
半田の地下壕は後回しとし、とりあえず香良洲町にある三重海軍航空隊跡地を見に行った。
当時正門が建っていた場所には、今でも当時のままの煉瓦が残されていた。
その正門の門柱はと言うと…。

先ほどの正門跡よりクルマで 3分程の場所にある歴史資料館の門として移築されていた。

歴史資料館の敷地内には、不自然に石柱が展示(?)されている。
てか、なんで文字に色塗ってあるのよ!?

ちなみに、ここ歴史資料館は、別名若桜会館とも言うようだ。
しかし、どういう訳か、資料館は閉まっている…。

今日は日曜日だから、開いているはずなのでは!?!?
しかし駐車場にある看板によると、館長の定める日も休館となるらしい。
きっと今日は定めの日に違いない…。

館内へ入る事は出来ないが、敷地内には色々な物が展示されていた。
この点鐘台は鈴鹿海軍航空隊で使われていた物のようだ。

また、敷地の至る所に海軍の消火栓が置いてある。

移築した正門の裏にも…。

屋外展示スペースにも…。

屋外展示スペースにはいくつかの展示があるが、かなり風化が進んでいた。

横須賀近辺ででよく見る止水栓が置いてあった。
これって掘り返すとこんなカタチしてたんだ。

震洋のエンジンらしいが、ちょっと朽ち果てすぎでは…。

連合艦隊の凱旋記念の錨!?

ホースのジョイントが残っている消火栓は珍しい!!

三重海軍航空隊隊歌の碑。

敷地の一角には、祖国のために命を落とした者を祀る碑が建っていた。

他にも数々の石碑が建てられている。
囲っている柵はまるで海軍柱のようだ。

と思ったら、すぐそばに本物が。

一通り資料館を見て回ったが、館内に入れないので、今度は三重海軍航空隊の跡地を見に行った。

先ほどの正門跡のすぐ近く。
道路にしては不自然に広い。
右側に広がる広大な敷地には当時は数々の建物があったという。

建物の基礎の一部が今でも残っていた。
手元の資料によると、第11講堂の基礎だと思われる。

ちなみにこの土地、現在売り地となっている。
1億1600万円で先着順なので、欲しい人は急いだ方がいいかも。

ということで、再び半田地下壕があると思われる場所へと戻ってきた。
情報によると、半田地下壕の一部を利用して、料理屋を営んでいる施設があるらしい。
絶対ここに間違いない…。

だってほら、『地底の楽園』!!!

中に入ってうろうろしてみると、なんだこれは!!
入り口に近づくと、どうやら宴会中のようで、奥からゲラゲラとおばちゃん達の笑い声が響いてくる。
ちょっと入れる雰囲気じゃ無いな…。
でも、ここが数ある半田地下壕の壕口の一つである事は間違いないな。

洞窟風呂の看板を見つけたので、すかさず入浴を申し込む。
フロントにて 700円を支払い、いざ、風呂場へ!!

しかし、洞窟風呂は家族やカップルの貸し切り風呂のようだ。
貸し切れば、風呂場の奥へと続く地下壕へと進入出来る!?
いや、まさか、塞いであるか…。
だけど、さすがに一人で貸し切りは出来ないよなぁ。
でも、探索に来て男どうしで貸し切ったら怪しいよなあ、いろんな意味で。
ということで、とりあえず風呂につかって気持ちよくなったところで本日の探索は終了。

ちなみに、この図のどの部分がこの施設の一部として使われているのかだが、図の右上のマークが北を指しているとすると、図の左下あたりだと思うのだが…。
いずれにしても、この周辺をくまなく探索すれば、必ず壕口は見つかると思うので、近々中に再調査予定!!
必ず続く…はず。
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