東北と言ってもひとくくりには出来ないが、震災や原発事故の影響で、観光客が激減しているという。
がんばろう東北って言葉やステッカーはよく見るけど、実際に現地に行って、お金を落とさないことには復興も難しいのでは。
てことで、土日を利用して被災地を回って来た。

まずは横浜から湾岸線経由で常磐道を走り、大熊町へと向かう。

いわきジャンクションを過ぎると、前を走っていた車も、後ろにいた車も全部郡山方面へ。
原発方面に向かっているのは自分一人となった。
ま、この先の道は全て通行止めとなっており、原発の向こう側に抜けることは出来ないので、当然と言えば当然か。

終点の富岡インターで降り、とりあえず行けるところまで行ってみることに。
インター出てすぐの交差点には、品川ナンバーのパトカーが赤灯を回していた。

周囲の家は、半壊程度だったが、避難してしまっているのか人気は全く無い。

街中に入っても、恐いくらいに誰もいない。
自販機も止まっており、信号機以外に動いている物は無い。

原発の作業員の車以外、一般車はいないようだが、パトカーはびっくりするくらいそこら中にいる。
この写真でも、対向の他に、前方左にも赤灯を回して止まっている。

福島第2原発を過ぎたあたりで、検問所が見えてきた。

「ごくろうさまでーす、許可証、お願いしまーす!」
「あ、持ってないです」
「では、Uターンでお願いしますー」
ここで、警官さんとちょっとお話し。
このまま北上する方法を聞いてみた。
要約すると、原発の向こう側に抜ける道は全て閉鎖されていて、いわきまで戻るしか方法は無いとのこと。
いやいやいや、山越えすれば行けるだろと思ったが、とりあえず素直にUターン。

ちなみにこの付近の線量は 1.09μ㏜程度。

いわきまで戻ってられないので峠越えをしようと住宅街を進む。
もちろんここは立ち入り禁止区域では無いが、家の中に人の気配は無く、住人を見ることは無かった。

震災で崩壊した道路も、そのままだった。

しばらく走るとまた通行止めが…。
「この先帰宅困難区域に付き通行止め」って書いてある。
しかし、廃道を塞いでいるバリケードなどに比べると、あまりに貧弱なバリケード。
入ろうと思えば誰でも簡単に入れてしまう。

先ほどより福島第1原発にちょっと近付いたせいか、車内で窓を閉め切っているにもかかわらず線量は上がり続けた。
場所によっては警告アラームがピーピーと鳴り出す始末。
おかしいなぁ。
民主党は原発事故の終息宣言してなかった?

そのまま山越えをするために峠道へと進んで行く。
手元の資料によるとその峠も通行止めとなっているのだが、その通行止め箇所から原発側が立ち入り禁止との表示となっている。
つまり、今自分がいる場所が立ち入り禁止区域と言うことに!?
ま、どっちにしても、立ち入り禁止区域から出て行くなら通れるでしょ。

峠道を気持ちよく走っていると、眼下にものすごい数の巨大土嚢が積み重なっていた。

それまでも、畑の隅などにいくつか置いてあるのは見かけたのだが、この数はすごい。
てか、どーすんのこれ。

その後、郡山市内まで細く暗い峠道をくねくねくねくね 100Km程度進む。
途中、検問所というか、パトカーが何台か止まっている場所があったが、止められることはなかった。

郡山市から北上し、宮城県に入ったあたりで、本日は就寝。
横浜は30℃越えの熱帯夜だそうだが、ここは現在気温23℃。
窓を開けているとちょっと寒いくらい。
暑さ対策いろいろしてきたのに、全く必要なかった…。

翌日はいい天気!!
朝風呂入って美味いもん食べて、一関市から陸前高田市へと向かう。

だいぶ海が近付いてきた。
この付近は震災前は市街地だったようだが、まるで初めから更地であったかのようだった。

道の駅、高田松原。
付近に慰霊塔が建てられており観光バスが次々とやってきてガイドさんが震災時の説明などをしていた。
震災復興応援ツアーというやつか。

4階の高さまで海に沈んだのか…。
テレビやネットでたくさんの映像を見たが、実際に震災にあった建物や街を見ると、ものすごくリアルに感じる。
恐怖感が半端ない。

営業中のスタンドのサインポールも、下部がぐずぐずになってる。
あそこが海面だったんだな。

震災から2年経ち、ニュースで取り上げられることも少なくなってきているので現状の街の姿はよく知らなかったのだが、思っていたよりも復興が進んでいないと感じた。
まあ、あれだけの瓦礫を片付けただけでもすごいことなんだろうけど。

この学校の生徒は、全員がすぐに屋上に避難して全員無事だったそうだ。
助かりたいならコンクリートでとにかく高いところか。
そういえば、以前住んでいた鈴鹿市では、津波警報が出たらマンションのオートロックが解除され、避難場所になる、みたいな取り組みをしていた。
こういうのって、全国展開していって欲しい。

また、沿岸部の国道には、『津波の浸水範囲がここからここまで』、みたいな看板が建てられていた。
これも、もしもの時にはすごい良い指標になると思うので、他の地区でも進めたらいいのに。
普段から、ここは危ないとか意識していれば、生存率はぐっと上がるのでは。
こんな看板建てられた、浸水(予定)地域の住民にはもちろん失礼かも知れないけど、地域全体で助かろうって意識があるならどんどんやるべきだと思う。

気仙沼市内に入った。
ここも沿岸部は津波で流されてしまっていた。
プレハブの店舗がけっこうあった。

仮設のセブンイレブンに車を駐める。

目の前には巨大な船が。
どれほどの波が押し寄せたら、こんな巨大な船がここまで流されてくるんだよ…。

船の周辺は住宅街だったのだろう。
コンクリートの基礎だけが残されている。

ほとんど撤去済みのはずの車両が、ぽつんと1台だけ残されていた。
何か事情があるのだろうか。

仮設住宅かな。
それとも、復興に携わる人の寮かなんかかな。

橋は流されてしまっているようで、たくさんの仮設橋で道路をつないであった。

また、プレハブの商店街が。
なんか食うか。

国道から迂回路へと分岐されていたので、通行止め方面へと走ってきた。
どうやらここにあった橋も震災で流されてしまったようだ。

橋台の端っこまで行ってみると、遥か向こうに同じ幅の橋台が見えてる。

何本もの橋脚で、国道はあの橋台まで続いていたんだろう。

銘板は無傷のまま道路脇に置かれていた。
再び橋が架けられるのを待っているようだった。

南三陸町へと入った。

橋の欄干に何かが当たったようで大きく凹んでいた。
ものすごい力だ。

南三陸町防災庁舎だ。
いろいろと報道されてきているが、実際に目の当たりにするといろいろと考えさせられる。

運転自体は楽しくてしょーがないんだけど、やっぱり街がこんな状態だとテンションが下がってくる。
普通に生活してただけなのに、ある日突然何もかも無くなっちゃうなんて、考えるだけでも辛い。

でも、実際、ここに来て、実際にいろいろと見て良かったと思ってる。
映像で見てるだけじゃ、絶対にこれは伝わらないわ。
ホント、そう思う。

次に来た時には、「えー、もうこんなに復興してんの!?」と驚かせてくれ(*´ω`*)ノ
ま、またすぐ行っちゃうけど(・´ω`・)

いろんな所でたくさんお土産買ったんだが、鯨の缶詰めちゃ美味い!
いくらでもごはん食えるわコレ。

今回の走行距離、1349Km、うち一般道 590Km。
丸2日間、ほぼ運転しっぱなしだったけど、まだまだ運転したいー。
再び走ってきました!!
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