
前夜に道の駅伊豆のへそにて車中泊。

翌朝合流した空母氏らと共に、多比の海岸近くに車を駐めて早速探索開始だ。

住宅地の細い道を上っていく。

以前訪れているので、全く迷うこと無く到着。
ここ、多比の軍需地下工場は、石切場を利用した軍需工場だったと言うことだ。

早速内部へと進んで行く。
入り口付近は昭和のゴミがたくさん落ちていた。

通路には、いつ頃の物だろうか、朽ち果てたトラックが駐まっている。

その先をどんどんと進んで行く。

地下工場に転用していたためか、内部は大きな崩落も無くとても広い。

しかし、軍需地下工場時代の遺構は現れない。

どんどんと奥へ進んでいくと、やがて水没エリアへ。
水深は奥の方で突然深くなっているので、ここはウェーダーでの探索も無理そうだ。
半田の時みたいに ボートを用意しなくちゃダメかな。

水没エリアは進めなかったので、違う方向へと向かう。
前回は夜中だったので良く分からなかったが、このように空に向かって石が切られている箇所がいくつも見られた。

この辺りも前回訪れた場所だが、一通り回って行く。

場所によっては大きな高低差があったりする。
水が溜まっているようだが、水深は浅そうだ。

段差には階段が作られたりしている。
こういう構造物はちょっとテンションが上がる。

奥へと進んでいくと、とても広い空間に出た。
しかし、軍需地下工場として稼働していたような感じではない。

広い空間をうろうろしていると、足下に小さなビンを見つけた。

水銀軟膠と書いてある。
帰ってから調べてみたら、どうやら薬のビンのようだ。

更に空間を進んで行くと、床がコンクリートで固められた空間が現れた。
しかし、これは軍需地下工場ではなく、戦後のキノコ栽培のものだろう。

その先に進んでいくと、柱の上部に高圧碍子が!

床面には機械を据え付けていたような跡もあるし、この辺りは軍需地下工場に間違いないだろう。

この機械を据え付けていたような跡はしばらく続いた。

そして、その先には、石切場の物とは明らかに異なる壕があった。
おそらく地下工場の利便性を上げるために、日本軍が掘削したのだろう。

壕の周囲にはたくさんのコウモリがぶら下がっている。
突然の訪問者に驚いたのか、こちらをきょろきょろと見回していた。

壕の両脇には排水のための溝も切られている。

そして壕を抜けるとその先には光が見えてきた。
どうやら山の反対側に抜けてきたようだ。

そこには柵が据え付けられていた。
柵の先は、住宅街のようだ。

とりあえずこのエリアは全て回ったようだ。

次なる地下工場跡を探しに行くことにし、この壕を出る。

住宅地を歩き、山の反対側へと向かう。

途中にあった急傾斜地崩壊危険区域の看板。
この看板の 1号標柱方面へと向かっていく。

細い路地を登っていくと、道路脇に『渋谷家』の標柱が現れた。

その先は舗装も無くなり踏み跡のみの山道となったが、かまわず登っていく。
しばらく山道をガサゴソとしていると・・・。

やっぱりあった、別の入り口。

早速内部へと進んで行くと、左手に何やら石碑のような物が建てられている。

どうやらこの穴は明治の頃に隧道として開削され利用されていたようだ。

入り口方向を振り返る。
とてもきれいに石が切られている。

内部は多少の崩落はあるものの、それほどの危険は感じられない。

途中、大きな縦の裂け目を発見。

裂け目は遥か上部まで続いていたが、これは自然の裂け目のようだ。

どこまで続いているのか、どんどんと奥へと進んでいく。

途中、いくつも高低差があり、水が溜まっている箇所があった。

だんだんとガレが酷くなってくる。

足下には瓦礫が散乱し、歩きにくい。

その瓦礫を乗り越えてどんどんと進んで行くと・・・。

その先は激しい水没となっており、行く手を阻まれた。

対岸は見えているのだが、深すぎて進めない。
地形図によるとこの先はすぐ山肌で外に抜けているようなので、無理せず反対側からアプローチすることに。

今来た道を引き返す。

そして、再び外に出て、山をガサゴソする。

薮の中をさまよっていると、またまた別の坑口を発見した。

かなり埋まっているようだが、十分に入れそうだ。

内部には高さ2m程度の空間が広がっていた。

先ほどいたエリアより更に床は荒れている。

どこかに抜けていないかと、奥へと進んでいく。

なんだかきれいに石積みされているぞ。
いつぐらいの時代の物なんだろう。

この空間はどこにも抜けていないのかな。

そう思って石の隙間を進んで行くと、外の光が差し込むのを見つけた。

ちょっと狭いけど、ここから外へと抜けられそうだ。

身体をよじりながら、脱出を試みる。
既に背中も靴の中も砂だらけだ。

外に這い出してみると、ここは完全に山の中のようだ。

しかし、その周辺を登っていくと・・・。

なんと石垣を発見。
これは、まだ何かあるぞ!!

当時の石垣に沿って、周囲を調べていく。

地図を見ながら辺りを探索するが、何も見つからない。

急斜面をずるずると降りていく。
谷の下に、何やら穴のような物が見えたのだ。

その谷の奥にはほとんど埋まりかけた坑口が。
なんとか入れそうなので、隙間から内部へと入り込んでみる。

内部に空間はあるものの、崩落がすごい。
でも、まだなんとかなりそうだし、行けるところまで行ってみよう。

なんだか本格的に崩れてきた。
おいおい、大丈夫なのか!?

そろそろ引き返そうかとも思うのだが、まだ空間は続いている。
この隙間の先まではとりあえず進んでみよう・・・。
そして、この先には想像を絶するもの凄い空間が!!!!
後編に続きます
- 関連記事
-
-
[探険] 津市半田地区磨洞温泉調査2014 - 中編 2014/01/31
-
[戦跡] 友ヶ島砲台探索 2011/07/11
-
[戦跡] かもめ団地 砲弾試験用着弾場跡 2009/04/27
-
[戦跡] 友ヶ島第2砲台右翼側探索 2012/03/19
-
[戦跡] 久しぶりに比与宇地下壕に潜ってみた 2018/03/06
-
[戦跡] 茂原海軍航空隊 長尾地下壕と腰当地下壕潜って来た 2015/03/13
-
千葉県の高藤山城跡付近の地下壕探索 2022/08/22
-