神奈川県にある三浦半島には、数多くの戦跡が残っている。
その中のひとつ、油壺マリーナ近くの浜諸磯洞窟砲台に行ってきた。
行ってきたと言っても、今回は寒中バーベキュー大会?のついでのプレリサーチなので深入りはしない。
照明も、いつもの懐中電灯のみしか持参しておらず、マッピング用のノートもない。
本調査に備えて、内部状況を確認する程度にとどめておく。
また、このすぐ近くには浜諸磯洞窟陣地もあるのだが、今回は洞窟砲台のみを見てきた。

いつもの通り、近くの岩浜にて野営する。
12月に入ったというのに、相変わらず毎週のようにテント生活だ。
今回は、肉のハナマサにて大量の野菜と肉を調達。
翌日夕方まではここでキャンプする予定だ。

翌日、焼き肉にも飽きてきたので、何か戦跡らしい物はないか付近の海岸から山肌にかけて探索する。
背丈ほどの高さを藪こぎするもめぼしい発見は無し。
岩場でなにかの遺構を発見したが、これはおそらく最近の物であろう。

近くに『界』の文字がある石柱を発見。
と言っても、これはこの上に続く森林を区分けする林班界だ。
この後波打ち際に海蝕洞窟を発見したが、奥行き10m程の浅い物だった。
一番奥まで行ってみたところ、更に小さな横穴が伸びていたが、こちらも数メートルで閉塞していた。
浜諸磯洞窟砲台

ここから本題。
キャンプサイトから車で15分程移動して、諸磯湾に面した別荘地帯へと入る。
この写真は浜諸磯洞窟砲台の坑口部分である。
別荘地帯の畑道を道なりに30m程進むと坑口にたどり着く。
中をのぞき込んでみても真っ暗で何も見えない。
懐中電灯で奥を照らしてみるとかなり奥まで坑道が続いている。

坑道に進入し、フラッシュを最強にして撮影してみる。
おー、これはわくわくするぜ。

懐中電灯で足場を照らしながら内部へ潜入していく。
かなり集光性が高い懐中電灯しか持って行かなかったため、照らしたところ以外はほとんど何も見えない。
真ん中を貫く本坑の高さは2m程度はあり頭をぶつけることは無いと思うが、あまりの暗さに躊躇してしまう。
頻繁にフラッシュ撮影し、画像を確認しながら坑道奥へ進んでいった。

坑道の足場は水分を含んだ泥が堆積しており、所々にゴミや石が散乱して決して歩きやすい物ではなく、あっという間にブーツがどろどろになっていく。

右方向へ横坑を発見。

横坑の奥に向かってフラッシュを焚いてみると、こちらも奥まで続いている。
一番奥まで進んでみたが、だんだんと高さがなくなり一番奥は上り坂となって最後は土嚢で塞がれていた。
この部分は後日外部調査をする予定。

ふり返ると坑口のあかりが見えている。
距離は30m程度であろうか。

本坑は少しだけクランクを描きいきなり何かの施設につながっていた。
残されている物はほとんど無いが、ここだけ見るとまるで廃墟のようである。

目の前に光が広がり砲台跡が現れた。
年月の経過の割にはきれいな状態が保たれている。
ただ、不審火でもあったのか、壕の一部が黒ずんでいた。
後日調べた情報によると、一時期別荘の一部として利用されていたこともあったらしい。

外は草むらとなっており崖なのだが、可能な限り身を乗り出して外観を撮影してみた。
足場も悪く、足を滑らせると崖下に転落しそうなので、これ以上離れての撮影は無理だった。

砲台の裏手にある小部屋。
いくつかの部屋があり、調理場に使われていたらしき部屋もあった。
ただ、どの部屋も光が届かず窓も全く無いので真っ暗である。

部屋によっては素堀のままの状態で非常に気味が悪い。
部屋の奥が隠し部屋になっているように見えたのだが、行き止まりだった。
残念。

再度洞内に進入し、先ほどとは別の横坑に進入。
入り口から本坑を見るとこの横坑は左手方向に伸びている。
また、この坑道はゆっくりと下っている。
風はないがそれほど湿っている感じはない。
40m程ゆっくりと下った所でコンクリートの壁により坑道が塞がれていた。
外から埋められているとも考えたのだが、なんとこのコンクリートにはいくつかの穴が貫通している。
穴はきれいな円形をしており、悪戯で開けたものとは考えられない。
穴の向こう側には更に闇が続いているように見える。
また、ここに来る途中、更なる横坑を発見。
今回はプレリサーチと言うこともあり、マッピングもせずに探索しているため、あまり奥まで進入することはせず、本坑からの横坑探索のみにとどめたが、本調査時には全ての坑道を調査する予定。
更に、先ほどの謎の穴が開いたコンクリートの向こう側も照明を使い撮影予定。

短い時間であったが、一見どこにでもある小高い丘の内部に坑道が縦横に掘られていたのには正直、驚きよりも感心を覚えた。
本土決戦に備え、様々な自爆兵器まで開発し、日本全土に抵抗拠点や洞窟を掘りまくった当時の軍隊、民間人、強制労働を強いられた人々。
それぞれの想いがこの洞内に渦巻いている気がした。
しかし、懐中電灯を消すと上下も分からなくなるような本当の闇に包まれるが、不思議と恐怖心は湧かなかった。
↑先人によって全てが明らかになっておりました。
引き続き調査は続行しますので、新しい情報を発見したら掲載します。
先人によるマッピング
その後の調査
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