
住宅地に車を駐め、石切り場跡地へ向かう。
時間は夜10時。
しとしとと小雨が降る中、真っ暗な小道を進んでいく。

しばらく進むと石切り場らしきものが現れた。
閑静な住宅地に隣接しているこの地下工場跡だが、元々は石切り場だったものを、再利用していたようだ。

この辺りは日中の探索であれば、日がさしているのだろう。
とりあえず穴の中に入っていくと…。

いきなり地底湖を発見。
ボートが準備されていたので乗り込もうと思ったが、水際にはやわらかい土砂が堆積しており、足がどんどんと潜っていく。
ウェーダーを着ていれば行けるかもしれないが、危険そうなので今回は断念。

地底湖の裏側に行けそうだったので、ぐるっと回り込んでみる。

こちら側は切った石の上に水が溜まっており、水深は 15cm程度だったが、途中からは底が見えないほど深くなっているようだ。
これ以上は進めそうもないので、元来た道を戻る。

別の穴を進んでいく。
石切り場らしい、角のある坑道が続く。

どんどんと奥へと進んでいくと…。

やがて天井までの高さが 4~5m程の広い空間へとたどり着いた。
床面は所々コンクリートで固められている。
機械台座であろうか。
沼津市にあった海軍の工場がこの場所に疎開してきたのは、終戦間近の 1945年 7月というが、実際に機械の設置はあったのだろうか!?

天井近くの壁面には高圧碍子が並んでいた。
軍需工場稼働時のものかもしれない。

広い空間を抜け、先へと進んでいく。

掘削方法が石切り場のものとは明らかに変わってきた。

高さ幅とも 2m程度の、よくある地下壕のような通路だ。
この地下軍需工場は、2つの石切り場を利用していたようだが、利便性を上げるために、2つの石切り場をトンネルでつないだ構造らしい。
排水溝も掘られており、非常に丁寧に掘削してある。

トンネル状の通路を抜けると、再び広い空間が現れた。
天井も高く、まさに石切り場だ。

しかし空間の先はすぐに外に通じており、これ以上見るべきものはなかった。
山の裏側に出たようで、外に出ても雨の夜は暗く、藪に埋もれた柵の外の状況はよく分からなかった。
今来た通路以外にも、別方向にも空間があったので、今来た通路を戻り、今度はそのエリアへと行ってみることにした。
後編へと続きます!
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