翌日は別の探索があったため、深夜の探索だ。

深夜 0時近く。
クルマを駐め、長尾地下壕の壕口へと進んで行く。
途中、いかにも千葉県らしいトンネルが。

トンネルを抜け振り向くと、以前はトンネルでは無く掘り割りだったのだろう、トンネル上部に凹みがあった。

トンネルを抜けた先の森へと入っていく。
この先に壕口があるはずだ。

しばらく進むとすぐに壕口を発見。
早速進入する。

どんどんと奥へと進むと、変な形の接続部が。

その先の接続部も同様の形となっている。
しかも、かなり丁寧な掘削だ。

外に開口しているようだが、そこにある階段(?)は1m以上の段差が。
どういう事これ?

どんどんと奥へ進んでいく。
天井部分が崩落している。

また、妙にきれいに掘削されている接続部。
ここは第二次世界大戦時に掘削された海軍の壕だが、掘削のこだわりがすごい。

小学校の裏山にあるこの壕だが、奥へ行くとゴミもほとんど無い。
小学生の遊び場になってはいないようだ。

作りはそれほど複雑では無いが、深さはけっこうある。

風が抜けているので行ってみる。

空き地に開口している坑道には、壁面に凸凹が彫り込まれていた。

再び内部へ戻る。
三叉路に出た。
まずは左側へと進む。

そこは小部屋となっている。
崩落していないようだが、壕床には土砂が残されている。
その奥に、ごく小さい通路が。

近付いてみると、急な階段が。

階段は途中から、はしごかと思われるほどに急になっていた。
同時に上方からロープが垂れ下がっているのに気づく。

別の探索者が残したと思われるロープにつかまりながら登っていったが、ふり返るとちょっとヤバイほどの高さと角度に。
開口部はすぐ上に見えていたが、びびって下ってしまった(*´д`*)
その隣の部屋にも同様の階段が掘削されていたが、こちらはこの階段よりかはマシな角度で上方へ登っていた。

更に奥へと進む。
時期によっては水没しているらしく、ビールケースにより橋が架けられていた。

この壕には開口部が多い。

一通り全ての壕を回ったので、戻りはじめる。

しかしきれいな掘削だ。
何かに再利用できそうなのにもったいない。

さっきまで霧雨が降っていたが、止んだようだ。
森をガサゴソし、クルマに戻ってコンビニへ。
やたら駐車場の広いセブンイレブンで車中泊して乾杯~(^O^)!

ちなみに内部構造はこんな感じ。
今回は右下の壕口から入りました。

翌日は、この日お初の祐実総軍三等兵さんと落ち合い、 茂原海軍航空隊の腰当地下壕を案内してもらった。
この壕は戦時中に病院として使われていたらしい。

壕口に向かい、斜面を登る。

そして早速壕口に潜り込む。

内部には広く長い坑道が続いている。
総延長は600m程度だが、それ以上に長く感じる。

車を駐めたお寺の裏に開口している壕口だが、隙間は30cm程度ととても狭い。

茂原海軍航空隊の壕は、とにかく掘削がきれい。
このように交差部分もきっちりと掘削してある。

基本的に長い本坑から枝坑が左右に伸びている単純な構造なので、この壕も迷う心配は全く無い。

一部の坑道は斜坑となっており、民家裏の開口部に向かい結構な斜度が続いている。

崩落しているわけでも無いのに壕床が凸凹している箇所もある。

この付近は地盤が悪いらしく、盛大に天井が剥がれ落ちている。
ヘルメットをかぶっていてもちょっと危険そうだ。

天井部分に凹みが。
壕によってはこのような彫り込みに煙突を通していたり配線を通していたりするのだが・・・。

このガレを見る限り、ただの崩落のようだ。

斜坑を下りきった民家裏の開口部付近には、排水溝が切られていた。

そして、ちょっとだけ外に出てみる。
完全に人の家の庭に出てしまった。
壕口付近は倉庫として利用しているようだ。

一番奥(西側)の枝坑は、壕口に向かって水没していた。
水深はそれほど深くはなかったが、長靴だとちょっときついくらい。
ウェーダーなら楽勝といった感じか。

しかし、幅 2.5m程度の坑道のみの壕が、本当に病院として使用されていたのだろうか。
ちょっと疑問が残る。

ということで、この壕を撤収し、午後からは東金周辺の洞窟陣地に潜る事にした。

ということで、次回に続きます。
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