今回の舞鶴探索最終日は、舞鶴のお隣り福井県は高浜町にある、吉坂(きっさか)砲台を探索することに。
ま、最終日と言っても昨日と今日の二日間だけの探索で、今夜には横浜に戻るのだが・・・。

午前中の探索を終え、舞鶴市内の遺構を探し回る。
いくつかの壕口は発見出来たものの、今回は深入りせず。
ま、近いうちにまた来るからね( ^ω^)

と言うことで、舞鶴市と福井県の高浜町の県境にある杉森神社へとやってきた。

鳥居の横には陸軍省の石柱が。
そう、この神社から山に登って行くと、頂上にあるのが吉坂砲台だ。
正式名称は吉坂本堡塁砲台と言うようだが、この記事では吉坂砲台と呼ぶことにする。

事前情報では、当時の軍道跡を辿り、道なき道を登っていくと言うことだったのだが、なんか新しい道が作られてる!?

GoogleMapには、軍道はもちろん、徒歩道すら描かれていない。
国土地理院の地図には、軍道の名残の徒歩道は描かれていたが、今回通った道はまだ乗っていなかった。

でも、Gppgleの航空写真には、新しく作られた道がはっきりと写っている。
どうやら高浜市が巨額の資金を掛けて、吉坂砲台を整備したようだ。
重機を山頂に運ぶためにこの道路を作ったのだろうか!?
と言っても、ハイエースで登っていけるような道では無いので、車は下界に置いてきた。

30分くらい山を登ると、頂上付近へと辿り着いた。
本日 2回目の山登りだが、距離はあっても傾斜が緩いので、それほど大変では無かった。

これは兵舎跡だろうか。
お金を掛けて整備しているだけあって、草木が刈られ、基礎がちゃんと確認出来る。
整備が入っていない状態だったら、基礎はおろか、この地形さえも確認出来なかっただろう。

木々の向こうに井戸が見えるので行ってみよう。

近づいてみると、なんとも面白い構造だ。
もしかしたら、下層に貯水タンクが構築されているのかもしれない。

井戸から歩いて行くと、ここにも兵舎跡らしき物が。
しかも、かなりの規模だ。
ここにはかなりの人数の兵隊さんがいたのかも知れない。

掘り割りの間に進んで行くと、今度は掩蔽部が見えてきた。

第二次世界大戦時に急造された戦跡と比べると、明治時代に作られた戦跡は本当に作りが良い。

内部は角が無い作りとなっている。
横須賀付近ではあまり見られない形だ。

奥に入って、入り口方向を撮影。
厚みもあり、非常に重厚な作りだ。

掩蔽部を出て、砲台跡へと行ってみる。
砲台が据え付けられていた所には大きな穴が。

当時は2つ並んだ砲台が 3セットあったようで、6門の砲座が残されていた。

砲座の脇には砲員の待避所が作られていた。

階段を降りて中をのぞき込む。
当然掩蔽部内は真っ暗だ。
もし中に兵士が隠れていれば、既にあの窓から撃たれているだろう。

内部はやっぱり角の無い卵形の作りとなっている。
外圧にも強そうな作りである。

最奥部から入り口付近を撮影。
壁には水が溜まっていた跡がくっきりと。
整備する前は、内部まで土砂や枯れ葉が堆積し、ぐちゃぐちゃの水没状態だったのだろう。
ここが一般公開されているのか分からないが、ここまできれいにして、道まで整備しているのだから、このまま人知れずにほっておかれるのはもったいない・・・(^^;
100万や200万の予算で出来る整備じゃ無いでしょ、コレ。

掩蔽部から裏山にちょっと登っていくと、そこには指揮所が。
こちらもきっちりと整備されている。
昨日の建部山砲台跡にも、もちろん指揮所はあったのだが、草木に埋もれ写真に写すことすら難しかった。
この状態にするのに、相当の労力がかかっているはずだ。

砲台から裏側を歩いて戻る途中に、またまた掩蔽部を発見。

同じ作りの弾薬庫が5個並んでいる。
昨日の建部山の弾薬庫とそっくりだ。
とりあえず、一番右端から入ってみる。

内部はがらんとしており、ゴミ一つ無い状態だ。
奥の左手に隣の弾薬庫との接続部が見えている。

奥から入り口付近を撮影。
夕刻の傾いた日差しが内部にまで届き、なかなか良い雰囲気だ。

奥の接続部に行ってみると、全ての弾薬庫が奥で接続されているのが分かる。
建部山砲台の弾薬庫同様に、一番右手の弾薬庫だけが、奥行きが短い。
これって、何かの意味があるのだろうか。

同じ図面を使っているとしか思えないほど、建部山砲台の弾薬庫とそっくりだ。
最奥の弾薬庫から外に出る。

ここで同行の yakumo氏発見!
山肌をガサゴソと歩いている。
なぜかいつも目的地に着くと、それぞれバラバラの探索になるのだ(*´w`*)

yakumo氏が発見した耐火煉瓦。
この文字って、煉瓦の刻印なのかな!?

付近には苔むした石臼のようなものが。
兵舎に近いし、この辺りは炊事場か水場だったのかも知れない。

日暮れ近くなってきたのでそろそろ山を下りることに。
道があるとはいえ、街灯の類いは一切無いし、携帯電話の電波も怪しい感じなので、暗くなる前には麓まで下りてしまいたいのだ。

早朝から一日探索を続けているので、足もガクガクしてきた。
ということで、このまま一気に横浜まで帰ろう・・・。

と、思ったのだが、敦賀まで国道 27号を走り、ちょっと温泉に♨♨

敦賀からは 8号線を走り、関ヶ原経由にて国道 21号へ。
下道はとっても楽しいのだが、明日の夕方から千葉の館山でキャンプ予定なので、可児御嵩インターから東海環状に乗り、そのまま新東名で横浜まで帰りました。

今回の舞鶴遠征、二日間の走行距離 1254Km。
内、高速道路 941Kmでした。
横浜から週末に車で行くにはちょっと距離があるけど、舞鶴鎮守府の司令部地下壕。
その、壕口を見てしまったからには潜りに行かねば!!!
- 関連記事
-
-
滋賀県にある土倉鉱山跡を見に行ってみた 2022/04/28
-
[戦跡] 陸軍関ヶ原火薬庫跡を見に行ってきた ~ 後編 2017/01/12
-
[戦跡] 浅川地下壕探索~中編 2012/08/07
-
尾去沢鉱山を見に行ってきた~地上遺構編 2016/09/13
-
[戦跡] 浦賀で新たに見つかった巨大壕に潜ってきた 2021/10/04
-
いすみ市にある白土鉱山に潜って来た 2020/02/11
-
半田地下壕の穴の様子を見に行ってみた 2016/07/21
-