20代の頃からバイクや車で休日になると僻地に出かけていた。
北は北海道から南は広島まで、総走行距離は15万キロを超えていると思う。
基本的に高速道路は使わずに移動し、同方向へ出かけるときは出来るだけ違う道を
通っていくようにしているため、かなりの国道は踏破した。
最近は仕事も忙しく走行距離も伸びなくなったが、同僚と、前々から行ってみたかった秩父の鉱山住宅跡に行くことになった。
仕事が終わってから同僚 2人を迎えに横浜を出発。
22時頃に大森で同僚を乗せ、環八から新青梅街道へ。
青梅市内から成木峠経由で埼玉県へと入り、正丸峠に着いたときには時刻は既に 2時を回っていた。
■すべての写真はクリックすると別窓にて高解像度表示します
(ただし、圧縮比をだいぶ上げているので、そんなにきれいじゃない)

正丸峠で一服し、途中のコンビニで食料と酒を調達。
R299をひた走り、秩父の浦山ダムに到着したのは明け方 4時近くだった。

とりあえず、テントを張り寝床を確保。
焼酎と日本酒で乾杯する。
つーか、あんまり飲み過ぎると翌日起きられなくなるので、早々に就寝準備をする。

朝 9時起床!
朝日がとってもまぶしかった。
さっさと撤収して目的地に向かおう。

ダムの裏側を回って行こうと思ったら早速通行止め。
こんな感じで道を塞いでいる通行止めは、今までの経験上通り抜けが可能な場合が多いのだが、今回は素直に別ルートへ回った。

浦山ダムを出て、途中鍾乳洞なんかにも寄りながら R140を走る。
今年の 3月に竣工したばかりの滝沢ダムが見えてくる。
その手前にあるループ橋はとてもスケールの大きい物だった。
目測で 60m位ある高低差を、2Kmくらいかけてぐるっと一回り。

こうやって写真で見ると重力式コンクリートダムもなかなかかっこいいな。

中津峡にあった看板にもループ橋が書かれていた。

途中、中津峡の川原で一休みして、いよいよ目的地が近づいてくる。
鉱山地区に入ると、いきなりいい感じのトンネルが登場。
しかも、あっち側にもこっち側にもトンネル。
コレはすごいと写真を撮りまくっていたが、端から見たらちょっとアレな人に見えるかもな-。

この素堀り感がたまらなく好きだ。
トンネルと言えば、浜松市内から天竜に登っていったところにある佐久間ダム周辺にあるトンネルが、今まで見たトンネルの中で一番雰囲気が良かった。
トンネルの中に分かれ道があったり、トンネルから山肌に抜ける小さなトンネルがあったり、とにかく凄い。
これは絶対行くべき。

鉱山地区に入って初めにあるのは郵便局。
本日は日曜日だったのでお休みですが、この郵便局は現在でも営業を続けているようだ。

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そこからしばらく行くと、鉱山住宅跡が現れる。
あまりの光景にしばし言葉を失う。
山肌にへばりつくように建てられた長屋形式の住宅は、長年の雨風に侵食され緑に飲み込まれかけていた。
鉱山最盛期には数千人の住人がこの地区に住んでいたらしい。
きっとこの建物にもたくさんの人々が住んでいたんだろう。
人々が村を去り、時が止まった。

手前側の建物は、残念ながら解体されてしまったようだ。
建物自体が道路からよく見える場所にあるので、安全のためやむを得ないのかもしれない。

建屋の入り口の石段にはコケが生えていて、なかなかいい雰囲気になっている。
一見乱雑に積まれているような石垣も、数十年間の時を経てもなお崩れることなく建屋を支え続けていて、しっかりした作りを思わせる。

建物内部は外部から想像するよりも腐食が激しく、とてもじゃないが奥まで入ることは出来なかった。
つーか、おもしろ半分に入っていったら、廊下の床板を踏み抜いて1階に転落し、生きて帰れなくなりそうです。

