戦局も悪化していた昭和19年、ここ、浅川地下壕は大本営の移転先候補として計画されていたが、結局中島飛行機の地下軍需工場として掘削開始。
翌年の昭和20年には、実際に工作機械が運び込まれ、戦闘機のエンジンが製作されたという。

浅川地下壕はイ壕、ロ壕、ハ壕と、3つの壕が存在するが、今回はイ壕に潜って来た。
かなりの広さがある壕なので、前編・中編・後編と3回に分けてレポートをしていく。

google mapの航空写真にイ壕の壕内図を重ね合わせるとこんな感じ。

早速現地へとやってきた。
この山の中にイ壕が構築されている。

写真で見るとたいしたことは無いが、かなりの薮を抜け、沢伝いに斜面を登っていく。
そこから山中に分け入り、しばらく歩いて行くと、壕口がある。
外気温は34℃。
あまりの暑さに、足がふらふらしてくる。

壕口入り口でウェーダーに履き替え、早々に壕口より壕内に滑り込む。
内部はかなり涼しい。
壕床も平らで、非常にきれいだ。

壁面に、ダイナマイトを差し込む穴(?)がたくさん開いている。
しかし穴の間隔からして、ちょっとおかしい。
説明用だろうか!?

壕床がコンクリートで固められている。

この場所とは確定できないが、浅川地下軍需工場の稼働時の写真。
酷い湿気により生産ははかどらなかったという。

壕内には、このように金網が放置されている箇所が多く見受けられた。

他のたくさんの壕と同様に、この壕も戦後キノコ栽培が行われていたようで、その時の設備がたくさん残されている。
特にこのあたりはかなり整備されており、電気だけで無く水道まで引かれていたようだ。

壕内には貯水槽もあったが、これも工場稼働時の物では無く、キノコ栽培に使用されていたものであろう。

なぜか壕内に一方通行の看板が。
その方向へ進んでいくと…。

なんだここは!?
まあ、キノコ栽培の関連施設跡だとは思うが、気味が悪い。

奥まで進むとしっかりと柵があり、抜ける事は出来なかった。

別の坑道を進んで行くと、今度は水没壕が。

ふり返ると透明だった水が濁っていて不気味だ。

ジャブジャブと進んで行くと柵が設けられている。

扉が付いた別の柵も出現。
この壕は柵が多い。

ガレてきた坑道を進んで行くと温度が上がってきた。

奥に光が見えている。
埋め戻しの土砂が沈んで上部に隙間が開いているようだ。

メインの坑道はかなりきれいだったのだが、端の方にある坑道はガレていたり水没したりしている箇所が多い。

次回、 浅川地下壕~中編 、更に奥へと進んでいきます。
だんだんと壕内が大変な事になっていきます。
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