この山頂に、およそ100年前に作られた砲台群が人知れず眠っているというので、早速見に行ってみた。

地元では丹後富士と呼ばれ慕われているそうだが、見事な形の山である。

前夜に yakumo氏と共に横浜を出発し、深夜には舞鶴に到着。
そのまま車中泊し、翌日早速山頂を目指すことに。

標高は300m程度しかないので、小一時間登ればたどり着けそうだ。
この標高をこの距離で登るという事は、険しい場所はなさそうだ。
100年前の砲台の稼働時にはこの道は軍道として馬車等も行き来していたのだろうから、緩やかに作ってあるはずだ。

軍道に沿って、いくつもの石柱が発見できた。
『陸界』と彫られており、この道や土地が、陸軍の管轄であったことが分かる。

踏み跡のような登山道をどんどんと登っていく。

なんだか、道がだんだん荒れてきた。
あれれ?
ここって、正式な登山道のはず・・・。

山頂に近づくにつれ、更に道が荒れてきた。
この山に登る人は、ほとんどいないのか!?

荒れ果てた登山道だったが、途中にはこんな素敵な橋が。

陸軍が構築した橋と思われるが、これだけの時を経ても、しっかりと原型を保っている。

頂上まであと 1Kmという看板が現れた。
暑さと湿気と、日ごろの運動不足のせいで、すでにくたくたである。

空がだんだんと開けてきた。
そろそろ山頂も近いようだ。

突然、レンガの壁が右手に現れた。
これが当時の砲台の遺構なのか!?

そのまま登っていくと、砲台の弾薬庫だろう。立派な掩蔽部が現れた。
草木が茂っており山頂からの眺望は全く望め無いが、遺構が目的のうちらには、十分すぎるご褒美だ。

くたくたになって登ってきた甲斐があったってもんだ。
早速、内部へと入ってみることに。
向かって一番右側にある掩蔽部から内部へ進入してみる。
左手には、隣の弾薬庫につながる開口部があるようだ。

奥の開口部まで行ってみる。
弾薬庫は5室並んでいるようだが、そのすべてが奥でつながっているらしい。

弾薬庫の奥側から、2番目の弾薬庫の正面に向いて撮影。
内部には基本的に何も残されていないようだ。

薄暗い掩蔽部の奥をどんどんと進んでいく。

一番奥にある弾薬庫までやってきた。
そこから外に出てみるが、藪がひどく、弾薬庫正面からの撮影は困難だ。

しかし、弾薬庫の奥に、さらに通路のようなものがあるのを発見!!
早速入ってみた。

奥に見えていた凹みは、内部との通気口かな?

内部は漆喰の塗られた小さな部屋となっていた。
これ以上ここには何もなさそうなので、今度はこの上部を調べに行くことに。
外は盛大にジャングルと化しているが、かまわず藪に突っ込んでいく。

これは、当時のトイレ跡だろうか。

石垣のある平場を進んでいくと・・・。

なにやら建物を発見。
側に行ってみる。

入り口付近には排水溝も切ってあり、なかなか丁寧に作ってある。

内部をのぞき込んでみる。
室内は窓もなく真っ暗だ。

開口部上部には、通気口だろうか、丸い穴が開けられていた。

部屋の内部は卵のように、角のない造りをしている。
大きな外観の割には、やけに小さな部屋だ。

部屋の一番奥から、入口方面を撮影。
これ以上、何もないので外に出る。

掩蔽部の上部後ろ側には、砲台が据え付けてあったと思われる平場があった。
という事で、山頂の様子をざっと紹介してきたが、もっと掘り下げて知りたい方は、同行の yakumo氏が記事を上げているので、是非ともご参照を! ← 丸投げww

ちなみに登っている最中は気が付かなかったのだが、木々の隙間からちょっとだけ眺望が!
低山とはいえ、上から見ると結構な高さまで登っているように見える。

そして、この荒れ果てた登山道だが、下山した後、地元の方とお話ししていたら、
『熊が出るようになってから、登る人いなくなった』 と・・・。
えーーーー ( ゚Д゚)

そして、熊だけでなく、登山道自体もかなりの亀裂が入っていたりと、結構痛み始めている。
崩れ出すと一気に崩壊が進みそうだし、今後の登山道の整備も気になります。

ま、そんなこんなで、探索を合わせて、正味 3時間程度の登山でした。
今回の舞鶴遠征では、他にもいくつかの遺構を巡っているので、探索の続きを記事に上げます (^^)/
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