部屋の状態も同じで、奥まで探索するならそれなりの装備と覚悟が必要だと思う。

この集落では山肌のあちらこちらに廃墟が点在している。
というより、ここにある民家や住宅全てが廃墟になってしまっている。
場所が山奥だけに、不埒な連中もここまではやってこないようで、落書きなどは全く無い。
自然に朽ち果てるままの状態が保たれていて、好きな人にはたまらんかも。

民家の内部には予想以上に物が残されていた。
当時では高級品だったはずのテレビや洗濯機もそのまま置き去りになっていた。
鉱山景気に沸いた昭和初期から中期。
ここの住人は山奥ながらもかなり良い暮らしをしていたのかも知れない。
鉱山の規模が縮小し、村を捨てて出て行くとき、彼らは何を思ったのだろうか。

奥の部屋には勉強机や参考書、学生カバンなどが散乱していた。
これだけの荷物が残されていると言うことは、もしかしたらいつかまたこの村に戻ってこようと思っていたのかもしれない。

ふと目にした新聞は、昭和36年2月の物。
読売新聞なのに・・・、大手の新聞なのに、今では考えられないような広告が載っていた。
いや、まあ、単なる下ネタ系の広告なんですが、今だったら問題にされそうです。
良い意味でおおらかな時代だったのかもしれません。

売店というか商店の中。最近めっきり見なくなったトライデントシュガーレスガムがありました。

公衆浴場です。
数年前までは鉱山従業員向けに営業していたようですが、今はドアを開けることも出来ません。

こんな看板があるということは、無料の公衆浴場だったんだろうな。

すきまから中をのぞき込んでみるが、ずいぶん長いこと営業してない感じ。
最後に、一番の目的である小中学校へと向かった。
先ほど廃墟の前で知り合った、月に 2回はここに通っているというカメラマンの方と一緒に校舎に入っていく。

階段を上がったところが昇降口になっていた。

コンクリートの丈夫な基礎に建っているせいか、外観は歪みもなくとてもきれい。
午前中なら窓から木漏れ日が教室に入って、いい写真が撮れそうだ。

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この廊下の雰囲気はたまらない。
いまは物音一つせず静まりかえっているが、当時は子供の声が響いていたんだろうな。
木造校舎の廊下の雰囲気がたまらなく良くて、校舎内だけで写真を200枚くらい撮りました。

夕方近くになってきたのでそれなりに校舎の中は薄暗くなってきた。
窓の少ない場所はかなり暗くなってきた。

窓のデザインは逸品!
つーか、ここまで窓を広げて強度的にはおっけーなのか?

体育館の 2階が講堂のようになっていた。
この写真は舞台の上から後方を撮ったもの。

歩くとちょっとギシギシ言う木の階段がなんか懐かしい感じ。
最近、こういう木の階段減っちゃったよね。

なんだかすごく気に入った窓の少ない部屋。
地球儀が置いてあるんだけど、金属部分以外は土に還ってる感じ。
この部屋を撮影したネット上の他の方の写真を見ると、地球儀のフレーム部分がだんだんと崩れていくのが分かる。
昔にアップされた写真だと、フレームがだいぶ上まで原型をとどめてるんだよね。

ふむふむ、2進数。
片手で 31まで数えられるし覚えれば便利だね。
しかも、ビットが立つか立たないかだけですごくはっきりしてるし、16進数とお友達だし 2進数最高!
で、なんじゃこれ、5進数!?
実生活で役立たなそうな…。
機械自体は中は歯車が詰まってるのかな。
10進と 2進の対応も合ってるし、今でも動きそう。

やたら機械が散乱している部屋だった。
計算尺やオープンリールのテープ、レコードなんかも散乱して、大変なことになっていた。


体育館の裏手には、狭いながらもブランコやすべり台等の遊具が並んでいた。
ブランコは乗ってくれる子供をじっと待っているようだった。

校舎の前に卒業記念樹のハナミズキが植えてあった。
廃校になった校舎の前に幹が伸びていて、なんだか複雑な気持ちになってしまった。

一通り校舎内を廻り、校庭に出た。
見上げると、山の木々の間に校舎が埋まっていた。
ひぐらしの鳴き声が聞こえてきた。
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