普段一緒に潜っているメンバーとの合同調査という事で、三重県の他、岐阜や愛知の遺構を回って来た。
土日で1200Kmも運転できたんで、大満足!!

金曜の夜横浜を出発し、三重県関にある公園に深夜に着き、とりあえず仮眠する。
今回は人数もいたので車中泊+テント泊だ。

実はこの公園には鈴鹿海軍工廠関防空工場跡があるのだ。

ここは単独壕が横坑で接続されているだけの単純構造なので、さらっと見て回る。

ここはどう見ても行き止まりに見えるのだが、実は上部に隙間がある。

隙間をくぐり抜けると、崩落した上部に巨大な空間が。
で、またその先に進む事が出来る。
この壕に興味のある方は、以前に上げた、鈴鹿海軍工廠関防空工場探索記事をどうぞ…。

で、今回の目的地、半田の地下壕へと移動する。
関からは高速道路で30分もかからずに到着。

この穴に潜るのはもう6度目だが、あまりの広さに全貌はまだ分からない。

今回初めて複数人での潜入となったが、単独で無くても迷ってしまいそうなくらい複雑な作りだ。

高い位置にある大きな抜け穴。
これは外に通じていた。

おっ、きれいな階段が。

この付近は、床がやけにきれいだ。
排水設備も作られている。

それにしても複雑な作りだ。
他の探索者が残したリボンテープが床を這っている。
先日潜ったときには無かった物なので、誰かが潜りに来たのだろう。
自分らは普段から、全くの勘を頼りに潜っているが、今回はこのリボンが目印になり助けられた。

すると突然壕内に謎の壁が出現。
ブロックでバリケードが張られている。
キノコ栽培にしては上部が空きすぎているし一体何だろう。

ブロックの向こう側へ行くと、今度は橋が!!
なんで、こんな地下に橋が…。
橋の下には池が作られている。

壕床には砂利が敷き詰められ、中央部分にはコンクリートにより歩道が作られている。
一体何だろうこれは。
とにかく道の先へと進んでいく。

なるほど、このバリケードは、道から逸れる事が出来ないようにしてあるのか。
こちら側が塗り固めてあるという事は、実用性だけで無く美観も気にしているという事だ。
なんのための施設か、ますます気になってくる。

壕内に、地下通路発見!!
というか、既にここが地下通路であるので、地下通路 in 地下通路。
なんだこれ。

と思ったら、今度はトンネルが出現。
おかしいだろ絶対wwww

トンネル内は、隙間無くセントルが巻かれていた。

トンネルを抜けるとそこにはコンクリートで固められた通路が現れた。
まるで、ダムの管理用通路だ。
てか、ここ、入ってきていいのか!?

近代的なコンクリートの通路を進んで行くと、扉が見えてきた。
外界の光が眩しく差し込んでいる。
はたして何があるのか!?

扉の向こうには半地下の空間があるだけだった。
しかし、すぐにピンと来た。
と言うよりも、ちょっとぞっとした。

振り向くと、まるで隠しているかのように扉が草木に埋もれている。

隙間から上を見上げ、やはりと思った。
何かが見えている。
そう。
先日雨の中必死に薮を漕いで辿り着いた寝仏。
この地下壕は、山を越え、野原の中央に鎮座する寝仏の位置まで通じていたのだ!!

※先日の写真
先日の探索時には、これ以上近づく事が出来なかったが、この下にこんな施設があったとは!!

ここから上に行く事は困難であるので、再び地中の施設へと戻っていく。

別の場所にもトンネルが。

全くの推測であるが、この施設は、まだ寝仏がシートで覆われる以前に、この寝仏を祀っている寺(か組織か分からないが)が、磨き砂採掘の地下通路を利用し、霊場として胎内めぐりを出来るように改築したものでは無いだろうか。
かなりの資金をかけ改築を進めたものの、何らかの理由にて工事が頓挫し、以後、そのままの状態になっているのかも知れない。
工事用の照明や、配電盤の一部が壕内にそのまま残されている事から、この施設が日の目を見る事は無かったのだと思う。

その後、壕内を探索していると、足下に大きな穴が開いているのを見つけた。
どうやら、この壕は階層構造になっているようだ。
調査が入った時のものか、別の探索者の物かは分からないが、内部に脚立が見えている。
上がれなくなる事はないだろう。
たぶん。

ベテランのyakumo氏が、単独で様子を見に潜っていく。

5分…。
10分…。
なかなか戻ってこない。
大丈夫かな…。

しばらくして穴の中から懐中電灯の光が。
よかった。
無事だったようだ。
yakumo氏の報告によると、なんとこの下にも、今いる階層に負けないくらいの巨大な空間が広がっているという。
しかし本日はスケジュールの関係もあり下層の探索は見送った。
てか、また三重県来る理由が出来た(`・ω・´)

別の通路を探索中、壕内の水没区間にボートが残されていた…。
こんなとこ、ウェーダーでいいじゃんー、と思ったのだが、水没区間の壕床には磨き砂が粘土のように堆積しているため、足を踏み入れると足が抜けなくなる恐れがある。
案外ボートは正解なのかも。
ま、ワナかも知れないし、信頼性も低いだろうから、ボートでの探索は遠慮したけど。
(´ω`)

水没区間だけでもけっこうな広さだ。

と言う事で、今回また新たな発見をしてしまったので、半田地下壕はまた更に続くと思います。
→ 地下2階部分に潜って来ました。
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