未だ場所が特定できないので、またまた三重県まで行ってきた。

行けるところまでクルマで入っていくので、タイヤがドロドロだ( ・ω・)

ということで、装備をし、山の中へ突入する。
この道は、古い地形図には載っているのだが、現在は廃道となっている。
昨日、雨の中よととさんが半日かけて刈り払いしてくれたおかげで、苦労せずに通り抜けが可能となった。

地下2階まで一気に潜れる壕口へと、よととさんに誘導してもらい、まずは前回潜った半田地下壕2層目へと進入した。

あっという間に地階へ進入。

前回までは、地階1階部分を潜り抜け、床に空いた穴からこの場所へと降りてこなければならなかったのだが、今回のルート発掘によりかなりの時間短縮が可能となった。
写真奥の脚立部分が、地下1階と2階を結ぶ床に空いた坑口だ。

軌道が残されている付近は相変わらずのいい雰囲気だ。

軌道敷の横壁にはいくつもの穴が貫通している。
そのいくつかの穴に入ると、まるでお風呂のような水没壕が。
岩盤が石灰質に近いので、水は驚くほどきれい。
歩を進めると磨き砂によって水が濁るのだが、その様子はまるでバスクリンを溶かしたかのようだ。

前部を掘削用に改造されたフォークリフトも、以前のままそこに鎮座している。

付近には、磨き砂をトロッコに積み込んでいたであろうシャベルカーもある。

壕内作業車という事もあり、どちらもバッテリー駆動のようだが、バッテリーがすべて直列に繫がれていたのにはびっくりした。
どんだけパワー欲しいんだよ( ゚д゚)

しかしきれいな掘削だ。
おろろんさんが写真撮りまくってる。

壕床上に大量の土砂が堆積しているエリア。
無理して進むと足を取られ、戻る事が出来なくなる。
この奥は何らかの装備を追加しないと攻略できなさそうだ。

ここで一旦外へ出て、山中を進んで行く。
すると…。

まるで何かの遺跡のような掘削跡地へと出た。
ここは、手掘りの掘削跡地を、後年パワーショベルにより山ごと削り取ったため、このようなカタチとなったのだろう。

内部は開口部が非常に多いため光が差し込んで異様な雰囲気だった。

再び山中を進んで行くのだが、この山の内部は地下道が張り巡らされているせいか、陥没箇所が多かった。
竹林のため地盤が弱く、雨などにより崩れ落ちるのだろう。
今自分がいるこの場所も、いつ崩れ落ちるか分からない。

コンクリートで巻かれた壕口から再び地下へと潜っていく。
ただ、このコンクリートは新しく、戦時中のものでは無いだろう。
ここも、お寺の付随施設として建設されたのかも知れない。

内部はかなり広く掘削されている。

なんか、かまどみたいなものが…。

内側に焦げ跡のようなものがあるが、周囲にも焦げ跡が着いている事から、かまどでは無いのかも知れない。
一体何だろう。

機械台座のようなものが出てきた!!
なんか工場っぽいぞ。

そして出てきた、巨大なコンクリートの巻き立て。
コンクリートの質も、壕口付近の物とは明らかに異質。

上部の巻き立ては工事途中のようで、ここまで拡幅するよー、みたいな彫り込みが残されていた。
削り終わった跡で、上部もコンクリートによって巻き立てられるはずだったのだろう。
この付近は軍需工場として建設されていたのかも知れないが…。

奥へと進んでいくと、なんかめちゃくちゃな掘り方になってきた。
しかも、壕床はぐちゃぐちゃ。
足が抜けないぞ。

高さも合ってない。
壁の厚さもめちゃくちゃ。
しかも、強度を保つために残されている柱も、ずいぶんと細い。
推測ではあるが、この付近は昭和より以前に職人により掘削されたのではないだろうか。
壁面に設置された壕内を照らしていたランプの焦げ跡も昭和初期の物とは明らかに違う。
半田地区の壕は江戸時代から掘削されていたと言うが、果たして…。

一通り壕内を回り、山中に開口している壕口から外へと這い出る。

GPSを測定し、壕口の場所をチェックする。

その後、平場にて昼食を取った。
半田地下壕周辺調査~後編 へと続きます。
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