Digital Artworks TeeART Blog.

デジタルから穴ログまで、日々の改造・探索を綴ります ((((っ´ω`)っ

[戦跡] 友ヶ島砲台探索  2011-07-11

和歌山県の加太港と淡路島の間にある無人島。
ここには明治時代の砲台跡が遺されている。

地島、沖ノ島、神島、虎島の4つの島を友ヶ島と呼んでいるが今回は沖ノ島へ上陸し、砲台跡を探索してきた。
無人島とは言っても、キャンプや釣りをしに島へ来る人も多く、島内には公衆トイレも設置されている。
関西空港のレーダー設置に伴い島内には電気が引かれている。
島内に飲料用の水道は無いが、電気がひかれたおかげで、桟橋付近には飲料水の自動販売機が設置された。


110709map01.jpg
高速道路もあり、和歌山市の中心部からもそれほど離れていないので、アクセスは非常に良い。
あっという間に加太港に到着。




110709_0002.jpg
早朝 1時に加太港近くの道の駅にて車中泊をする。
風が強い夜だったので、暑さに悩まされることも無く熟睡できた。




110709_085632.jpg
始発の船に乗りに加太港へ。
バーベキューをしに行く集団を横目に、探索用の服へと着替える。




110709_091936.jpg
いざ出港!!
期待が高まる。




110709_093831.jpg
ほんの20分程度で沖ノ島に近づいてきた。
想像していたより険しそうだ。




110709map2008.jpg
ちなみに、第4砲台以外は島の南部へ集中している。
まずは第2砲台へ向かう計画だ。




110709_095712.jpg
船を降り桟橋から島内へと進む。
桟橋の前は広場になっており、奥に煉瓦の建物があったので、さっそく行ってみた。




110709_095821.jpg
それほど崩れも無かったが、全ての窓が鉄板で覆われており、中に入ることは出来なかった。

海沿いまで戻り、早速砲台へと向かう。
まずは第2砲台だ。
海沿いの道を上ったり下ったりしながら歩いて行くと、第2砲台が現れた。




110709_101436.jpg
第2砲台は崩落が激しいため、鉄条網により囲われており、(基本的には)周囲から見学するしかない。




110709_101511.jpg
終戦後、爆破解体されたというが、かなり良い状態で残っている。
しかし、右翼側はかなり激しく破壊されていた。




110709_101655.jpg
まずは上部から見ていくことにした。




110709_101800.jpg
砲座がしっかりと残っている。
終戦時まで、第2砲台には 28口径 27cmのカノン砲が4門設置されていた。




110709_101908.jpg
この砲座は海に突き出るように遺されているが、爆破の影響で場所が移動したのだろうか?
ちょっと目立ちすぎる場所にある気がするのだが。




110709_102029.jpg
煉瓦上部はツタで覆われ、なんともいい雰囲気だ。

以前は内部まで見学できていたのだろう。
掩蔽部と上部を結ぶ揚弾孔は安全のためか、左翼1つを除き塞がれていた。




110709_102148.jpg
続いて下部へと進んで行く。




110709_102159.jpg

下ってすぐの掩蔽部入り口。
ここまで海水が来ることがあるようで足場は悪く、ゴミと湿った汚泥でとても歩きにくい。




110709_102235.jpg
足下をぐちゃぐちゃにしながら進んで行く。

突き当たり右側にある掩蔽部。
唯一、揚弾孔の穴が塞がれずに遺されていた。




110709_102304.jpg
今来た通路を戻り、別の掩蔽部を確認しに行く。




110709_102324.jpg
この部屋はゴミが詰まっており入ることが出来ない。




110709_102452.jpg
次の部屋はさっきとは対照的にすっきり片付いている。
なぜかスチール製のベッドが中央に置かれていた。




110709_102521.jpg
アーチ状に架けられた橋。
この橋のおかげで、砲座部分まで簡単に行くことが出来た。




110709_102608.jpg
右翼付近は下から見てもやはり酷く損壊している。




110709_102638.jpg
場所によっては絶妙なバランスを保っている所もあり、探索は自己責任となる。




110709_102823.jpg
奥まで見て回ったので、今来た道を戻る。




110709_103023.jpg
再び上部へと上がってきた。

これは左翼側の砲座。
ボルトがきれいに残っている。




110709_103433.jpg
全景の写真を撮ろうと、奥の方まで行きうろうろしていると・・・。




110709_104340.jpg
なんと崖の中腹にトーチカのような物を発見!!
さっそくよじ登ってみる。




110709_104459.jpg
裏手は開口しており、銃眼が構築されていた。
すぐ後ろには壕が掘られていたので、早速進入する。




110709_104549.jpg
しばらく進んでふり返ってみる。
屈まないと進めない壕だ。
高さは150cm程度だろう。
崩落もあるが、元からきれいに作られていたわけでも無さそうだ。




