終戦直前の昭和19年から掘削が始められたが、完成を待たずに終戦となり、実際に航空機の部品が作られる事は無かったという。
総延長は 8Kmということで、なかなかの規模である。

地下工場はこの丘陵に掘削されている。
ところで丘陵を貫く 1本の道がある。
この図だと分かりにくいが、もちろんこれはトンネルである。
地下工場の一部をトンネルとして再利用していたらしいのだが、現在は通行止めとなっているらしい。
では早速現地へと行ってみよう。

見えてきた丘陵は、周囲を平地に囲まれた、高さ 40~50m程度のものだった。

車を駐め、早速山肌を探索していくと、いきなり壕口発見。
しかし、先ほどまで降っていた大雨で草はびしょ濡れ。
防水装備はしていないので、ここはパス。

次に見つけた壕口には、枯れ木が大量に詰め込まれていた。
頑張れば乗り越えられそうだったが、事前調査で全ての壕口は内部で繋がっていると分かっていたため、無理してここから入る事も無い。
だからここもパス。

続いて発見された壕口には障害物が何も無かった。
入り口をのぞき込むと・・・。

多少のぬかるみはあるものの難なく進入出来そうだ。
早速ここから内部へ入ることにした。

しばらく進んで行くと十字路に出た。
昔の乳母車が置いてあり、なんだか不気味だ。
奥で赤ちゃんの泣き声が聞こえたらどうしよう・・・。
単独で潜っていると、突然そんな恐怖感が沸いてくる事がある。
しかしそんな事は 1秒で忘れて、どんどん奥へと進んでいく。

幅、高さとも 3m程度もある坑道が碁盤の目状に掘削されているようだ。
構造は神奈川県の夏島地下壕の2層目部分と良く似ていると感じた。

塞がれている壕口もあるようだ。

工場として掘削されているためか、坑道内の幅が広げられている箇所が多く見られた。
機械を設置するためだろうか。

この場所もかなり広く掘削されている。
基本的な作りは夏島2層目と似ているかなと思っていたが、坑道単体だと随分違うかな。

しかし深い・・・。
随分と進んでいるが、まだまだ奥へと坑道は伸びている。
懐中電灯の光が届かない所まで穴は続いていた。
うーん、久しぶりの大規模地下壕だし、単独潜入だし、ワクワクが止まらん!!!

本坑と本坑を結ぶ小規模な横穴が随所に掘られている。
小規模と言っても、壕の高さは 180cm近くあり、屈まなくても通り抜け可能だ。

内部には棲息部が設けられていた。

奥へ行くほど湿度が上がってきた。
懐中電灯に照らされた霧状の水分がものすごい。
照らした先になにか置いてある。
きのこ栽培かなと思ったが、大量の屋根瓦のような物であった。

壕内には工場の完成を待たずに、実際に工作機械が運び込まれたと言う。
この付近の壕床はコンクリートで固められており、機械の設置をしたとすればこの辺りでないかと推測する。

遥か先に光が見えてきた。
丘陵の向こう側だ。

しかし出た場所はなんだか山の中だ。
たしかに地形図を見ると丘陵には谷が走っている。
葉っぱはびしょびしょだし、ここからはどこへも行けそうも無いので、再び壕内へと戻る。

昨日までの雨のせいか、それともこの付近は常にそうなのか分からないが、湿度が更に上がってきた。
温度自体は 10℃程度なのだろうが、湿度が高すぎて全然快適じゃ無い。
むしろ、汗が蒸発しない(出来ない)ため、なんだかちょっと不快である。
不快と言えば、この壕ではなぜか生き物を見ていない。
季節的なものかも知れないが、コウモリもカマドウマもゲジも何もいない。
普段壕内で目にするとキモチワルイと思う奴らだが、いないとちょっと不安になる。
だって、壕内に生命が維持できない何かがあるかもと思っちゃうじゃん・・・。

そんな事を思いながら進んで行くと、機械の台座のような物を発見。
周囲の広さもかなりある。
天井までの高さは 5mくらいかな。
根拠は何も無いが、発電機が設置されていたような気がする。

台座にはいくつかの穴が掘られていた。
ここに支柱を立て、機械を浮かしていたのだろうか。
(写真左下の光は、ビデオ撮影用のLEDライトです)

初めは碁盤の目状に掘削されていると思われたこの壕であるが、丘陵の北側付近は随分と様子が変わってきた。
小規模な坑道が増えてきた。

天井には木材が残っていたが、当時の物かは分からない。

支保工?と思ったこの杭も、どうやら戦後の物みたいだ。
痕跡は見受けられなかったが、この付近は、戦後、キノコ栽培に利用されていたのかもしれない。

更に東方向へと進んでいくと、崩落がだいぶ激しくなってきた。
かなり大きなガレが転がっている。
こんなの落ちてきたらひとたまりもないな・・・。

しかし深い・・・。
全部の坑道を歩こうと思っていたが、距離がありすぎだし話し相手もいないしで、ちょっと飽きてきた。
碁盤の目の所や連絡坑みたいのはちょっとはしょりながら、入ってきた壕口へと大回りして戻っていく。

進入した壕口の何本か隣の壕口に、気配を感じたので行ってみた。

どうやらこの先には民家が建っているようだ。
きっと住人が、夏に天然のクーラーとして利用しているのだろう。
電気が引かれ、ごろ寝出来る簡易ベッドが置かれていた。
さすがにここから出て行くわけには行かないので、進入した壕口まで戻った。

内部を歩いていてたくさんの壕口が開いていたので外から見て回ることにした。
この壕口は盛大に水没している。

道路のすぐ脇にぽっかりと口を開ける壕口。

道路脇の公園にも穴が開いていた。

この付近の子供達にとっては、公園にあるこの穴は恐怖の穴なのか!?
それともわくわくする探検の穴なのか!?

そのまま道を歩いていると、不自然な平場と盛り土を見つけた。

しかし周辺には何も見当たらなかった。
事後調査で知ったのだが、この丘陵周辺には掘削時の土砂がたくさん積まれており、丘陵の周り一帯にこのような
盛り土で出来た丘がたくさんあるそうだ。

なかなかの規模で楽しめた可児地下軍需工場だが、内部からは冒頭で紹介した通行止めのトンネルが確認できなかった。
国土地理院の地形図からは消されているが、Google Mapにはしっかりと道が残っている。
ハイエースのナビでは、トンネル名まで表示されている。
これは壕口を確認しないわけにはいかない!!

可児市の三菱発動機地下工場跡を後にし、地形図片手に次に廃トンネルを見つけに行く事にした。
後半へ続く・・・。
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