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デジタルから穴ログまで、日々の改造・探索を綴ります ((((っ´ω`)っ

吉見百穴周辺遺構を見に行ってみた  2018-11-13

埼玉県の吉見町にに、吉見百穴と言う遺跡がある。
その周囲には、旧陸軍が構築した地下壕が残されているというので、見に行ってみた。


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某日前夜、横浜市内でメンバーと集合。
早速現地へと向かう。
現場は観光地であるので、夜間のうちに下調べをしておこうという算段だ。




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現地に到着し、暗闇の中、調査を開始。
街道沿いに大きな壕口があるのを発見。




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内部は、激しく水没しているため本日の装備だと進むことができない。
ここは、次回にウェーダー等の装備をして再訪することに。




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周辺のお寺の裏や、廃ホテルの周囲の穴を調べた後、近くにある道の駅にて車中泊。
明日は朝から吉見百穴にある地下壕を見てみることに。




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朝一に吉見百穴へと移動。
夜中に地下壕に入らなかったのは、ここは一応有料の観光施設なので、無料で夜中に侵入するのはなんだか気が引けたからだ。




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受付で入場料を払う。
しかし、そこには地下軍需工場、点検調査中の張り紙が!!




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早速内部を確認してみる。
照明は灯っているが、点検調査中という事で、内部はがらんとしている。




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このエリアは、通常なら正規に入れる場所だが、見学者はもちろん、調査員もいないようだ。




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静かな壕内は、風が抜け、乾燥している。




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この地下壕は、戦時中に中島飛行機の疎開工場として作られたという。




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機械を運び込み、実際に稼働していたというが、公開されているのはごく一部のみだ。




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一通り公開部分を見て回ったので、今度は非公開部分を見に行ってみる。




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非公開エリアの壕口には、真新しい柵がしっかりと取り付けられている。
この柵は、以前には無かったものだ。
昨日夜に見た壕口にあったものと同じものなので、同時期に行政が事故防止のために設置したものだと思われる。




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簡単に入ることが出来なくなったので、ちょっとだけ内部の様子を・・・。




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公開部分と違って風が抜けないせいか、内部は非常に湿度が高いようだ。




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非公開部分の壕の天井部分には、地下工場稼働時にクレーンのレールをはめ込んであったと思われる掘り込みも残されている。




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整備されている訳でないので壕床には至る所に土砂が堆積しているが、通り抜けられない場所は見受けられない。




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ただ、場所によっては貯水に利用していたような個所もあり、足元もぐちゃぐちゃな場所も多かった。




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ちなみに、非公開部分の正面には4つの壕口があるが、ここだけが古い柵のままだ。




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その他の壕口も、全てがっちりと塞がれてしまっていた。




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吉見の地下工場を探索し、次に同じ吉見町にある、八丁湖公園へとやってきた。
この公園内にも横穴群の遺跡があるのだが、ここにも軍が掘った穴が残されているという。




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早速横穴群を見に行くが、草が生い茂り、斜面を確認するのは困難だ。
しかし、『この中に入ってはいけません』の看板が。
きっと、この奥だな。




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目印の看板の奥へ進むと、やっぱりあった地下壕の入り口。
横穴の遺跡を広げたのだろうか、四角い断面の奥は円形に掘り進められている。




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早速内部へと進んでいく。




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ガレの多い穴を進んでいくと、やがて前方に閉塞点が。
しかし、左手にはまだ坑道が続いている。




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左手に曲がると、そこには古びたベンチが置かれていた。
以前はここに入ってベンチで休憩できたのか!?
まさかね。笑




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ベンチを越え、更に奥へと進んでいく。
温度と湿度が急激に高くなる。
閉塞が近そうだ。




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奥は、右手に折れ、ちょっと下って閉塞していた。
掘りかけなのか崩落なのかはよくわからなかったが、土砂の堆積からは掘りかけの手前が崩落しているように見えた。




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穴から出て周囲を調べていると、もう一つ、先ほどと同様の看板が立っていた。
ここにもあるのね・・・。




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看板の奥にはやはり大きめの壕口が口を開けていた。
しかし入り口は崩落しており、とても狭い。




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なんとか体を滑り込ませて内部へと進入する。




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堆積した土砂の上を這いつくばるように進んでいく。




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しかしこちらの壕は単独壕のようで、20mほどで閉塞していた。




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吉見の廃ホテル脇にも巨大な地下壕があるのだが、昨夜に見た通り、ウェーダーが無いと探索できないほどの水没なので、今回はこれにて探索終了!
横浜への帰りがけに、飯能にあるコンクリート遺構を見て帰ることに。




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車を停め、山へと入っていく。
この奥に、コンクリート製の監的壕という遺構があるという。
監的壕とは、砲撃の着弾点や命中率を確認するための施設らしいが、こんな所にそんなものがあるとは知らなかった。




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荒れた湿地帯を緩やかに登っていく。




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更に足場が悪くなってきた。
こんなところに本当に遺構なんてあるのか!?




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足元をドロドロにして登ってきた。
すると突然目の前に・・・。




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コンクリートの遺構が!
これが、監的壕か!!




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削れてしまって見えにくいが、たしかに監的壕と扁額がかかっている。
その横には、昭和十六年十一月三日竣工の文字が。
真珠湾攻撃の1か月前の竣工だ。




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内部は単純な構造であるが、コンクリートの品質も良好だ。




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上部へ上がってみる。
山の斜面に突然掘り込みが作られている。
昼間なら良いが、夜間に知らずにここを歩いていたら、穴に気づかず落下してしまいそうだ。




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高さは2mちょいくらいだろうが、足場が滑るためちょっと怖い。




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ということで、一通り周囲を見て回ったので、そろそろ下山することに。




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横浜に戻り、本日の探索、無事に終了!

吉見の岩窟ホテル脇の水没地下壕へと潜ってきました!!


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