2012年の最初の探索 から4年の月日が経ち、半田周辺の道路や地形もすっかり様変わりしてしまった。
今回の記事は過去に回った穴の生存確認だけなので、過去記事読んでて興味がある人以外はつまらないかも (^_^;

と言う事で、三重県に向けて車を飛ばす。
夜中という事もあり、高速は乗らずに一般道で三重県に向かう。
横浜から R246 - R1 - R23 と走ってきたが、深夜なので一般道の割りにはかなり良いペースで走れた。

蒲郡あたりで車中泊し、早速三重県は半田へ。
南勢バイパスの整備に伴い新たに作られた新道を通っていく。
奥に見えているのが南勢バイパスだ。

新道が出来るまでは、この細い道路を車が行き来していた。
ま、今も昔もそれほど交通量はないけど。

写真では分かりにくいけど、この道沿いに開いている穴はどこも塞がれてはいないようだ。
この辺りの穴は、ただの磨き砂の採掘場跡で、しかも深さもないのでそれほど楽しめないが。

せっかくなので、堤防道路も見に行ってみる。

新道が出来た後、通行止めとなっているが、新道が出来る前はこの堤防からの転落事故で死亡者が頻発していた。
そもそも、何度も死亡事故が起きているのにガードレールを設置しない理由も分からない。

ちなみに、この堤防の左側へ延びる道路の池側には新しめのガードレールが設置されている。

南勢バイパスまで戻ってきた。
現在は盛り土されすっかり落ち着いた地形となっているが・・・。

以前探索していた頃は、地形改良の真っ最中。
木々が伐採され、そこら中に穴が出没していた。

当時工事現場の中にあった壕口は、現在は全て盛り土の奥へと埋められてしまった。
しかし、穴の中まではしっかりと埋められているわけでは無いのかも知れない。

と言うのも、付近の排水溝からは、地下水と混じって磨き砂が流れ出していたからだ。

磨洞温泉に近い、かなり大きい地下入口へと行ってみる。

時期的に草がすごいが、奥から冷気が吹き上がってくる。
これは、完全に開口しているはず!

がさごそと進んでいくと、以前と変わらぬ壕口が現れた。
塞ごうとした形跡も全くない。

外の暑さに比べ、あまりに内部が涼しそうだったので、ちょっとだけ入ってみることに。

内部の様子は特に変わった様子もない。

風の流れも充分にあるので、半田の寝仏に向かう途中にある壕口も、塞がれずに開いているのだろう。

この壕は何度も潜っており、目新しい発見も無さそうなので、早々に次の壕口を確認しに行くことに。

次に竹林の奥にある壕口を見に行った。

迷いそうなくらい荒れているが、これでも中部電力の鉄塔管理用道路のようだ。

壕口自体は完全に開口している。

ただ、この壕口はいつ来ても盛大に水没しており、進入することは出来ない。

この奥にもいくつかの壕口があるので見に行ったのだが、とにかく藪がすごい。
辺りの様子からしても、塞がれていることはないだろう。

ちなみに 一番奥のこの壕 が、軍需工場への突破口になりそうなので、藪が枯れてきたころに再度の訪問をしてみたい。

この小屋の裏手にも水没の壕口があったはずだけど・・・。

やっぱり今日も絶賛水没中。
ここの水が引くことは無いのかな。

続いて旧磨洞温泉の壕口に向かったのだが、藪がすごい。
この時期って、ここ、こんなに藪に埋もれてるのか・・・。

ちょっと進入してみるが、濡れた草木ですぐに体はびしょ濡れ。

そして、蜘蛛の巣が体中にまとわりつく。
今日は壕口の確認だけするつもりだったので、簡単なつなぎを着ただけの軽装備なのだ。
穴の規模や深さからしても、埋められていることは考えにくいので、ここはパスすることにした。

