
本日遺構群をご案内して頂く教導氏を迎えに、御徒町へ。
日曜日の朝と言うこともあり、都内の道はガラガラだ。

京葉道路に乗り、東金市へ。
東金インターで降り、神社の駐車場へ車を駐める。
早速案内して頂いた壕口へと。

壕口から壕内を覗く。
少し下って、左手へと曲がって掘削されているようだ。

左へ曲がると、奥へと坑道が伸びている。
幅は90cm程度。高さも 170cm程度しか無い。

坑道の途中、右側に兵員棲息室のような物が掘削されていた。

とても丁寧に掘削されている階段を上がっていく。

階段を上っていった先には銃眼が構築されていた。

銃眼を外から見るとこんな感じ。

山肌を調べながら、どんどんと奥へと進んでいく。

更に山道を進むと、大きな壕口が。
ここは砲室だろう。

壕自体は単純な作りで、左に折れると反対側の壕口の光が見えてきた。

どうやら民家の裏手に開口しているようで、大量のゴミが詰め込まれていた。

一旦車道へと戻り、アスファルトの山道を登っていくと、道のすぐ脇に壕口が。
なんだこれ、めっちゃ目立ってる!!

それではお邪魔しまーす(*´ω`*)

壕床の足場は悪かったが、水没部分にはブロックが置かれていた。

壕内は崩落箇所が多い。
地質もほぼ粘土質で、痛みも激しい。

坑道の断面も、崩落のせいか、激しくいびつな形をしている。

壕床の両脇に排水溝のような物があるが、長年の流水によって削り取られたものかも知れない。

内部をくまなく回り、次なる壕へと。

大きな街道を挟み、反対側の山にある壕に入る。
こちらは先ほどの壕と違い、砂岩質の乾いた壕だ。

壕内には朽ち果てた自転車や家財道具が。

この壕は開口部がいくつかある。
その一つから出て壕口付近を撮影。

人目につく壕口はコンクリートブロックにて塞がれていた。

坑道はくねくねと曲がっている所が多い。

この周辺にはまだまだ未発見の壕がたくさんありそうだが、時間の都合で次の目的地へと車を進める。

東金駅近くにある八鶴湖公園に車を駐め、東金高校横の遊歩道を登っていく。
この山の上にはコンクリート製の監視所が残されているらしい。

遊歩道脇に防空壕跡が!!

中に進んでいくと、ランドセルが…。
なんかやだな。

その先は、左手に折れすぐに大崩落。
これ以上奥へ進むことは出来ないので壕口へと戻る。

ま、内部はよくある防空壕と同じだった。

遊歩道をさらに登っていくと大東亜戦争時の蛸壷を示す石柱が。
しかし、辺りを見回してもそれらしい物は何も無かった。
ちなみに蛸壷っていうのは、小さな塹壕の事。

山頂に向かい、階段をどんどん上っていく。
運動不足すぎて息が切れる。

突然視界が開けた。
山中に小さな展望広場が設けられていた。

道があるのはこの展望台まで。
ここからは当時の軍道の名残を辿って登っていく。

荒れた道を進んでいくと、突然眼下にコンクリート製の構築物が。

ここが観測所跡のようだ。

中に入る。
全てコンクリート製の建物内部は落書きも少なく状態も良い。

天井を見上げると、天井のコンクリートにはコンパネの木目がはっきりと残っている。

スリット中央部にある鉄筋は、鉄道のレールを再利用していた。

スリットから外を覗いてみる。
当時は周辺も整備されていたのだろうが、今は草木が伸び、木々しか見ることは出来ない。

監視所の外に出て、スリットを外側から見てみる。
上部には土が盛られ、外部からは秘匿されていた。
なんか、内部から兵隊さんの視線を感じるような…。
(((;゚Д゚)))
と言うことで、事情により詳細を紹介できない場所もあるのですが、
次回、 東金~上総一ノ宮周辺の遺構群 へと続きます。
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