横須賀市にある夏島には、数々の軍事遺構がある。
夏島貝塚のある小高い山には、明治時代に構築された砲台跡や、大戦時に構築された海軍の遺構が時が止まったかのように残されていた。

夏島に到着し貝塚のある山の周りを自転車で回ってみたが、山の周りは高いフェンスに囲まれている。
近くの工場の守衛さんに聞いてみた。
「あの山の頂上に行く方法は無いんですか?」
「あー、あそこは入れないよ。登っても何にも無いよ」
入れないと言いながら、なんで何も無いって知ってんだよ、と思いながら、山の周りをさらに進む。
道沿いの所々に埋められた坑口が見えている。

山の周囲は全てフェンスにて囲まれていた。
こんなに切り立った山の山頂まで登れるのかと一抹の不安を残しながらも、取り合えずフェンス内に潜入。

山肌に沿って歩いていくと、実にたくさんの坑口がある。
ほとんどがコンクリートによって塞がれていたが、塞がれていないものを発見。
おそらく3層構造の1F部分だと思われる。

覗き込んでみると中に格子状の柵があるものの十分に進入可能だ。
今回は外部調査であるため壕内には入らない予定であるが、好奇心に負けちょっとだけ進入。

壕内には当時のものと思われるドラム缶が散乱していた。

地下壕を出て山肌に沿って奥へと進んでいくと、階段を発見。
早速頂上に向かい階段を上っていく。
すると、中腹に巨大な坑口が開いており、すぐ横にコンクリート製の遺構があった。
場所的にはトイレの基礎部分と思えるが、どうなんだろう。

遺構の横の坑口から中を覗き込む。
この坑口は2F部分入り口と思われる。
ちなみに2F部分の壕は、8本の坑道と5本の坑道が格子状に掘削されている。

振り返ると坑口に眩い光が見えている。
かなり大きい坑口であったが、20m程進むと内部は真っ暗となる。

壕内探索は次回のお楽しみであるので、壕を後にし、さらに山頂を目指していく。
途中、コンクリートで塞がれた坑口がたくさんあったが、この坑口は3F部分と思われる。

頂上に辿り着くと平場があった。
平場にはコンクリートの基礎が残っていた。
大きさを見る限り、水場かトイレかと思われる。

さらに平場の周辺を探索していると、海軍の測点柱を見つけた。
この場所が立ち入り禁止となっているおかげか、非常に良い状態が保たれている。
ちなみに、この測点柱は上半分が少し細くなっていた。
元々何かの標柱として使われていたものの表面を削り取り、海軍測点柱として再利用していると思われる。

眼下には日産自動車の工場群が立ち並んでいた。
標高 50mかそこらの山ではあるが、こうしてみると随分と高く感じる。

平場から頂上付近を進んでいくと、今度は海軍の航空隊監視鉄塔が現れた。
戦後六十余年も経っているが、それほどの痛みは無い。
当時の黒・黄ペイントがしっかりと残っていた。
最上部へと登りたかったのだが、単独で登って、落ちて気でも失ったらまずい。
一人じゃないときに登ることにしよう。

更に奥へと進んでいくと、埋もれた遺構を発見。
明治時代に作られた弾薬庫だろうか。
かろうじて開いている隙間からカメラを突っ込んでフラッシュ撮影してみる。

内部はレンガで巻かれ、非常にきれいな状態で保たれていた。
真ん中に落ちている墓石のようなものが非常に気になるが、何であろうか。
スコップ持参でちょっと掘れば進入出来そうなので、次回に調べよう。

平場には他にも、何かの基礎のような遺構が残されていたが、建物の基礎ではなさそうだ。
大戦時の遺構かと思われるが、調べた限りでは、ここに建物が建っていたという記録は見つけられなかった。

その先に、長方形の煙突のようなものが突き出ていた。
地下部分との通気口かと思うが、上部は塞がれているため詳細は分からない。

上部にはボルトが突き出ていたので、当時はこの上に屋根のようなものを取り付けていたのかも知れない。

先ほどの弾薬庫と同型と思われる遺構を発見。

しかし、入り口部分はコンクリートにより閉塞していた。
これだけ厳重に塞いでいるという事は、この弾薬庫と地下壕が接続しているのかも知れない。

平場に突き出ているたくさんのボルト。
ボルトの下にはコンクリートが打たれていた。
ここは、砲台が取り付けられていた砲座跡と思われる。
これと同じようなものが何箇所か存在していた。

次に見つけた遺構には、思わず息を飲んだ。
西日に照らされたレンガと上部の緑の対比がとても美しい。
まるで現役の施設のようである。

イギリス積みにより積み上げられた開口部付近のレンガには、当時の物と思われる碍子が残されていた。
こんな素晴らしい歴史的建造物が、管理されずに山頂に残っているのには正直驚きだが、しっかりと管理されて、柵でも作られてしまったら、それはそれで悲しい事だ。

白く塗られた内部の壁面は、差し込む光に照らされて輝いていた。
奥行きは6mほどしか無いが、随分と広く感じる。

振り返ると、シンメトリーとなった窓からの光が美しい。
しばらくぼうっとしていたら、遠くで野球をしている声が聞こえてきた。

山を降り、次回の内部調査に備えて開口している坑口を確認していく。
開いているものと閉じているものの基準が良く分からないが、たくさんの開口部が見つかった。

ちなみに大きい坑口になると、高さ6mほどのものも存在していた。
コンクリートにて閉塞されている中央部に四角く埋められている部分が見えるが、この部分だけで学校の昇降口くらいの広さがあった。

この図を見ると、飛行機が格納できそうな坑道が掘削されているが、実際に大戦時には飛行機を格納していたそうである。
今回の調査では、山頂の平場を中心に回ってみたが、次回の夏島調査レポートでは、3層構造の地下壕の紹介予定である。
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