1944年後半になると戦局は悪化し、津海軍工廠は空襲を避けるために半田青谷地区の磨き砂掘削地を接収し、地下工場を建設した。
磨き砂と言うのは今で言うクレンザーみたいなもので、この地区で採取される砂は、汚れが良く落ちると評判だったようだ。

早速壕口を探して山の周囲を回る。
しかしそれらしい穴は全く見つからない。
対向車が来たらどちらかが田んぼに落ちるしかないような道を進んでいく。

車から自転車へと乗り換え、探索を続ける。
地形的に絶対この辺りに違いないのだが、薮が深すぎて岩壁に近づけない。
登ったり下ったりをしばらく繰り返していると…。

なんか穴の予感が…。
ガサゴソガサゴソ…。

キターー(゚∀゚)ーーッ!!
岩肌に大きな穴がぽっかりと口を開けている。
1時間近く探して、ようやく壕口発見!!
場所的には青谷の地下工場かな!?

中をのぞき込むと、奥へと坑道が伸びている。
地下工場跡か磨き砂の採掘場跡か分からんが、とりあえず進入。

内部は崩落も無く非常にきれいな状態…。
と言いたいところだが、壕床が泥土でどろどろ。

ぐちゃぐちゃの壕床を、一人で進んで行く。
こりゃ歩きにくいわ…。

しかも、内部の構造が複雑すぎる。
まるで迷路のように坑道が伸びている。
暗闇では、自分がどちらの方角を向いているかを常に意識しているのだが、だんだんと分からなくなってきた。
こりゃ、磨き砂の採掘場か!?

いろいろな地下壕に見られるのと同じようなコンクリート製の水桶が捨てられていた。
しかしこの辺りはゴミが多い。

壕床は乾いてきたが、大きな砂利がたくさん転がっている。
これは崩落による物ではなさそうだ。

このように土砂によって埋め戻しされた場所から水と一緒に壕内へと流されてきたものだろう。

おっ!壕床がコンクリートで固められてる!!
やっぱりここは地下工場跡か!?

それにしても壕口はことごとく埋め戻しされている。
迷ったら出られないじゃんか!!

奥へ進むと、棲息部が掘削されていたり、コンクリートで固められていたり。
やっぱりここは地下軍需工場跡だな。

ちなみに、本日は壕床がぬかるんでいるくらいで済んでいるが、岩についた水面の跡を見ると、雨の多い時期には腰くらいの高さまで水が溜まっているようだ。
これはこの先、開口部が低い位置に全く無いってことか。

階段発見。
コンクリートで丁寧に作ってある。
工場っぽくなってきた。

排水溝も設けられているし、けっこうちゃんと作ってある。
この地区には津海軍工廠の他、住友プロペラや三菱航空機なんかの疎開工場もあったというので、そのどれかであろう。

しかし、完全に迷子になった。
どちらが出口かも分からん。
懐中電灯を消すと完全な闇だ。
まあ、懐中電灯は予備もあるし、水とカロリーメイトもたくさん持って入ってるから何とかなるだろう。
ちなみに携帯は完全に圏外になっていた。

またまたコンクリート製の通路を発見。

壕床にリボンテープが這っている。
調査が入ったか、物好きが潜ったか。
いずれにしてもこのテープの先には壕口があるのだろう。

と思ったが、テープは泥土に埋もれてしまった。
たまたまあの場所だけ顔を出していたようだ。
しかしその先に、開口部を発見。
この写真じゃ分かりにくいが、垂直に切り立っていて出る事は不可能だった。

コンクリートにより塞がれている唯一の壕口。
コンパネの一部が残されていたが、相当古い物のようだ。
工場稼働時に、何らかの理由により塞がれた物かも知れない。

崩落しているという話も聞いていたが、この壕、ほんときれいだ。。
よほど安定した地盤なのか、それともこの汚泥の下に崩落した破片が沈んでいるのか。

そんなこんなで、なんとか進入した壕口へと戻ってきた。

ところで、壕内で奇妙な物を見つけていた。
それがこの写真。
はだし!?
おいおいおいおい。
誰だよ!!!つーか、原始人じゃないよね!?

壕内にはゲジやカマドウマが全くいなくて、ちょっと不安だったんだけど、ちゃんといた、コウモリ。
よかった。
酸素もたっぷりあるってことだ。

一通りの探索を終え、瓦礫をよじ登って壕口へ。

自転車が待ちくたびれて拗ねている。

ところで壕口の脇に積んであった竹。
ここはかつてこの竹によって格子が作られ、塞がれていたんだろう。

そして、付近には新しい竹が。
近い将来、確実にまた塞がれるに違いない。
まあ、入りたい人は簡単に入れるだろうけど。

埋め戻しされている壕口を探そうと付近を探索してみるが、薮がひどく見つからない。

なんとなく凹んだ岩肌に向かって、薮を進むと…。

やっぱりあった、壕口。
頑張れば入れそうだが、場所的にさっきまで潜っていた地下壕だと思うので、ここは入らず。

しかし、なんなんだ、この薮は!!!!
この時期でこれじゃあ、夏に来たらどうなってんだここ。

薮を大きく迂回して、薮の向こう側の岩肌へとやってきた。
しかし、ここは重機による掘削をしているだけのようで、壕口は全く見つけられなかった。
きっと壕口は、薮の中に埋もれているのだろう。

付近には電線を切られた古い電信柱が立っていた。
この地区にはまだまだたくさんの壕があるはずだ。
次の壕を探しに隣の丘陵へと自転車を走らせる。
[戦跡] 半田青谷地区の地下軍需工場~その2 -ダメダメ編 へと続きます。
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