
国道136号線から石廊崎方面への分岐を折れしばらく進んでいくと、防潮堤の向こう側に大きな穴がいくつも並んでいるのが見えてきた。

昨日までの荒天により海水はいつもよりも濁っているという事だったが、それでも十分に澄んでいる。
岸壁にはいくつもの洞窟が掘られている。
これが、特攻兵器震洋の基地なのだろう。

岩肌をへつっていけば各穴に行けそうだ。
早速、進んでいく。

壕自体は船体を格納するために掘られたためか、奥は 20m程度で行き止まりだった。
床面はスロープ状にコンクリートで固められている。

どの壕も作りは同じようなものだったが、壕によっては大量の漂着物が流れ込んでいた。

壕から壕へと岩場に張り付くように進んでく。
すると・・・。

壕口のすぐ側に、4名の名前が彫られていた。

ここから出撃することになった隊員が彫ったものだろうか。

出撃した以上、ここに戻ることはないと分かっていたはずだ。
隊員の気持ちを考えると心が痛む。

更に岬を廻りこんでいくと、入り江の奥にコンクリートで巻かれた大きな壕口が!!

これはちょっと無理してでも行ってみたい!!

海水に浸からずに岸壁を進むのは難しそうなので、一旦岩をよじ登り、上から巻いていくことにする。

眼下の海はとてもきれいなのだが、落ちたらシャレにならんので気を付けて進んでいく。

岩肌の途中が一部崩落して凹んでいるため、上から巻いていくのに、予想以上の時間を要した。

でかい壕の入口にたどり着くと、入口を塞ぐように古いモーターボートが鎮座している。
大波に打たれ、流れ着いてきたものだろうか。

壕の奥は他の壕同様に行き止まりだ。
流れ込んできたゴミが詰まっている。

この豪の壕口付近にも、当時の彫りこみが残されていた。
飛練四十期 轟沈 昭和二十年五月
この数か月後に終戦を迎える事になるとは、思いもしなかったろう。

入り江から見える景色は平和そのもの。
当時の隊員にはこの景色がどのように見えていたのだろうか。

これ以上奥には何も無いようなので、そろそろ戻ることに。
今来た岸壁に、階段のような切込みが見えている。

当時はこの階段からこの入り江へと来ることが出来たのだろう。

今となっては、その先の崩落により、行き止まりとなってしまっているが。
その先に目を向けると、同行のyakumo氏が岩場をよじ登っている。
登るのやだなあ、下から行けないかな。

うん、岩にへばりついて進んでいけば、何とかなりそうな予感。
落ちても濡れるだけだし、行っちゃえ!

てことで、濡れても構わないなら戻りは岩登りしなくても行けそうな。
ウェーダー装備なら楽勝な感じでした。
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