場所は日吉駅からほど近い、閑静な住宅地の中だ。

ということで、早速内部へと進入する。
ちなみに、今回はひょんな事から地主さんの了解を得ることが出来たため、正規 (といっても普段は塞がれているが)の壕口から入ることが出来た。

壕口から内部に入ると、すぐに盛大に水没していた。
以前潜った際には長靴でもギリギリ回れる程度の水没だったが、今回はひざ辺りまで水没しているようだ。
しかし、今回はウェーダーを装備しているので、かまわず進んで行く。

振り向くと、透明だった水は壕床に沈んだ土砂を巻き上げ、どんどんと濁っている。

真っ直ぐ進んでいくと水没も無くなっているようだったが、とりあえず左手 (北側) 方面を先に回ることに。

ジャブジャブと水没区間を進んで行く。
この壕は艦政本部壕として旧日本軍により作られたそうだが、見事なコンクリート巻きだ。
しかし、湿度が高い。

基本的に構造は碁盤の目となっているのだが、場所によってはこのように内径が絞られている箇所もある。
この先は埋め戻されているが、壕口となっていたのだろう。
ちなみに、進入してきた坑道も、ここと同じ構造だった。

水深はひざ程度なのだが、土砂の堆積がすごい上、場所によっては通路の真ん中に排水溝を設けているため、気を付けて進まないと転んでしまいそうだ。

濁って水中の状態が分からないため、注意して進んで行く。

奥へ進んでいくと、やがて水没は無くなった。
掘削時のズリ出し用トロッコ軌条の跡だろうか。
枕木の跡がくっきりと残されている。

横浜市の中心部に近いこともあり、壕の周りは住宅地だ。
開発によってこの壕も、当時掘削された面積の半分程度が失われているようだ。
このように、工事業者によって完全に外から塞がれている箇所が散見される。

坑道を一つずつ回って行く。
このエリアはほとんどの壕がコンクリートで巻かれていた。
しかも、坑道と坑道の接合部が、本当にきれいに作られている。

北側のエリアを一通り回ってきた。
奥に見えている光が漏れている壕口が、今回進入した壕口だ。
ここからは、南側エリアを回って行く。

重厚なコンクリートで厚く巻かれているが、端の上部が大きく崩落していた。
今他の部分が崩れてこないとも限らないので、どんどん奥へと進んで行く。

この坑道は天井部分のコンクリートが無くなっているが、実際にコンクリートが巻かれていたのは手前部分のみで、それ以外はまだ巻かれる前の状態のようだ。

そして、その先には、下部のみ巻き立てが無くなっている坑道が。
これは、コンクリート不足を補うために代わりに使用されていた大谷石を、戦後に引き抜いていった跡だという。
強度的に不安が残るが、場所によっては柱として大谷石がそのまま残されていたりもする。

更に奥へと進んでいくと、巻き立ては全く無くなり、素掘り状態の坑道が現れた。

終戦によって工事は中止されたのだろうが、この場所もコンクリートを巻く予定だったのだろうか。

自然の空洞に当たってしまったようで、天井部分が大きく無くなっている。
砂岩質の空洞表面には、化石のような物も見受けられた。

奥へと進んでいくと、坑道の真ん中になにやらある。

調べてみると、どうやらこれは集水枡だったようだ。
要するに、天井部分から染み出してきた水を濾過して利用する物だったらしい。
この壕には同様の集水枡が多数あったという。

進入した壕口付近はコンクリートで巻かれており重厚な作りだったが、南側エリアはほとんど素掘りの状態だ。

内部の掘り方などは、三浦半島に散見される日本軍が構築した地下壕に酷似している。

住宅地に存在するため、開口部はごく僅かで、内部に光は全く届かない。
唯一、進入口と反対側の斜面に開口部があったが、かなり狭いため出入りにはかなりの覚悟が必要そうだ。

一通り南側の最奥部まで回ったので、進入口に向けて戻り始める。

自然の洞窟のような素掘りの坑道を進む。
奥に行く際には確認しただけで通っていない坑道もあるので、そこを選んで戻っていくのだ。

また塞がれた壕口がある。
この向こう側は航空写真で見ると民家の裏手辺りのようだ。

そして、ここにも自然の空洞に当たったと思われる天井の高い坑道が。
先ほど見つけたよりもかなり広い空間が頭上に広がっている。

素掘りのエリアを延々と歩き続ける。

ようやくコンクリートで巻かれているエリアまで戻ってきた。

ここは水没もすごい。
コンクリートの強度が気になるが、とりあえずジャブジャブと進んで行く。

大谷石が抜き取られた跡が、まるで鉄道トンネルの待避所のようだ。

しかし、コンクリート表面に残されている木枠の跡が壮観だ。
これを見るためだけにでも、この壕に入る価値はあると思う ←

ちなみにこの壕も正式に調査されているようで、分岐点や角にマーカーがあった。

と言うことで、2時間程度の探索だったが壕内を全て回ることが出来た。
午前中の探索を終え、午後は約 8年ぶりの六浦地下軍需工場跡へ。
怪しい薬瓶はまだあるのかな??
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