その頂上付近に、高射機関砲の陣地があったという。
太平洋戦争時に、富士川橋と国道1号の富士川橋を守るために作られたという陣地を、静岡県在住の 空母欲奈氏 に案内してもらってきた。

朝9時に富士川SAにて待ち合わせ、まずは作戦会議。
祐実総軍三等兵氏と、すじ氏と共に、合同探索に向かう。

愛宕山地下壕に向かう途中、付近の壕にも寄ってみることに。

踏み跡を頼りに山へと登っていく。

すると、早速大きな壕口が口を開けている。

壕口付近は水没は浅いものの、まるで底なし沼のように泥が堆積していた。

辺りにあった木々を利用し、なんとか橋を架けて内部へと進入する。

早速奥へと進む。
その後右手に折れると・・・。

どうやら、崩落して塞がっているようだ。

崩落の上部には隙間が開いているように見える。

ライトを消してみると、外光が差し込んでいた。

と言っても、とてもじゃないけど抜けられる隙間はないので、坑道を戻ることに。

底なしのぬかるみを越え、壕内を出る。

1発目の壕から、既に足下はドロドロに(^^;

その後、再び山中を進むと・・・。

今度は小さな壕口が。
こちらの穴もすぐに崩落で終わっていたのだが、この穴の付近に大きな遺構が!!

なんと山の斜面にコンクリート遺構が鎮座している。
方角は富士川方面に向いているようだ。

コンクリートの中央には銃眼が口を開けていた。

裏側に回ってみるが、土砂が大量に流入。

坑道の土かぶりが抜けてこのようになっているのかは不明だが、付近には壕口があったらしき痕跡も見受けられた。

こんな立派な遺構があるのだから、他にも付随施設があるのではないかと辺りを探索したのだが、残念ながらこれ以上の発見は出来なかった。

このエリアで時間を消費するわけにもいかないので、一旦車へと戻る。

愛宕山地下壕までは、落ち葉に覆われた林道を上がって行く。

だんだんと道が荒れてきたので、途中で車を止めてここからは徒歩にて登っていくことに。

車高が高めの車なら、四駆でなくても十分行けそうな道を山頂に向けて歩いて行く。

やがて、『平和祈念の碑』が見えてきた。

碑の横には愛宕山地下壕の概要が書かれている看板が。
第二次世界大戦時に、陸軍が本土決戦に備えて米軍を阻止するために構築した旨が書かれている。
(興味のある方は、クリックで拡大画像が別窓で開きます)
規模はそこまで大きく無いが、書かれている壕内図には分岐も描かれており、期待が膨らむ( *¯ ꒳¯*)

早速壕口を見に行ってみる。
先ほどの看板の図の一番下の部分の壕口だ。

内部を覗いてみると、奥深くまで坑道が続いているのが見える。
早く、中に入りたい!!!
と言うことで、次回、[戦跡] 富士川近くにある愛宕山地下壕探索~後編 へと続きます。
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