この隧道は 2002年の1月に自然崩落により通行止めとなった。
供用中の事故であったが、幸いにも犠牲者は出なかったというが、現在はどのような状態なのか見に行ってみた。

土曜日の夜に横浜を出発。
スキーシーズンが終わったせいか、ガラガラの関越自動車道を北上する。

道の駅、深雪(みゆき)の里にて車中泊。
美味しいもの食べて、お風呂入って、市内をうろうろする。

今年の奥只見は雪が多く、例年だと 3月中旬にオープンする奥只見スキー場のオープンも今年は 4月に入ってからとなった。

奥只見近くの銀山温泉。
4月とは思えないほどの雪だ。

奥只見ダムの駐車場の建物も雪に埋もれていた。

トイレもこの有様(*´д`*)
しかも、雪の重みでゴミ箱もボロボロ。

ということで、早速稲葉隧道を見に行こう。

奥只見ダムから約 50Km。
只見線沿線の小さな集落にこの隧道はあった。
坑口は、侵入者を阻止するため、強固に塞がれている。

では、ちょっとだけ、お邪魔しまーす。

坑内へ入り込み、奥を照らしてみると、セントル巻きの坑道が続いていた。
かなり地盤が悪いらしいのだが、それほどの危険は感じられない。

真っ暗な坑道をどんどんと奥へと進んでいくと、なにやら看板が置いてあるのが見えた。

近付いてみると、ここより先の区域、絶対立ち入り禁止と書いてある。
なるほど、相当危ないらしい。

少し進み、高照度のライトで奥を照らしてみる。
すると、とんでもない光景がライトに照らし出された。

堅いセントルがまるでトタン板かのように、瓦礫が坑内へと流入している。
これはひどい…。
この隧道は、終戦まもなく村人達が、山越えをせずとも集落を行き来できるようにと掘り上げたものらしいが、平成の世になって補強しているのにもかかわらず、このように崩落してしまうとは・・・。

圧潰部分には、今もなお、ものすごい圧力がかかっているのだろう。
今何かのきっかけで、土砂が吹き出してきたら、絶対に助かる気がしない。

よく見ると、左側面の壁も押し出されている。
本当にここは危険だ。
こんなところに一人で潜り込んで押しつぶされて死んでしまったらシャレにならん(*´д`*)

ということで、さっさと撤収することに。
ちなみに、離合することが難しいこの隧道だが、中央部分が広げられ、この場所で離合可能となっていた。
自動車も通るようになり、後年の工事によって広げられたのだろう。

坑口が見えてきた。
大きく曲がった隧道内に光が差し込んでくる。

背後から感じる湿ってまとわりつくような空気は、いつの間にか乾いた空気へと変わっていた。

ほんの 20分程の探索だったが、圧潰の迫力を見てしまうと、人間の無力さをまじまじと感じてしまう。
結局この隧道は、事故後修復されることは無く、新しく架けられた橋によって役目を終えた。

無事に戻れたので、今度は周辺を見て回ることにする。

坑口脇から山肌に目を向けると、大きく斜面がえぐれているのが見えた。
あの内部に隧道が飲み込まれているのだろう

隧道のすぐ前には、古い橋の遺構のような物が。
奥に見えるのが、廃棄された隧道の代わりに架けられた橋だ。
あの橋を渡って、隧道の反対側の坑口を見に行ってみよう。

しかし、反対側の坑口は大量の雪に埋もれていた。

無理して雪越えをすれば内部へと行けそうだったのだが、先ほどと同じ看板と、圧潰して吹き出している土砂が見えていたので、今回はここまでとした。

隧道を横から見るべく、場所を移動する。
山肌に掘られた隧道に沿って、当時の明かり窓が点々と並んでいる。

往事は通行人を照らしていたのだろうが、現在はセントルが巻かれ、内部からその存在は全く確認できない。
そして、急な斜面に沿って道が設けられているのが写真で分かるだろうか。
これは隧道が掘られる前の旧道で、かつての村民が危険を顧みず通行していたという。

すぐ横には大規模な山体崩壊が。
今の時期だと積雪に隠されて分からないが、大量の土砂が川まで続いているのだろう。

一通りの探索を終えたので、とりあえず帰ることに。
明日も仕事だしね。

しかし、街並みに日が落ちていくこの感じ、たまらなく好きだな-。
来週もどこか遠出しよ(・´ω`・)
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