110709_104614.jpg
穴は山の反対側へと開口していた。
ずいぶん狭いが、これは交通壕たったのだろうか。




110709_105357.jpg
続いて第1砲台へと向かう。
第1砲台には明治時代に建てられた友ヶ島燈台がある。
友ヶ島燈台は現在でも全国第二位の明るさがあるそうだ。

しかし暑い・・・。
まだ探索は始まったばかりなのに、早くも上り坂に汗が噴き出す。




110709_105611.jpg
しばらく登っていくと第1砲台へと辿り着いた。
前方にはトンネルが口を開けているが、なぜか鍵がかかっている。

ちなみに無理にトンネルを抜けなくても、右側の階段より内部へ行くことが可能だった。




110709_110013.jpg
内部には掩蔽部がいくつも構築されていたが、鉄の扉で閉ざされており、窓の部分には煙突が取り付けられていた。
一体これはなんだ!?

友ヶ島燈台の資料によると、昭和27年より自家発電で点灯と書かれているので、当時の発電機室として利用していたのかもしれない。




110709_110107.jpg
更に奥へと進んでいくと、また柵があった。
しかもまた鍵付きである。




110709_110231.jpg
柵を越えたトンネルの内部にも、掩蔽部が作られていた。
トンネルを抜け進んで行くと、草木が鬱蒼と生え、荒れ果てた壕底が現れた。




110709_110249.jpg
階段横に掩蔽部があったので入っていく。
通路は10cm程度の水没だったが、室内には水は無かった。




110709_110400.jpg
室内から通路を撮影。




110709_110405.jpg
壁には、通気口だろうか、大きな穴が開いていた。
穴からは冷たい空気が吹き出していた。




110709_110558.jpg
外に出て、右翼観測所へと登っていく。
そこには装甲掩蓋付きの観測所が!!




110709_110645.jpg
すぐにでも中に入りたかったが、まずは上部を見に行く。




110709_110747.jpg
リベット留めの天蓋にはコンクリートが巻かれていたらしく、その一部が残っていた。




110709_110818.jpg
いよいよ中へと行ってみる。
ドアは錆で固まっており動かない。




110709_110840.jpg
内部には各地の観測所跡にあるような3本の台座が遺されていた。
窓には鉄製のシャッターがスライドするように取り付けられていた。
使用しないときには窓を閉じていたのだろうか。




110709_110850.jpg
現在は木が生えており視界から海を見ることは出来ないが、眼下には紀淡水道が広がっている。




110709_110920.jpg
しかし、よくこんな状態で残っていたものだ。
今後ともこの姿を残していて欲しい。




110709_111515.jpg
名残惜しいので、再度上に上がってみる。




110709_111527.jpg
山頂に関西空港のレーダー施設が見えている。
第3砲台はレーダーのすぐ下にあるので、あそこまで歩かなくてはならない。
随分遠くに見えるが、大丈夫かな・・・。
しかも、途中で第5砲台や聴音所にも寄るので、かなりの距離になりそう。




110709map1976.jpg
ちなみに、この航空写真は1976年に撮影されたものだが、この時に既に現在のレーダー施設の位置の木々が伐採されているように見える。
レーダー施設の工事はまだ始まっていないだろうし、何かここにあったのだろうか。

休憩もそこそこに、次に聴音所へと向かった。

[戦跡] 友ヶ島砲台探索2 へと続きます。

関連記事

[戦跡] 第60震洋隊基地 - 鳥羽安楽島町  2011-07-04

三重県紀伊半島にはたくさんの戦跡がある。
中でも、震洋艇の基地は鳥羽から志摩にかけていくつも構築された。
今回はその一つである鳥羽にある震洋艇の基地へと行ってみた。


