その岬には、『弁財天洞窟』という洞窟があるという。
なんでもその洞窟は、3Km先の那古舟形まで続いており、過去には中に入っていった小学生が行方不明となる事件も起きているという。← (ソースは見つけられず)
これは内部を調べに行かねば!!!

と言うことで、千葉の探索スペシャリストの方々と、その弁財天洞窟に潜ることになった。
夕刻、待ち合わせ地点である大房岬に到着。

弁財天洞窟は、基本的には観光地であるため、観光客がいなくなった深夜に潜ることに。
まずは、海鮮を焼いたり肉を焼いたり(*´w`*)

腹も満たされたので、そろそろ探索に向かうことに。
ここ、大房岬は砲台跡が残されていたり、戦時中の探照灯が残されていたりと、あちこちに遺構がたくさんあるのだ。

戦時中に、敵機を照らすための昇降式ライトを格納する大きな穴も、そのままの姿を残している。

まあ、今日の目的はこっちじゃ無いので、早速弁財天洞窟へと向かう。
真っ暗で急な山道を進んで行く。

まとわりつくような真夏の空気と、足下から聞こえる波の音。
かなりの高低差を移動してきたその時・・・。

ここだ!!
弁財天洞窟だ。
千葉県が設置した説明板が立っている。

確かに説明板にも、『まだどのくらいの深さか、確かめられていません』って書いてある。
よーし、じゃ、確かめてみようじゃないの( *¯ ꒳¯*)

足下には、巨大な大穴が地下に向かって口を開けている。

戦跡調査で名高い祐実総軍三等兵氏が内部へと下って行く。

斜面を 10m程度下ると、広い空間が現れた。
そこには小さな祠が祀られている。
奥にはまだまだ洞窟が続いているので、どんどんと進んでみる。

自然の洞窟だと思われるのだが、床面がやけに均されているような気もする。
大きな岩が立ちはだかり、もうこの先には進めないと思われたのだが・・・。

岩の隙間からまだ奥へと進めそうだ。

隙間をくぐり抜け先に進むと、またちょっと広くなる。
しかし・・・。

洞窟に入って僅か 30m~40m程度にてまさかの閉塞。
案内板にも、『奥が深く』って書いてあったよね!?

相当な深さがあることを期待していたのに、まさかの、あっという間の閉塞(^^;
ちょっとがっかりしながら、入り口へと戻る。

入り口の高低差とか規模からすると、深そうに思えるんだけどね。

その後は翌日のガチ探索に向けて、それぞれ就寝。

翌朝早朝、キャンプ地を撤収し・・・。

せっかくなので、要塞跡を見ていくことに。

要塞跡と言っても、この掩蔽部は正式に公開されているわけでは無いようで、平場奥の茂みからちょっと入ったところに存在している。

と言うことで、大房岬は以前探索済みなので、この後、千葉県の探索メンバーに、付近の地下壕を案内してもらうことに。
館山市九重地区地下壕探索 に続きます
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