
山の反対側まで行ったものの、壕口の外は藪が濃く、外に出るのは危険そうだったので、今来た通路を戻り始める。
先ほどの連絡通路まで戻ってきた。
石切り場と違い、軍が掘った連絡通路は軍の地下壕そのものだ。

何か遺物が無いか探したが、錆びついた工具が少しあるだけだった。

終戦間近に工場として使われていたと思われる空間に戻ってきた。

このコンクリートで固められた基礎の上に、大型の工作機械が設置されていたのだろうか。

他に行けそうな場所は無いかと、探索を続けていると・・・。

天井近くに隙間があるのを発見。
階段状のガレを登っていく。

穴から這い出ると、そこは山の上部に向かって切り立った大穴の底だった。
20m程度はあるだろうか。
更にこの穴の底から別の穴の内部へと続いていたので、早速入っていく。

すぐに祠のようなものが現れた。
お賽銭が残されている。
石切り場時代の守り神だろうか。

祠を後にしてどんどんと進んでいく。
奥はまだまだありそうだ。
これはワクワクする!

真っ暗な地下通路を進んでいくと、段差の多い空間が現れた。

段差を登っていくスロープ状の通路があったが、やたら丁寧に作られてる。

スロープを登っていくと…。

まるで地下神殿のような空間が現れた。
風は通っていないが、湿度が高すぎることもなく、とても快適な空間だ。

廃棄されてからかなりの年月が経っているはずだが、崩落も見られず、とてもきれいに保たれている。

それほど複雑な構造ではないので迷う心配はなさそうだが、場所によっては彫りこみが部屋みたいになっていたりと、探索していて楽しい。

最深部は段が上がっており、まるで舞台のようになっている。
整備すれば、いろいろと使えそうな空間だ。
地下とはいえ、これだけの空間が利用されずに眠っているのはもったいないな。

ちなみにこの空間、天井がすり鉢のように垂れ下がった形に掘られている。
まあ、掘削の都合によるものなんだろうが、デザインとして見るととても面白い。

遺物は特に無かったが、構造が楽しめるのであちこちうろうろする。

外に出る通路を作ろうとしていたのか、上方に向かって掘削途中の坑道があった。
掘りかけの感じだったが、終戦で掘削をやめたのか、試掘なのかは不明だ。

ということで、とても広くきれいな空間が広がる、多比の地下軍需工場だった。
史料では海軍技術研究所音響研究部地下工場という事だが、稼働期間が短かかったせいか、痕跡は高圧碍子程度しか見られなかった。
基本的にほとんどが地下なのだが、今度は日中に訪れれば、外との接続部がもっと見つかるかもしれないので、是非再訪したいと思う。
再訪してきました!
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