その近くに、大正時代に陸軍によって作られた西浦砲台がある。
結局、地盤の悪さにより、配備前に計画は中止されたが、現在も、遺構はそのままになっている。
今回は、その西浦砲台の観測所が山中に残されているというので、見に行ってみた。

2019年のゴールデンウイークのちょっと前。
新潟県でスクートを滑りまくったあと、そのまま横須賀市へ向かう。
深夜に、静岡県から遠征してきた 空母欲奈氏 と落ちあい、駐車場にて車中泊。
明け方近くまで飲みまくってしまった。

翌朝、 Yakumo氏、あけ氏 と共に、4人で西浦砲台の左翼観測所へ向かう事に。

西浦砲台の観測所は、砲台から南へ 1Kmほどの山の山頂付近にあるという。
しかし、山頂付近には背丈を越える藪が群生し、遺構の発見は困難を極めるとか・・・。
大丈夫かな・・・。
立石付近から踏み跡を辿り、山を登っていく。

わずかな踏み跡を辿りながら、山頂を目指す。
初夏の太陽が照り付けて、たちまち汗が噴き出してくる。

どんどんと登っていくと、貯水槽のような遺構を発見。
コンクリートを見る限り、当時の遺構のようだが、観測所はこの付近なのだろうか。

辺りを調べていると、標柱を発見。
確かにこの山は、陸軍の管轄地だったのだ。

しかし、辺りをガサゴソするが、一向に観測所が見つけられない。

背丈をはるかに超える竹藪の中をどんどんと進んでいくと・・・。

徐々に、前方が明るくなってきた。

藪の中から突然現れた、観測所遺構。

藪の中で、コンクリートで作られた、この遺構部分だけが、草木の浸食を免れている。

掩蔽部を通り抜け、手前にある小さな広場へと移動する。

石積みされた階段が朝の光を浴びていい感じだ。

階段を上がっていくと、砲台長の指揮所が。

そして、鉄製の扉が据え付けてあったと思われる二つの大穴が。
なんだろう、これは。

コンクリート上部には、太いボルトが突き出ている。
おそらく、鉄製の蓋があったのだろう。

大きく開けられた穴を調べてみる。
穴は、すぐ下の、掩蔽部へと通じている。

左側の穴。

そして、これが右側の穴。

下側から見るとこんな感じだ。
伝声管かなとも思ったが、それだけの用途としては形がおかしい。

何かの装備を行き来させていたのかも知れないが、確証は得られなかった。

今度は、奥にある部屋を見に行ってみる。

かまぼこ型の掩蔽部の真ん中を、レンガの壁で仕切っている構造のようだ。

ドアのヒンジごともぎ取られた跡が残っていたが、当時は鉄扉が備え付けられていたのだろう。

斜面をよじ登り、半地下構造の遺構全体を見てみる。

ほとんど訪れる人がいないだろう、この遺構だが、人知れず山中に当時のまま残されているというのがたまらない。

十分に遺構を堪能したので、そろそろ山を下りることにする。
先ほどの激藪を抜けるのも大変そうなので、歩きやすい場所から山を下っていく。

踏み跡も無いような山中を、少しずつ下っていくが、急斜面があったり、行く手を木々に阻まれたりで、なかなか降りることが出来ない。

しかし、時折発見される旧軍の標柱により、まだ、軍の管轄地の中にいることが分かる。

正直、撤収にこんなに苦労するとは思わなかった。
木々に電波が遮られ、GPSの位置情報も怪しくなってきた。

あ、また標柱がある。

という事は、ここはかつての軍道なのだろう。

無理矢理高さを下げながら進んでいくと、やっと近年の踏み跡を発見。
これで、住宅地まで降りることが出来そうだ。

という事で、横須賀市にある西浦砲台左翼観測所を見に行ってみたのだが、思った以上に到達が困難な物件であった。

自分はこの後、用事があったため探索から離脱したが、このあと西浦砲台の本体にも訪問しているので、興味のある方は続きをどうぞ!
Yakumo氏レポ
空母欲奈氏レポ
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