
と言うことで、早速ガソリンを満タンに。

でも、今回はあくまで家族旅行のついでなので、横浜を出て、新潟→富山→石川→福井を経由して、オール下道で京都の舞鶴までやってきた。

4ヶ月ぶりにやってきた赤レンガ倉庫。
ここに家族を残してちょっとだけ探索へと行ってみることに!!!

奥に見えている小高い丘の内部に、舞鶴鎮守府の地下壕が眠っているのだ。

当時から平場だったのだろうか。
地下壕の壕口前にはかなりの広さの平場が広がっている。

平場に無造作に置かれているパイロンの下には、排水溝らしき跡が。
まあ、当時の物では無さそうではあるが・・・。

そしてこれが この夏に舞鶴に行った際 に見た舞鶴鎮守府の地下壕の壕口だ。
こんな大きな壕口があるのだから、周囲にはもっとたくさんの壕口があるはずだ。
前回は行政関係者の案内人がいたので無茶出来なかったのだが、今回は、時間の制約はあるものの、単独探索だ。

まずは塞がれた大きな壕口を調べてみる。
最上部までびっしりとコンクリートブロックで塞がれている。
壕口上部には、鉄製の遺物が遺されている。

コンクリートブロックは壕口の前面を覆うように施工されており、ここからの進入はちょっと難しそうだ。

ちなみに、壕口の両脇にあるコンクリートには、大きなスリットが設けられていた。
後年に作られた法面の擁壁ならばこのような溝は必要ないはずなので、これは当時の物なのかも知れない。

塞がれた大きな壕口から左手にガサゴソと薮に突入。
すると、すぐに壕口が見えて来た。
こんなにすぐに見つかるとは!!!

落石防止柵の内側に潜り込み、早速壕口の前へ。
コンクリートが巻かれた立派な坑道だ。
奥には土砂が見えている。

奥へと進んでいく。
かなりの量の土砂だ。

奥を調べてみると、完全に土砂で埋まっている。
どうやら人為的に破壊しているようだ。

壕内から、壕口方面を見てみると・・・。

壁面には多数の穴が。

反対側の壁面にも同様に多数の穴が開けられている。
どうやらダイナマイトで爆破し、壕口を塞ぐ準備をしていたようだ。

ちなみに、この壕口の真上には、通気口が設けられていた。

今でもしっかりと上部へ抜けている。

司令部壕の内部に入れる所は無いかと、更に薮をガサゴソしていると、再び壕口を発見!!!

こちらもコンクリートが巻かれており、しっかりした作りとなっている。

神奈川県にある城ヶ島の地下壕 と似た、真っ白い通路が奥へと伸びている。
奥には扉の跡らしき物も・・・。

しかし、こちらも盛大に崩落しており、奥へ進むことは出来なかった。
奥にちょっと隙間があるように見えるのだが・・・。

上部には瓦礫が詰まっており、とても進んでいける状態ではなかったのだ。

この壕口も、人為的に爆破しているように見えた。

また、こちらの壕口の入り口付近にも、ダイナマイトを差し込むための穴が。

あくまで憶測になるが、壕口付近を爆破すると土かぶりが薄く、いずれ進入可能になってしまうので、より確実に進入出来なくするために、奥に爆薬を仕掛けたのではないか。
三重県の半田でも同様な爆破解体を見ているが、それと似ているように感じたのだ。

しかし、壕口付近の作りはホント素晴らしい。
もしかしたら司令部内部はコンクリートで巻かれているのではないかとも思えてくる。

他にもきっと壕口はあると思うのだが、これより先は自衛隊の管理用地だ。
さすがに自衛隊用地の柵を越えることは出来ないし、もし越えたとしたら、記事にすることも出来ない(^^;

しかも、この柵の向こう側は、すぐに自衛隊の建屋が並んでいる。

と言うことで、時間がもう無いのだが、今度は塞がれた巨大壕口の右手を調べてみることに。

しかし、見える範囲には壕口らしき物は見当たらない。

もう少し時間があれば、山の向こう側を調べに行けるのに・・・・。
と言うことで、30分程のスピード探索だったが、奥が破壊されていた、2つの壕口を発見することが出来た。
この様子だと、他の壕口を見つけたとしても爆破されている可能性が高いが、実際に見てみるまではなんとも言えないので、ここはまた、本格的に調べに来ようと思う。
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