず行ってみよう。




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舗装されていた道はすぐに踏み跡に変わった。
何か遺構でもないかと行けるところまで行ってみたが…。




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最後は車輪が埋まるほどの雑草に阻まれて進めなくなった。




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気を取り直して本来の道へと戻る。
見た目以上にきつい上り坂のため、自転車を押しながら登っていく。




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坂を登り切った所は見事な切り通しとなっていた。




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突き当たった道を右に折れて少し下ると、観音崎第三砲台へ向かう通路がある。




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この通路は掘削当時素堀だったのだが、後に煉瓦で補強されたらしい。




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トンネル上部に大量の煤が付着している箇所があった。
また、覆坑が剥がれ落ちているなど破損も激しい。
もしかしたら終戦時に進駐軍によって破壊されたのかも知れない。




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トンネルを抜けると左手に弾薬庫らしき物があった。
公園内ということもあり、入り口はしっかりとコンクリートで固められている。




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右手弾薬庫内部。
先ほどのトンネル内と同様に爆破されているようで、内部の破損が目立つ。
爆破の際に上がった炎が天井を焦がしたようだ。




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左手弾薬庫内部。
こちらも右側と同様に破壊されている。
左右にあるはずの窓枠の柱が無くなっていることから、こちらも爆破されたのではないかと思われる。




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元の道へ戻り進んで行くと砲台跡が見えてきた。




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砲台のすぐ脇に揚弾孔らしき遺構が残っていた。
これは砲弾を弾薬庫から地上の砲台へと運ぶエレベーターのような物である。
この下には弾薬庫があると言うことだ。
と言うことは、当時はもっと深い堀となっていて、堀の両側に弾薬庫や兵員の待機所が作られていたのかも知れない。
そう言えば、トンネルを出てからここまで上り坂となっていたが、公園整備の際に堀を埋めて通路にしたのだろう。




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早速よじ登って揚弾孔に入ってみる。




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当然だが、地下に通じているはずの底部はしっかりと埋められていた。




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砲台跡には大きな木が茂り、ここが使われなくなってからの長い年月を感じる。




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砲座周辺をを調べていると、排水管のようなものを発見。




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もしかして伝声管かとも思ったが場所もおかしいし、材質も陶器製であるためやはり配水管だろう。




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中をのぞき込むと、破損しているのが分かる。
これも関東大震災でやられたのだろうか。
どこに続いているのかは、ネズミのみ知るという事だろうか。

この砲台跡の先にも砲座があったのだが、取り壊され海の見晴台となっている。

次回、埋没弾薬庫 / 立入禁止区域 へと続きます。

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まとめ