
壕口に向け、早速薮をガサゴソする。

たしかに壕口は真新しい柵によって塞がれていた。

廃車が朽ちている壕の入り口も、柵を設置するための杭が打ち込まれていた。
(2012年4月18日現在、既に柵により塞がれている事を確認)

山肌に大きな口を開けていた巨大な壕口も柵が設置されている。

設置されている扉は、当然しっかりと施錠されていた。

ということで、約2年ぶりに貝山地下壕の第2工区へと潜ってみよう…。

と言っても、内部の状態は以前と変わらないかな。

しかし、最近は狭い所ばっかり潜っているせいか、貝山地下壕はとても広く感じる。
というか、実際に天井も高くとても広い。

朽ちた自動車も健在だ。

廃車のある壕の天井部分にあるクレーンの滑車(と言うか、フックかな)もちゃんと残っていた。

残っている事自体が非常に珍しい、重厚な鉄扉も原型を留めている。

そして、いつもなら水没していてウェーダーが無いと進入出来ない区域の水が、どういう訳かほとんど引いていた。

奥の水没区間は今回も水に浸かっていたが、以前より水位はかなり低い。
と言っても、最奥部まで進むにはウェーダーが必要かな。

丁寧に掘削された階段。
これを見るためだけでも、ここに潜る価値はあると思う。
この階段以外にも階段はあるのだが、こちらの階段は瓦礫も少なくとてもきれいだ。

今まで気がつかなかったのだが、壕床でこんな物を見つけた。
角一ゴム株式会社と書いてある。
しかも、日時まで!?
なんだろうこれは。
角一ゴム株式会社自体は現在でも健在のようだ。
いくつか分社して、今のクラレプラスチックとなっている。
(角一ゴム株式会社もあり、沿革を見る限り元は同じ会社)
ちなみに、戦後から左書きになったと思っている人もいるが、明治期より理系の横書きは左書きだ。
戦前から軍の銘板などは左書きだし、技術書なんかも当然左書きである。

ということで、久しぶりに貝山地下壕に潜ってきた。

壕から出て、急斜面を登り公園内へと戻る。
つーか、急斜面すぎてかなり苦労した('A`)

公園の入り口には今まで無かった看板が設置されていた。
貝山地下壕についての説明板だ。
読んでみると、『ここには6箇所以上の複数の地下壕が確認されている』と書いてある。
おそらく6箇所というのは第1工区、第2工区、第3工区、そして上部の3つの壕の事であろう。
そして、それ以外にもここ貝山にはいくつかの地下壕がある。
位置の詳細を明かす事は出来ないが、かなりの広さがあり内部構造も特徴的なので、次回に紹介していきたいと思う。
看板全文 (クリックで拡大) ↓↓

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