昼食と休憩を済ませ、次なるポイントへと進んで行く。

途中、農道脇の平場に大穴が開いているのを見つけた。
Uターンでもしようかとクルマをバックさせたら穴に落ちて大変な事になりそうだ。
この下にも坑道が伸びているという事か…。

完全に水没しているため入る事は出来ないが、坑道が伸びているように見える。

そして、いよいよ、軍需工場跡地では無いかという壕口へと進入する。

この壕は、入ってすぐに水没している。

深さはかなりあるものの、場所によっては足がつく。
よととさんが、杖で足場を確認しながら様子を見に行く。
ただ、今回はライフジャケットも着ていないため、無理はしなかった。
ちなみに、右側に見えている坑道はコンクリート巻きだ。
自分としては、ここが終戦後に米軍の調査した地下軍需工場跡だと思う。

ここがこの図にある地下軍需工場跡だとすると、この場所はどこに当たるのだろうか。

ここが地下軍需工場跡であるという根拠のひとつが、廃屋に打たれていたこの地図。
この地図には磨洞温泉と、磨洞温泉別館が記載されている。
磨洞温泉別館は、現在の磨洞温泉である。
そして、この地図の磨洞温泉、つまり、昭和37年に開業した当時の場所こそ、ここなのである。

開業時の磨洞温泉。
写真の人物は、昭和37年当時の三重県知事田中さとる氏だ。
磨洞温泉のウェブページには、『その巨大な洞窟では、第二次世界大戦中には、3000人もの軍隊が秘密兵器を造っておったそうで、半田の洞窟は大きな地下工場になっておったそうな。話では、三菱さんがゼロ戦のプロペラを造っておったそうで…』と、この洞窟が軍需工場であったと記載している。
書籍「三重の戦争遺跡」に書いてある、三菱プロペラが半田の地下工場で稼働していたという話とも符合する。
これは間違いないんじゃないか!?

今日の装備だと、これ以上の調査は危険なので、入り口付近しか見る事が出来なかったが、内部に電話機が残されているのを発見。
磨洞温泉営業時のものであろう。

ここが地下軍需工場跡だとすれば、この周辺にはたくさんの壕口が存在するはずだ。
次なる壕口を探すため、一旦この壕を出る。

山肌に沿って進むと、すぐに次の壕口が見つかった。

ただ、先ほどの壕口と場所が近すぎるせいか、同様に水没してしまっている。

こうなったら、この山の周辺を全て調べよう。

山肌へ向かい薮に突入すると、いくつもの壕口が発見できた。

かなり大きめの壕口であるが、こちらも水没。
天井近くまで水があるため、ボートでも厳しいかな。

入り口付近は崩れた土砂が堆積していた。
うー、足が取られて登るの大変…。

中部電力の鉄塔管理道路を進む。

そして、平場へと突入する。
平場と言っても、薮がすごくて大変。
ただ、地形図を見ると、この場所は当時は車両が入れた場所のはずだ。
手分けして山肌を調べていると、よととさんがコンクリート巻きの壕口を発見。
早速、その場所へと向かう。

うん、まさに地下工場だ。
物資を搬出するための斜坑だろうか。

奥へ進んでいくと、上部に向かって通気口のような物が伸びている。
見上げたとき、上から誰かが覗いているのかと一瞬どきっとしたが、霊的な何かでは無くただの草木だった。

ちなみにこの壕のコンクリート巻きは、変な力が加わっているようでボロボロだった。

そして、床に何やら大きな穴が開いている。

のぞき込むと、どうやらこの下にも坑道が広がっているようだが、高さがあり下るのは困難だった。

壕口をふり返ると、コンクリート巻きが見事に押しつぶされていた。
死にたくないので、とりあえず次の壕へ。

この付近にはいくつもの壕口が並んでいる。
この壕もコンクリート巻きだったが、内部は同様に水没。

次の壕はカゴが散乱しており、なおかつ、かなり急な斜坑となっていた。
水没は腰下程度で、左右共進む事が出来た。

ここは竹捨て場?
竹の下は、土なんだか水なんだか分からない。

yakumoさんが突入したが、竹が折れ危険すぎるので断念。

そして本日最後に突入したのが、よととさん率いるくるまみちのメンバーが発見したスイッチバック坑道。

斜坑を降りていくと、奥は盛大に土砂が崩れている。

yakumo氏が土砂の向こう側を調べに行くが、どうやら完全に閉塞しているようだ。
しかし、そこから壕口方向へふり返ると…。

なんと、先ほどの壕口同様に足下に大穴が開いており、坑道へと入る事が出来た。

鉄筋が入っていない、全く信用できないコンクリートを渡って行く。

水没も無いようだ。

内部探索を始めて数分後に事件は起きた。

yakumoさんが泥土に足をとられ、動けなくなってしまったのだ。
初め、yakumoさんは「足が抜けないー」とか言ってたのだが、また大袈裟な( ・ω・)、とみんなそれほど一大事とは思っていなかった。
しかし、遠巻きに見守る中、10分経っても20分経ってもそこから抜け出す様子は無い。
壕床に足は付いているので、それ以上潜ってしまう事は無いのだが、とにかく足が全く上がらないようだ。
さすがにヤバイ!
犠牲者が出たら、レポもお蔵入りか('ω')

そこで、壕内へ竹を大量に運び入れ、泥土の上に橋を架け、救出に向かう事にした。
そして必死に泥を掘り出し、なんとかそこから抜け出す事が出来た。

荷物やカメラはなんとか引き上げたものの、yakumoさんの携帯電話は泥の中へと消えてしまった。
体力的にも精神的にも限界なので、もう、あきらめるしかない。
しかし、運のいい事に(?)防水防塵携帯なので、近いうちにスコップとふるいを持って発掘しに行く予定だ。

まるで2枚の写真のようであるが、もちろんそうじゃない。
壕口に向かって撮影したスイッチバック坑道の写真。
こんな景色、日本中でここでしか見られないのでは!?
規模も作りもすごい!!
露出変えて撮れば良かった。
次回行ったら、写真はHDRで仕上げよう。

時間的にも、そろそろ横浜に戻らないといけないので、壕を後にし、今回の探索は終了した。
次回は、水没壕の調査と、携帯電話発掘かな。
とりあえず、ゴムボート欲しいけど、ちゃんとしたのは 5万くらいするんだな。
うーん、どうしよう。
ライフジャケットだけは、死にたくないからちゃんとしたの買うか。
→ 次回、なんとか水没壕の奥へと行くぞー(`・ω・´)
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