
大崩から 30Km 程度南下した、静岡県の牧之原市へと移動する。

ここの壕は水没もすごいのだが、辿り着くのにかなり急な斜面を下る必要がある。
ウェーダーやロープを準備して早速壕へと向かう。
時間はもう 16時近い。
暗くなる前には戻りたい。

壕に向かう途中、平場の中に欄干だけが残されていた。

過去の航空写真を調べてみたら、1960年頃まではここに水路があったようだ。
ちなみに、壕はこの写真の右上の森の中にある。

もともとこの場所は軍用地だ。
当時の軍の遺構が今でも倉庫として利用されていた。

先ほどの航空写真に写っていた森の中へと足を踏み入れる。
平地の中で、この場所だけが険しい谷となっているのだ。

わずかに残る軍道の痕跡を辿りつつ、谷底へと下って行く。
谷底に下りきる辺りは斜面が切り立っており、非常に苦労して下っていく。

この谷にはいくつかの壕が残されているのだが、まずは水没がそれほど無い壕へと進入する。

単純な作りの壕だが、分岐があるだけでちょっとテンションが上がる。

当時のトロッコ軌条の枕木の跡が残されている。

一通り全ての坑道を回って行く。

一部水没部分があったが、ウェーダーが必要なほどでは無かった。

僅かな時間で壕内を回ったのだが、その間に 祐実総軍三等兵氏 が、あっという間に 壕内図を書き上げて いた。
この空間認識能力には本当に感心する。

時刻は 17時を回ったが、せっかくここまで苦労して下りてきたので付近にある水没壕へと移動する。

と言っても、まともな道があるわけではないので、少しの距離を移動するのもかなりの労力を要する。

山肌を移動していたのだが、あまりに薮が酷いので、一旦沢に降り、沢を歩いて行く。
うみ氏はウェーダーをゴミ袋に入れて持っているのでとても大変そうだ。

壕口の目星を付けた付近から、斜面を登っていく。

急な斜面を登り、周辺の薮をかき分けると・・・。

入り口付近より盛大に水没している壕口を発見。

早速ウェーダーに着替え、内部へと。

空母欲奈 氏に先導され、水没壕へと入っていく うみ氏。

先頭を歩かせてもらい思わずニッコリ状態の うみ氏。
まだ水が撹拌されておらず、足下まで視界がある。
これは、先頭を歩く者だけの特権なのだ。

その間も、祐実総軍三等兵 氏は壕内図の作図に余念が無い。

複雑な構造では無いが、この壕は全体的に水没している。

奥へ奥へと進んで行く。

そして、壕内の全ての坑道を回ったので、そろそろ脱出することに。
余程水没が気に入ったのか、終始

壕を出ると辺りはすっかり暗くなっていた。

懐中電灯の明かりを頼りに、ロープの所まで戻る。

ここから谷の上に登り切るのはひたすらの苦行だ。
切り立っているのは一番下だけとはいえ、高低差 65mをつづら折りしながら登っていかなくてはならないのだ。

と言うことで、息を切らせながら斜面を登っていく。
晩秋の空気に冷やされていた体が一気に温かくなる。

全員無事に生還。
駐車場で一服しながら一日の探索を振り返る。
この谷自体かなりの広さがあるので、もしかすると他にも壕があるのかも知れない。
また、この谷から道路を挟んだ反対側の谷にも大規模な地下壕があるので、今度はそちらにも潜りに行きたい。
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