110703_092504.jpg
そろそろ寝ようかと思っていた土曜日の深夜。
雨模様の予報だったのだが、鳥羽方面は晴れるという。
ならば、と、深夜3時に鈴鹿市を出発した。
目指すは、鳥羽駅の少し先にある安楽島(あらしま)町。
ここに第60震洋隊基地があったという。
安楽島町といっても夏島町と同じく、島では無く陸続きになっており、車で乗り入れが可能だ。




110703_092507.jpg
空が白み始める頃に現地到着。
作戦はこうだ。
この赤丸の所から海岸沿いに歩いて行けば、震洋艇の基地に辿り着けるはず。

簡単なアクセスを想像しつつ、仮眠を取ることにした。




110703_092508.jpg
朝9時起床!!
超いい天気。
つーか、暑くて寝てられない。

ということで、早速行動開始だ。




110703_092515.jpg
早速海へと続く道へと進む。
どんな遺構が遺されているのかわくわくする。




110703_092547.jpg
海面が見えてきた。
海はもうすぐだ。




110703_092624.jpg
しかし・・・。

海面しか見えてないじゃん!!

こちら側から海伝いに行くことは完全に無理そうだ。
潮の満ち引きとか関係なしに、岸壁は切り立っており海沿いを行くことは困難だ。
高巻きに森を進めばとも思ったが、入って行けそうな所は見当たらなかった。




110703_092625.jpg
ならば、と、反対側から攻めることにした。
岬には神社がある。
地形図にも神社までは山道が描かれている。

それにしても、入り江にある家屋はなんだ!?




110703_095035.jpg
集落を越え岬の入り口へとやってきた。
看板には伊射波(いざわ)神社と書かれているが、加布良古神社ではないのか!?
とりあえず進んで行く。




110703_095056.jpg
車で行くかどうかしばらく迷ったが、軽トラのものらしき轍もあるしと突入!!
ハイエースだととにかく狭い。
道の両脇の落ち葉を踏みながら進入した。




110703_100511.jpg
両側のタイヤが道から落ちそうになりながらしばらく進むと分岐があった。

よかった・・・。
とりあえずここでUターンが可能だ(超狭いけど)。




110703_100556.jpg
右に折れると道は切り通しとなっていた。

ここで、車で上っていくのは完全に無理と判断。
軽トラならなんとかなりそうなのだが、ハイエースだと左右のタイヤが路肩の落ち葉の上に乗ってしまい、つるつると滑る。
つーか、左右ともミラーが当たりそうだよ。

既に無理をしているような気もするが、無理は禁物と戻ることにした。

先ほどの分岐にてハンドルを何度も切り返し、なんとか向きを変えることに成功。
車を駐め、こんどはチャリに乗り換えて進入していく。




110703_101338.jpg
山道を登ったり下ったりでへとへとになりながら進んで行く。
突然現れた簡易舗装には 2010.11 の文字が。

随分と最近に整備されたようだ。




110703_101504.jpg
案内板を発見。
神社までは一本道のようだ。
その先には展望台があるようだ。




110703_101625.jpg
しかし、道のりは長かった。
初夏と言うにはあまりに強烈な日差しが体力を奪っていく。

おまけにものすごい上り坂。
まるで階段。

なんだこれ。




110703_101801.jpg
登ったり下ったりを繰り返して進んで行くが、チャリが邪魔!!
道にはなっているが、まるきし山登りじゃん!!
登りは急すぎてチャリを上げるのが大変だし、下りも急すぎてチャリにまたがるどころじゃない。




110703_101921.jpg
これ以上無駄な体力を使うと無事に帰れなくなるかもとの不安がよぎり、ここでチャリを置いていくことにした。




110703_102343.jpg
汗だくだく、足ガクガクとなり、なんとか神社まで辿り着いた物の、海へと下る道が見当たらない。
展望台まで行ってみたが、観光で来る展望台とは全く違い、荒れた山道が続いているだけだった。

しかし神社ではなにやら祭典が催されており、そこで数人の地元の方からお話しを伺うことが出来た。
すると、たしかにこの下には基地が構築されていたらしい。
誰もこの下には降りたことがないと言っていたのが気になったが・・・。

お茶とお菓子を頂き、空になったペットボトルにまでお茶をたっぷり入れて頂き、探索再開。




110703_103212.jpg
事前調査で、戦時中、海へと下る軍道があったということは分かっていた。
このどこかに道があるはず。

目を皿のようにして森の中を見渡す。




110703_103709.jpg
あったー!!

