ところで、2回目の探索の最後に、トンネルから現れた光る人物の写真を掲載したが、まあこれはなんのことはない、光の明暗が生み出した偶然である。
薄暗い掩蔽部前の通路の一部に、強烈な日差しが差し込んでいたのだ。
ファインダーを覗いていたら驚くほどに光り輝いていたもんで、つい・・・。
動画が、このへん に上がっているようです。

さて、第3砲台を堪能し、トンネルを抜けると、そこにはぼろぼろになった建屋がいくつかあった。
もちろん砲台の関連施設なのだろうが、全く管理されておらず朽ち果てるままになっていた。

近づいていくと、「危険 立ち入り禁止」と書いてある。

内部は、たしかにボロボロではあるものの、それほどの危険は感じない。

土間には、かまどが当時のままの姿で残されている。

土壁が形を崩しながらも残っていた。
幼少の頃、農家の友達の家に遊びに行くと、離れの納屋なんかでこういう光景を見た気がする。
なんだかとても懐かしい気持ちになってきた。

向かいには、もうひとつ建屋が残されていた。
こちらも盛大に崩壊が進んでいる。

屋根部分は全て腐り落ち、梁も倒壊してしまっている。
煉瓦で作られた外壁のみが残っている状態だ。

建物をあとにし、掘り割りに残された門柱を通り抜け、今来た方角をふり返って撮影。

次に向かう第4砲台へは、一旦桟橋の前の広場近くまで行かなくてはいけない。
一旦山を下りるため山道を下っていると、山肌に穴を見つけた!!
どういうわけか、かなり高い位置に壕口がある。

よじ登って中をのぞき込むと、穴は下方へと続いていた。

しかし、穴は20mも行かずに行き止まりとなっていた。
掘りかけというような感じでもなく、そこで終わりというような行き止まりだった。
ふり返ると壕口がまぶしい。

ところで俺、ここから出られるよね!?

多少苦労しながら穴から這い出て、更に山を下って行く。
山道脇には排水溝や石垣がたくさん残されていた。
当時は要塞島として立派に整備されていたのだろう。

上陸地点である桟橋前の広場まで戻ってきた。
第4砲台へ行くには、ここから 1Km程度山道を歩かなくてはならない。

この写真の奥に写っている、東端にある虎島は、引き潮の際には歩いて渡ることが出来るようだが、今回はいろいろな事情で渡るのを断念した。
まあ、歩きすぎで体力的にもうダメだったのが主な理由なのだが・・・(*´д`*)
ちなみに虎島には虎島堡塁や謎の建造物が残されているようだ。

虎島までは行かないものの、第4砲台までの道もなかなか険しい。
階段状の山道を登っていくと、たちまち汗だくになってきた。

この日の気温は余裕の 35℃。
日陰に入っても、全く涼しくない。

道自体の雰囲気はとても良い。
傾斜さえなければ最高なのだが・・・。

しばらく行くと、第4砲台を示す立て看板が現れた。
やった!あと 100mだ、がんばれ!!

登っていくと、なにやらけっこうな高さがある石積みの構築物が見えてきた。
どうやらこの向こう側が砲座となっているようだ。

門柱が残されていたので行ってみる。

門柱の先には、とても案内板の先にあるとは思えない建屋が残っていた。
先ほどの建屋と同様に朽ち果てている。

表情もちょっと悲しげに見える。

ここも立ち入り禁止となっていたので、基本的にはは外から見るだけだ。

屋根は落ち、内部も荒れ放題だ。

ここも、外壁のみが残っている状態である。

すぐ横に通路が有り、下って行くといくつかの掩蔽部が残されていた。
場所的に弾薬庫では無いと思うので、兵員の棲息部だったのかも。

ところで、門柱から崩れた建屋に行く途中に、虎ロープで囲われている部分を見つけていた。
特に立ち入り禁止とは書いていないが、明らかに入って欲しく無さそうな雰囲気である。

ということで早速突入だ。

階段を下りると、奥へと通路が伸びている。

通路の脇には弾薬庫があった。
部屋と部屋の間には、幅60cm程度の空間が作られており、不測の爆発から隣室を守っているようだ。

部屋自体は、まあ普通か。

突き当たりの階段を上がっていく。
ちなみに、ここが先ほどの石垣の裏側なのだろう。

階段を上り右に折れると、揚弾孔が塞がれずに残っていた。
蓋付きの揚弾孔から見えているのは、先ほどの弾薬庫だろう。
そういえば先ほどの弾薬庫の写真の天井部分に、揚弾孔が写っているな。

通路を奥まで進むと、そこには石垣で囲まれた砲座が残されていた。
反対側にも同様の砲座が残っていたが、こちらは盛大に水没していた。
これで、友ヶ島の砲台群は一通り回ったことになる。
暑さでまいった今回の探索だった。

掩蔽部を通り抜け、山道へと戻る。
随分高いところまで登っていたようで、木々の向こうには紀伊半島が見えていた。

桟橋前の広場まで戻り、付近を探索していると、陸軍省の標柱が建っていた。
標柱の表には、「由良要塞第一地帯標」と記されていた。

バーベキューを楽しんだらしき団体と共に船待ちをし、友ヶ島を後にした。
暑いし歩くし大変だったのだが、ここには冬にもう一度訪れてみたい。
どの場所にも言えることだが、2回目や3回目の訪問時に新たな発見をすることが多々あるからだ。
薮も枯れ、虫も少なくなり、なにより無人島気分を満喫出来そうだ。
再訪しました
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