Digital Artworks TeeART Blog.

デジタルから穴ログまで、日々の改造・探索を綴ります ((((っ´ω`)っ

[戦跡] 城ヶ島砲台跡  2010-02-26

三浦半島南端に位置する城ヶ島。
ここには大正時代に作られた砲台の痕跡が残っている。


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城ヶ島公園の駐車場中央にそれはあった。
花壇へと姿を変えてしまっているが、おそらくここに砲台が据え付けてあったのだろう。
当時は空から秘匿するために、屋根も設けられていたそうだ。

そして、この駐車場の地下には、地下施設が残されているという!




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駐車場の奥へと足を進め、薮の中へと足を進める。




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しばらく進むと、掘り割りの奥に掩蔽部の入り口が見えてきた。




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旧日本軍によって迷彩柄に塗色された掩蔽部入り口部分。
褪色している物の、当時の様子を窺い知ることが出来る。




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中をのぞき込んでみると、地下施設があることが分かる。




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早速侵入していくと、50m程度の長い通路が続いている。
おそらく先ほどの砲台跡近くまで続いているのだろう。




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また、掩蔽部入り口付近には、弾薬庫と見られる部屋が設けられていた。




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同じ作りの弾薬庫が3つ並んで作られている。




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弾薬庫の奥から、通路方面をふり返ってみる。
通路への出入り口の他に、弾薬庫どうしを結ぶ小さな通路が見えている。




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再び長い通路へと戻り、通路の奥へと進んでいく。




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通路の途中、天井部分に山中に抜けている通気口があった。
通気口は通路の途中に3つ設けられていた。




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ちなみに、これが山中に突き出た通気口上部の様子。
直径 30cm程度の小さい穴のため、転落の心配は無いと思うが、なぜかゴミ箱がかぶせられている。




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通路でふり返ってみるが、入り口部分からの光は全く入ってこない。
壕床には、どこから来たのか分からない瓦礫が敷き詰められている。
わざわざ運び込んだとは思えないが、内部にあった物とも考えられない。

謎である。




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通路の先端部分には、弾薬を砲台に上げるエレベーターが設置されていたようだ。




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エレベーターの設置部分に入ってみる。
落書きが多く、多くの訪問者がいることが伺える。




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エレベーター部分の上部を見上げると、上層部分にも穴が続いているように見える。
弾薬をあそこで降ろしていたのだろうから、部屋なり施設なりあるのは当然であるが、高さが 5~6mあるため、上部の状況を窺い知ることは出来ない。

しかし、上部がどうなっているのかが気になる!!!
そこで後日、秘密兵器(ってほどじゃ無いケド…)を持参して、上層部を撮影してみた。

次回、上層部の様子 へと続きます!!

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[戦跡] 洲崎砲台跡  2010-02-17

千葉県南端に位置する館山市。
ここには数多くの戦跡がある。
その一つ、洲崎第二砲台に行ってきた。



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この付近一帯は当時、東京湾要塞地帯になっており、東京湾周辺の防衛を目的に設置された数々の遺構がある。
ちなみにこの地帯標、本来であれば文字部分は彫り込みだけのはずなのだが、誰かが赤で塗ったらしい。
確かに文字は読みやすくなっているが、当時の遺構に手を入れてしまうのはいかがなものかと思う。




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洲崎砲台入り口の門柱跡。
当時のままの姿で残っているが、門柱自体には何も掘られてはいないようだ。




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門柱の先の住宅街をどんどんと奥へ進んでいくと、なんと掩蔽部の上に住宅が建っていた。




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裏側から見てみると、なんとも異様な光景である。




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掩蔽部内部は、コンクリートにかなりの厚みを持たせているせいでかなり狭かった。




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なんでも、この場所が住宅街であったため、戦後に爆破解体出来ずにこのような形で残っているそうだ。




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その先の山道を進んで行き、深い竹藪に分け入ると、洲崎砲台跡に辿り着いた。
堆積した葉や折れた竹により埋もれているが、コンクリートの遺構が残っていた。




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付近には掩蔽部も残っていた。




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掩蔽部内部は土砂が流入していたが、崩落によるものには見えなかった。
ただ、他から搬入しているとも思えない。
謎が残る状態である。




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掩蔽部からさらにちょっと山道を進むと、今度はトンネルが現れた。
トンネルの回りには、旧軍が塗色したと思われる迷彩柄が残っていた。
この迷彩柄は、三浦半島にある城ヶ島砲台の掩蔽部の迷彩柄と酷似していた。




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内部上方は煉瓦で巻き立てられており、通路の途中には2つの部屋が作られていた。
トンネルを抜けた先は平場となっていたが、建物の基礎跡も見受けられず、遺構は何も残っていなかった。




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山道に戻りさらに登っていくと、山道脇に井戸を発見。
内部には水が溜まっていたが、湧き出ているというわけでは無く、雨水が溜まっているだけのようだ。




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井戸の先には建物の基礎らしき遺構が残されていた。




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すぐ側に弾薬庫だと思われる掩蔽部を発見。




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高さ2m程度の内部はコンクリートにより丁寧に巻き立てられており、格子状の模様まで付けられていた。
崩落も無く、当時のままの姿できれいに残されている。




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通路を奥へと進むと、弾薬庫本体と思われる広い空間が残っていた。
天井までの高さも4m程度あり、今でも立派に使えそうである。




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弾薬庫から山道を 10分程度歩いたところに、旧軍によって作られた用水路が残っている。
山中にもかかわらず、石積により丁寧に構築されていた。




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また、用水路にはいくつもの石橋が架けられていたのだが、そのどれもが見事な意匠であり、この場所にいると、まるでタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。

開発が進んでいないおかげか、たくさんの遺構が残されている館山であるが、ここ、洲崎砲台は是非また訪れてみたいと思わせる場所であった。

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[戦跡] 館山市にある戦闘機の試射場跡  2010-02-11

千葉県館山市の大賀という所に、戦闘機の機銃試射場が残っているということで行ってきた。
ちなみに、場所的にも館山海軍航空隊の施設と思われるが、机上では資料を見つけることは出来なかった。


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館山自動車学校近くから山肌に向かって歩いていくと、突然山肌に巨大な穴がいくつも現れた。




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内部はコンクリートにより巻き建てられており、頑丈な作りとなっていた。
かもめ団地の砲弾試験用着弾場跡と同等の施設跡であると思われるが、この施設は戦闘機の機銃の弾道を調節する目的で使用されていたようである。




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おそらくこの穴に向かって戦闘機を配置し、機銃の試験や調整を行っていたのだろう。




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いくつもある巨大な穴の施設周辺は、高い石垣が築かれている。
今では長い年月を経て朽ちてきているが、当時はたいそう立派だったに違いない。




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この試射場は、道路からさほど離れてはいないのだが、まるで試射場を隠すかのように杉が植林されており、近づかないと施設があることすら分からない。




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穴と穴の間には、掃射された弾丸により出来たと思われる弾痕がたくさんあった。




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岩にめり込んだ鉄塊も見受けられたが、弾丸であろうか!?




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穴の奥には段が設けられていた。
人の大きさとの対比で、この穴の大きさが伝わるだろうか?
穴の上部に巻かれたコンクリートにも、跳弾によるものと思われる弾痕がたくさん残っていた。

今回は発掘しなかったが、穴に堆積した土砂を掘り起こせば、弾丸の残骸が見つかるかも知れない。

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まとめ