まぎれもなく道だ。
海の方へ続いているのか!?




110703_103751.jpg
道は途中から階段のように急になった。
この写真はふり返って撮影したものだが、当時は階段が構築されていたようだ。




110703_103754.jpg
道を見失わないように注意しながら、どんどんと下って行く。
もう少しなんとかならなかったのかと思うような急坂だ。




110703_104200.jpg
道ばたに井戸のような物を発見。
用途は分からないが、かつて誰かがここで何かをしていたということにちょっと安心。
だって、道がさっぱり分からなくなってたから・・・。




110703_104230.jpg
道はなくなったが、海岸も近いのでがさごそと薮に突入。
薮を抜けるときれいな海岸へ出た。

この海岸は真珠の養殖業者が舟で来るだけらしく、閑散としていた。
彼方には朝方訪れたリゾートマンション群が見えていた。




110703_104355.jpg
岩肌に沿って進んで行く。




110703_104750.jpg
場所的にはこの辺かな。

けど、季節が悪すぎる。
この草の中に入っていくの?

まあ、草が酷いのは初めだけだろうと突入!!
入り江の奥へと進んでいくと・・・。




110703_104751.jpg
いきなり貯水槽を発見!!
このコンクリートの具合からして、太平洋戦争末期の物だろうか。




110703_104758.jpg
大きさは乗用車程度。
割合と深さがある。

配管の接続部分のような穴があることから、機械の冷却に使用していたのかも知れない。




110703_104834.jpg
すぐ隣にも小さめの貯水槽があった。




110703_110630.jpg
うわっ!なんだこれ。
こんな所に廃屋が。

そういえば地形図に家屋が描かれていたが、これのことか!!!




110703_110737.jpg
ということは、震洋艇の基地はこの場所に間違いない!
この崖にも壕口の気配が・・・。




110703_110813.jpg
辺りをくまなく調べていると、あった!壕口発見!




110703_110842.jpg
土砂でかなりが埋もれていたが、震洋艇の格納庫を発見した。




110703_111018.jpg
奥行きは 20m程度の単独壕であったが、震洋の格納庫は全国的に同様な物が多い。




110703_111145.jpg
その先にも壕口らしき物を発見。




110703_111203.jpg
しかしこちらは崩落により埋まっていた。




110703_111301.jpg
史料によると、かなり大規模な基地のようであったが、とにかく草木の繁殖がすさまじく、これ以上の探索はこの時期は無理と判断した。

というか、でっかい蛇が出て、かなりびびったんだよね。
(´・ω・`)ショボーン




110703_114047.jpg
降りるときの倍以上の時間をかけ、神社まで上がってきた。
頂いたお茶はすっかり空になっていた。




110703_114314.jpg
チャリを回収し・・・。




110703_115334.jpg
やっとの事で車まで戻ってきた。
3時間ほど山道を歩きっぱなしで、体力限界・・・。




110703_121030.jpg
鳥羽のファミリーマートで飲み物を調達。

屋根付き駐車場は珍しいな。
しかも、緑と青のコーポレートカラー。




110703_123921.jpg
神社にて、鳥羽駅の近くに震洋艇の模型があるというので観光案内所へ聞きに行ってみた。
しかし、そんな事聞いたことがないという。




110703_123925.jpg
もしかしたらここで分かるかもと言われ、赤福裏にある鳥羽市歴史文化ガイドセンターへ向かう。




110703_125725.jpg
しかし、ガイドセンターでも震洋の展示については分からないという。
その代わり、いろいろと貴重なお話しを伺うことが出来た。




110703_133719.jpg
体はへとへとだったが、車に乗ると元気が出てきたので、帰りは伊勢志摩スカイラインに乗って見ることにした。
頂上の展望台からは湾を一望できるらしい。




110703_135013.jpg
写真左奥に見えているのが答志島。
あそこにはいくつもの陣地が構築されていたらしい。
市営の連絡船で30分程度で行けるというので次回に行ってみよう。




110703_135252.jpg
海と反対側は、いくつもの山が連なっていた。




110703_135716.jpg
標高は500m程度しか無いようだが、とても気持ちの良い風が吹いていた。
設置されていた寒暖計の目盛りも、快適な温度を示していた。

しかし疲れた・・・。

関連記事

FC2Ad

まとめ