北側にある三戸北洞窟陣地に比べると規模は小さく構造も単純なのだが、ここはなかなか見所があった。

見えてきた南端の岬。
この中に構築されているのが三戸南洞窟陣地である。
岬に向かって歩を進めると、公衆トイレの裏手あたりに銃眼を発見。
便宜的に銃眼Aとしておく。

山肌を銃眼に向かって登っていくと、シンプルな意匠の銃眼が目の前に現れた。
銃眼A

懐中電灯で中を照らしてみると奥に続く通路が見えている。
早速壕内へと進入していく。

突き当たりを左へと折れるとかなりの長さの坑道が続いていた。
洞床に這っている白いラインはリボンテープで、おそらく過去にこの壕内を探索した方が、迷わないようにと入り口からテープを曳いていったのだろう。
壕内のあちこちでこの白いテープを見ることが出来た。
ちなみにこの通路の先は二手に分かれており、どちらも山中に開口している抜け穴へと続いていた。
入り口付近に戻り、今度は右側の壕内を探索していく。
すると先ほど進入した銃眼の先に、もうひとつの銃眼を発見。
これが銃眼Bである。
銃眼B内部

この銃眼の内部には、当時機関銃を設置していたと思われる台座がそのまま残されていた。

銃眼の脇に、もう一つ小さな穴が開けられていた。
もしかすると、狙撃手に指示を出すために外を監視するための穴だったのかも知れないが、あくまで推測である。
銃眼B外観

この銃眼を外側から見てみると、意匠されたコンクリートがはめ込まれている。
ただ、左手の小さな穴が監視用であるならば、コンクリートの厚みを考えると何かしらの装置を設置しないと、広範囲の監視は出来なそうだ。
やはり別の目的があるのかも知れない。
詳しい方がおられたら、是非真意を知りたいところである。

また、この壕の内部には梯子状に掘削された通路があり、方角を意識していないと単純な構造の割りにすぐに迷いそうになってしまう。
懐中電灯に照らされている部分しか視界が無く、壕内の景色も似ている為、リボンテープでマーキングしていくか、壕内通路図を参照しながら探索しないと危険かも知れない。

梯子状の部分に進入すると一定間隔で分岐が現れ、まるで迷路のようである。

しかも帰り道に銃眼Aに向かう通路で、壕内地図を見ているのにもかかわらず迷いそうになった。
銃眼Aに向かっているつもりが、2回も違う抜け穴に出てしまったのだ。

ちなみにこの写真、左側に写っているのが銃眼Bである。
その右手にもうひとつ掘削途中の銃眼が存在していた。
掘削途中の銃眼C

掘削途中で終戦となり、そのままにされているのだろうか。

壕内の通路は銃眼Cに向かって奥へ伸びていたので、完成していれば銃眼として機能していたのだろう。

陽が傾き始めた洞窟陣地を背に海岸を歩いていると、大量の昆布が風に揺れていた。
再訪してきました!
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