
本日の一番のお目当てである、尾鷲隧道にやってきた。

先ほどまでの坑門と意匠はそっくりだ。
なんだか要石が輝いている。
早速内部へと進入。

入ってすぐの側面に、銘板がはめ込まれている。
銘板には、
起工 明治四拾四年拾月
竣工 大正五年四月
と掘られていた。
なんとこの隧道を掘るのに、5年近くの歳月がかかっている。

内部は大きな崩落も無く、安定した状態を保っているようだ。
素掘りではあるが、美しいアーチを描き構築されている。

側面には電線を引いていたような金具が取り付けられている。

中央付近には上部からかなりの湧水が有った。
その部分には鉄板が巻かれていたようだが、湧水を避けるためのものだったのだろうか。

路盤も安定しており、自転車を漕げるほどだ。

南口坑口付近には、他の隧道にあったものと同じ彫り込みがあった。

尾鷲隧道を出ると、荒れた路盤が現れた。
かつてここは国道であり、路線バスも走っていたという。
この道が人々の生活を支えていたと考えると、なんだかせつなくなってくる。

南側の坑門も北側同様にとても立派な作りだ。
トンネル内で車両が離合する事は難しいのだろう。
離合待ちをするためのスペースなのか、坑門前にちょっとしたスペースが設けられていた。

路側には『海山町』(みやまちょう)の表示板が立っている。
現在は市町村合併により紀北町となってしまったが、表示板は今でもこの場所が海山町である事を主張しているようだ。

木漏れ日に照らされた扁額には、見事な篆書体で『道隧鷲尾』と刻まれている。

少し進むと、たちまち足下が沼地へと化した。
路盤にかぶった土に、坑口付近からの湧水が染み込んでいるのだ。
それほど深くはないものの、歩を進めるのに難儀する。
自転車を置き、先に進む。
橋が架かっているらしく、立派な親柱が見えている。
親柱の銘板には『牛谷橋』と書かれていた。

足下をぐちゃぐちゃにしながら橋の上を進んで行くと、なんと路盤がすっぽりと抜け落ちていた。
ぎりぎりまで行き、谷を見下ろすと、はるか下方に落ちた橋の残骸が見える。
谷は思っていた以上に深い。
落ちたら即死しそうだ。

橋を谷から見上げたい。
なんとか谷へと降りようと思い周囲を探索すると、尾鷲隧道のすぐ横から、谷に向けて水路が構築されているのを見つけた。
ぐるっと大回りすれば、なんとか谷まで無事に降りられそうだ。
水路に沿って斜面を下って行く。

荒れた斜面を木につかまりながら、注意して下って行く。

60m程度は下ったろうか。
ついに谷の底に辿り着いた。
ここが「牛の谷」なのか!?
探索時には水は全く無かったが、時期によっては沢となっているようだ。
ちなみに、写真に写っているのは、石臼の一部だ。
どこからか流されてきたのか、それとも昔の不法投棄なのか(*´ω`*)

見上げると、木々の向こうに橋が見えている。
ごつごつとした岩場によじ登りながら、橋の近くまで進む。

橋は完全に分断されていた。
先ほどまであの上に立っていたと思うと、ちょっと怖いな。
橋脚から橋桁がちょっとずれたら、こちら側も落橋しちゃいそうだ。

落ちた原因は分からないが、写真右手上部にあったであろう橋台ごと崩れ落ちている。
中央に建てられた橋脚のおかげで、かろうじてトンネル側の橋桁が残されている。
瓦礫によじ登り、橋の真下まで行ってみる。

かつて橋上の路盤であった場所に登ってきた。
欄干の一部が残っている。

車道として供用されていたためか、コンクリートの上はアスファルトで舗装されていたようだ。

崩れ落ちた橋台周辺の法面を固めていたのだろうか。
橋桁の下にはコンクリートで固められた石組みが多数見られた。

かつて人々の往来を見守り、橋が落ちる瞬間までもを目撃していたであろうガードレールが、巨大な瓦礫に押しつぶされていた。

多分気のせいだとは思うが、橋脚が心なしか歪んでいるように見える。

橋脚の足下部分は大きくひび割れている。
経年劣化による物なのか、落橋による衝撃によるものかは分からないが、強度は確実に低下しているのだろう。

今すぐにこの橋が更なる崩落を起こす事は無いと信じたいが、危険な事には変わりない。
名残惜しいが、瓦礫を乗り越え谷底まで戻る。

降りてきたルートを逆に辿り、なんとか上まで戻ってきた。
この時期なのでそれほど薮は深くないが、時期を誤るとかなり苦労しそうだ。
自転車の所まで戻ると、足下には電電公社のマンホールがあった。

電話回線等のライフラインは、旧道であるこの橋を通っていたらしいので、落橋したときは、電話が止まってしまったのではないか!?
たしかに橋を見上げたとき、いくつものパイプが橋桁の下に設置されていたな。

予定では橋の向こう側も探索する予定だったのだが、自転車ごと向こう側へと谷越えするのは難しい事が分かった。
自転車ごと谷に降りたとしても、降りた斜面ですら自転車と共に登るは難しそうだ。
反対側は崖が切り立っており、とてもじゃないけど無理そうである。
時間の都合もあり、本日の探索はここで終了。
今度来るときは、反対側の旧道を辿り、この場所に来て、対岸より橋の姿を見てみたいと思う。

次に訪れるときには、現在建設中の高速道路も開通しているかも知れない。
高規格道路が整備され、移動はどんどんと楽になるが、役目を終え、人知れず山に埋もれている道を歩くのもいいもんだ。
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