現在でも十分に険しいこの道だが、旧道は更に険しかったという。

金曜日の夜、仕事が終わって横浜を出発。
国道20号線をひた走り、松本から国道147~148号線へ。
道の駅白馬にて車中泊。
深夜なので、流れに乗っていれば白馬まで一般道でも6時間程度だ。
翌日は早速日本海側へ。
この道をまっすぐ行った、あの山肌の海際が今回の目的地だ。

以前、西日本をぐるっと回ってきた 際に、見かけた国道8号線の旧道が見えてきた。
ここが子不知の旧道だが、先に親不知の旧道を見に行くことに。

トンネル坑口横のスペースに車を停める。
山肌に張り付くように、8号線旧道の洞門が見えている。

旧道と言っても、廃止されてそれほど時間が経っていないせいか、荒れた感じは無い。

洞門内部へと進んでいく。
内部は道路管理用の資材置き場として再利用されているようだ。

洞門からは日本海が望めるが、海面からかなりの高さがあるため、運転中の眺望はそれなりだったろう。

そのままどんどんと進んでいく。
横にトンネルが掘られたために廃道化したが、まだまだ現役でいけそうな感じだ。
しかし、途中で、洞門の幅が縮小している。
この辺も、廃道化の一因なんだろう。

やがて現道が見えてきた。

出てきた洞門口へと振り返る。
あと数年すれば、さらに草生していい感じになりそうだ。

無機質な洞門を戻っていく。

現道との分岐点へと戻ってきた。

このトンネルのすぐ横が、今通り抜けてきた洞門だ。
位置的にも洞門との間隔はそれほどないと思うが、強度的には大丈夫なんだろうか。
ま、もちろん、大丈夫だから掘ったんだろうけど。

続いて子不知の旧道に向かう。
旧道付近を通り過ぎ、車を停められる場所を探すが、なかなか止められそうな場所が無い。
という事は、ここを自転車で通り抜けてくるという事か・・・。
怖いなー。

数キロ先の駐車帯へと車を停め、自転車で現道を進み、子不知の旧道までやってきた。

遠目に見てもこれはいい感じだ。
期待が高まる!!

旧道の下には、北陸本線の洞門が通っている。
もっとも、現在は第三セクターであるえちごトキめき鉄道に売却されて、北陸本線ではなくなってしまったが・・・。
それにしても国道8号線の旧道と積み重なるように作られている構造がすごい。

早速旧道へと進んでいく。
すぐに現れたのは、新しめの洞門。

内部はガランとしており、残留物も無い。

進んでいくと、山側の壁面に何やら穴が開いている。

ん?
ちょっと覗き込んでみる。

下を覗き込むと、洞門の下へと行けそうな感じだ。
でも高さがちょっとあるから無理かな。

見上げると旧い足場が備え付けてある。
恐らく洞門の上へと行く足場だろう。
どっちにしても、ちょっと危なすぎるからここへの深入りはやめておいた。

洞門を抜けると、お目当ての草生した洞門が見えてきた。

この洞門は新しめだが、奥に見えている洞門はいい感じに荒れていそうで期待が持てる。

廃止から年月が経っている割にはきれいな路盤だ。
もしかしたら最低限の維持管理を行っているのかもしれない。

先へと歩いていくと、右手に下に降りられそうな切れ込みを発見。

ちょっと降りてみる・・・。

あわわわ・・。
これはあかん場所や。
今まであかん場所ばっかり入ってきてるけど、これは法的にもかなりあかん場所や(*´д`*)

さっさと撤収し、旧道を進んでいく。
遺されたセンターラインが素敵すぎる!!!

洞門の入口までやってきた。
遠目に見るほど内部は荒れていないようだ。

鉄筋でロックシェッドが組まれている。

かなり錆びてはいるが、まだ当分は崩れる心配はなさそうだ。

時折、洞門の外から彼方を走るトラックの音が聞こえてくる。

そしてその先には・・・。
なんだ!?あの中央分離帯の柱は!?!?

中央分離帯の構造に驚きながらも上部へと目を向けると、立派な扁額が残されていた。

当時の日本海側唯一の交通路がこれか!!
狭隘道路好きの自分としては、ワクワクが止まらん!
大型トラックがここに突っ込んでいく姿をこの目で見たかったーー。

すぐ横の壁面には銘鈑がはめ込まれている。

昭和42年(1967年)竣工という事だが、隣に立派な橋が作られたのが1987年なので、供用期間は思いのほか短めだ。

しかしこの車線の狭さ!
大型で走りたい!!!

対向車線も車幅自体は同じ程度だ。
アーチ状に飛び出た鉄筋が独特の美しさだ。
上部のコンクリートは道路上全てを覆っているわけではない。
もしかしてこれ以上外側に柱を建てることが出来なかったから、中央部分に柱を建てて、外側をアーチ状の鉄骨で作ったのか!?

足元には獣の足跡がたくさんあった。
どうやら彼らにとってこの道は現役で利用されているらしい。

途中、中央分離帯部分の柱が1本破壊されていた。

といっても、下部がコンクリートで固められており、人為的な物なのだろう。

現道との接続点が近づいてきた。

と同時に遠かった海上橋もだいぶ近づいてきている。

旧道の先には現道の洞門がある。
おそらくこの先は埋められているのだろう。

何やら置かれている資材の向こう側へと回り込む。

まだ少しは行けそうだ。

土砂の上を足を沈めながら登っていく。

大量の土砂の向こうには、現道の洞門の側面なんだろう。

今来た旧道を振り返ってみる。
ん?

なんか、下へと降りられそうな階段を発見!!

足を踏み外したら確実に助からなそうな階段を、ビビりながらも降りてみる。
怖すぎて、写真撮ってる場合じゃない!!
後半 へと続きます!
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