ここには明治時代の砲台跡が遺されている。
地島、沖ノ島、神島、虎島の4つの島を友ヶ島と呼んでいるが今回は沖ノ島へ上陸し、砲台跡を探索してきた。
無人島とは言っても、キャンプや釣りをしに島へ来る人も多く、島内には公衆トイレも設置されている。
関西空港のレーダー設置に伴い島内には電気が引かれている。
島内に飲料用の水道は無いが、電気がひかれたおかげで、桟橋付近には飲料水の自動販売機が設置された。

高速道路もあり、和歌山市の中心部からもそれほど離れていないので、アクセスは非常に良い。
あっという間に加太港に到着。

早朝 1時に加太港近くの道の駅にて車中泊をする。
風が強い夜だったので、暑さに悩まされることも無く熟睡できた。

始発の船に乗りに加太港へ。
バーベキューをしに行く集団を横目に、探索用の服へと着替える。

いざ出港!!
期待が高まる。

ほんの20分程度で沖ノ島に近づいてきた。
想像していたより険しそうだ。

ちなみに、第4砲台以外は島の南部へ集中している。
まずは第2砲台へ向かう計画だ。

船を降り桟橋から島内へと進む。
桟橋の前は広場になっており、奥に煉瓦の建物があったので、さっそく行ってみた。

それほど崩れも無かったが、全ての窓が鉄板で覆われており、中に入ることは出来なかった。
海沿いまで戻り、早速砲台へと向かう。
まずは第2砲台だ。
海沿いの道を上ったり下ったりしながら歩いて行くと、第2砲台が現れた。

第2砲台は崩落が激しいため、鉄条網により囲われており、(基本的には)周囲から見学するしかない。

終戦後、爆破解体されたというが、かなり良い状態で残っている。
しかし、右翼側はかなり激しく破壊されていた。

まずは上部から見ていくことにした。

砲座がしっかりと残っている。
終戦時まで、第2砲台には 28口径 27cmのカノン砲が4門設置されていた。

この砲座は海に突き出るように遺されているが、爆破の影響で場所が移動したのだろうか?
ちょっと目立ちすぎる場所にある気がするのだが。

煉瓦上部はツタで覆われ、なんともいい雰囲気だ。
以前は内部まで見学できていたのだろう。
掩蔽部と上部を結ぶ揚弾孔は安全のためか、左翼1つを除き塞がれていた。

続いて下部へと進んで行く。

下ってすぐの掩蔽部入り口。
ここまで海水が来ることがあるようで足場は悪く、ゴミと湿った汚泥でとても歩きにくい。

足下をぐちゃぐちゃにしながら進んで行く。
突き当たり右側にある掩蔽部。
唯一、揚弾孔の穴が塞がれずに遺されていた。

今来た通路を戻り、別の掩蔽部を確認しに行く。

この部屋はゴミが詰まっており入ることが出来ない。

次の部屋はさっきとは対照的にすっきり片付いている。
なぜかスチール製のベッドが中央に置かれていた。

アーチ状に架けられた橋。
この橋のおかげで、砲座部分まで簡単に行くことが出来た。

右翼付近は下から見てもやはり酷く損壊している。

場所によっては絶妙なバランスを保っている所もあり、探索は自己責任となる。

奥まで見て回ったので、今来た道を戻る。

再び上部へと上がってきた。
これは左翼側の砲座。
ボルトがきれいに残っている。

全景の写真を撮ろうと、奥の方まで行きうろうろしていると・・・。

なんと崖の中腹にトーチカのような物を発見!!
さっそくよじ登ってみる。

裏手は開口しており、銃眼が構築されていた。
すぐ後ろには壕が掘られていたので、早速進入する。

しばらく進んでふり返ってみる。
屈まないと進めない壕だ。
高さは150cm程度だろう。
崩落もあるが、元からきれいに作られていたわけでも無さそうだ。

穴は山の反対側へと開口していた。
ずいぶん狭いが、これは交通壕たったのだろうか。

続いて第1砲台へと向かう。
第1砲台には明治時代に建てられた友ヶ島燈台がある。
友ヶ島燈台は現在でも全国第二位の明るさがあるそうだ。
しかし暑い・・・。
まだ探索は始まったばかりなのに、早くも上り坂に汗が噴き出す。

しばらく登っていくと第1砲台へと辿り着いた。
前方にはトンネルが口を開けているが、なぜか鍵がかかっている。
ちなみに無理にトンネルを抜けなくても、右側の階段より内部へ行くことが可能だった。

内部には掩蔽部がいくつも構築されていたが、鉄の扉で閉ざされており、窓の部分には煙突が取り付けられていた。
一体これはなんだ!?
友ヶ島燈台の資料によると、昭和27年より自家発電で点灯と書かれているので、当時の発電機室として利用していたのかもしれない。

更に奥へと進んでいくと、また柵があった。
しかもまた鍵付きである。

柵を越えたトンネルの内部にも、掩蔽部が作られていた。
トンネルを抜け進んで行くと、草木が鬱蒼と生え、荒れ果てた壕底が現れた。

階段横に掩蔽部があったので入っていく。
通路は10cm程度の水没だったが、室内には水は無かった。

室内から通路を撮影。

壁には、通気口だろうか、大きな穴が開いていた。
穴からは冷たい空気が吹き出していた。

外に出て、右翼観測所へと登っていく。
そこには装甲掩蓋付きの観測所が!!

すぐにでも中に入りたかったが、まずは上部を見に行く。

リベット留めの天蓋にはコンクリートが巻かれていたらしく、その一部が残っていた。

いよいよ中へと行ってみる。
ドアは錆で固まっており動かない。

内部には各地の観測所跡にあるような3本の台座が遺されていた。
窓には鉄製のシャッターがスライドするように取り付けられていた。
使用しないときには窓を閉じていたのだろうか。

現在は木が生えており視界から海を見ることは出来ないが、眼下には紀淡水道が広がっている。

しかし、よくこんな状態で残っていたものだ。
今後ともこの姿を残していて欲しい。

名残惜しいので、再度上に上がってみる。

山頂に関西空港のレーダー施設が見えている。
第3砲台はレーダーのすぐ下にあるので、あそこまで歩かなくてはならない。
随分遠くに見えるが、大丈夫かな・・・。
しかも、途中で第5砲台や聴音所にも寄るので、かなりの距離になりそう。

ちなみに、この航空写真は1976年に撮影されたものだが、この時に既に現在のレーダー施設の位置の木々が伐採されているように見える。
レーダー施設の工事はまだ始まっていないだろうし、何かここにあったのだろうか。
休憩もそこそこに、次に聴音所へと向かった。
[戦跡] 友ヶ島砲台探索2 へと続きます。
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