ちなみに、この壕も常に水没しており、探索にはウェーダーが必須だ。

過去に、ボートを持ち込んで探索した際 は、100m以上離れている先ほどの竹藪の中にあった壕口ともつながっていることを確認している。

続いて、『美女の里』 跡地の壕口を見に行くことに。

当時、駐車場があったと思われる場所には、当時の街灯の柱が残されている。

ここも藪がひどいが、場所的や、内部の設備的にも塞がれている可能性も高いので、壕口まで行ってみることに。

当時のフロントにたどり着いた。
特に塞がれては無さそうだ。

内部へと入れるドアは、簡単に塞がれているが、これはいつものこと。

奥の方にある壕口も全く問題なく開口している。
相変わらずゴミの山を乗り越えていかないと入れないけど・・・。

ちなみにここ、美女の里内部は、いろいろなものが大量に残されており、廃墟マニアにも楽しめそうな感じだ。
興味のある人は、 以前の記事 をどーぞ。

美女の里を後にし、びしょびしょの原っぱを進み道路へと戻る。

現在でも稼働しているという磨き砂の工場が見えてくる。
ん?

なんか、倒壊してるぞ!?

乾燥させている磨き砂の小屋が、完全に倒壊してる。
GoogleMapの2015年 1月 の写真 だと、まだ倒壊していないので、倒壊したのは最近という事か。

隣の小屋は問題なく残っているが、今でもこの工場は稼働しているのだろうか。

そのまま寝仏の方向へと進んでいく。
最近真新しいフェンスが設置されたようだが、これは不法投棄対策だろうか。

以前は車を駐車することが出来たスペースも、フェンスにより塞がれている。
ま、ここもゴミがすごかったからなあ。

奥を覗き込むと、どうやら寝仏はご無事の様子。

以前、寝仏のカバーが外されてる!!!
みたいな連絡をもらったこともあったが、現在は再びカバーされているようだ。

ちなみにこの寝仏の台座下には大きな空間があり、その空間にあるドアから地下へと潜ることが出来た。
その地下は、現在の磨洞温泉付近の壕口までつながっているのだ。

現在、寝仏の下にあるドアは溶接で開かなくなっているが、この壕はとても広く開口部も多いため、進入は容易だ。
内部の作りもかなり怪しい感じでとても楽しめる。
このあたりの記事 で紹介しているが、ここは半田の中でもお勧めの空間だ。

そういえば、この地下に隣接する地下に、『王』 という形の謎の遺構がある。
一見かまどのようで、煤けた跡もあったのだが、正体は不明だ。

この遺構に酷似したものが、岐阜県関ヶ原市のメナードランド跡地にあることが分かった。
メナードランドは遊園地だったのだが、この施設が出来る前、ここは、名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠だった。
つまり、陸軍の遺構という可能性が非常に高い。
半田にある、『王』 が残された地下壕 は、軍関連の施設だったという可能性が高いのだ。
実際、地下内部にはコンクリートで巻かれた内部や、天井の高さをかさ上げしている痕跡もあり、実際に稼働までしていたかは分らないが、ここも軍関係の工場とする予定だったと思う。

ということで、そろそろ戻り始めることに。
以前の記事を読んでいる方は、スイッチバックの壕口はどうなったの!?
と思われるかもしれないが、壕口は無事のようです。
ただ、農作業中で奥まで見に行くことは出来ませんでした。
yakumo氏の携帯も埋まっている はずだし、この壕は時期を見て訪問しなければ・・・。

すっかり完成している南勢バイパス。

以前は、まだ整地も十分じゃなかったのに・・・。

せっかく半田に来たので、磨洞温泉に浸かっていくことにした。

磨洞温泉はリニューアルして、とてもきれいになったが、お風呂の中は草生して、いい雰囲気のままだ。
他のお客さんがいて写真を撮ることが出来なかったが、おすすめ!

帰りは、岐阜県を抜けて国道 21号線から諏訪経由で横浜に帰る事にした。

今回は、時期的に藪もひどく時間的にも余裕がなかったが、また再訪したい。
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