
今回も、週末 2日間のみの弾丸探索だ。
横浜でyakumo氏 と 祐実総軍三等兵氏 を乗せて、新東名をひた走る。
今回は、自分を含めたこの3名の他、静岡県から 空母欲奈氏、奈良県から O氏の、計 5名での探索となる。

伊吹PAで空母欲奈氏と合流し、舞鶴若狭自動車道を走り、舞鶴PAに到着。
時刻はすでに夜中の2時を回っていたが、寝る前にちょっとだけ乾杯!
即席の立ち飲み居酒屋開店だ。

翌日は、O氏と合流するため、舞鶴の赤レンガ倉庫に向かう。

そして、全員で空母欲奈氏のハイエース一台に乗り込む。
まずは、昨年来訪時に、西日本豪雨の道路崩壊により行くことが出来なかった、槇山砲台へ向かう。
離合不可能な細い山道を登っていくと・・・。

やがて、霧の中に掩蔽部が見えてきた。

車を停め、いくつも並んだ掩蔽部を見に行ってみる。
階段があるので、登っていくと・・・。

どうやらグライダーの滑空場になっているようだが、視界が悪く何も見えない。
晴れた日なら、素晴らしい眺望を見ることが出来そうだ。

濡れた草木をかき分けて、掩蔽部の上部に立ち入ってみる。
砲座があるようだが、写真だといまいち良く分からない。

道路に戻り、今度は掩蔽部を見に行ってみる。
ここ槇山砲台は、掩蔽部の目の前まで車で行くことが出来るという、珍しい砲台だ。

途中の道は離合も出来ず険しいが、掩蔽部の内部から車が見えるというのが、なんとも変な感じだ。

槇山砲台を見た後は、この道を下る途中を分け入った、金岬砲台を見に行ってみることに。
車を広場に止め、当時の軍道を進む。

途中、倒木もあったが、道自体はきれいに残されている。

と、思ったのもつかの間、路盤がごっそりと抜け落ちている!!
落ちたら怪我じゃ済まなそうな足場に沿って、ロープにつかまりながら、ゆっくりと進む。

しばらく歩いていくと、掩蔽部が見えてきた。

掩蔽部に入り、天井を見上げると、通気口もしっかりと残されている。

この掩蔽部の奥にも、たくさんの掩蔽部が並んでいる。

一番手前から、中に入ってみる。
右手奥には、貫通部が。
おそらく、隣の掩蔽部とつながっているのだろう。

貫通部まで進み、奥を懐中電灯にて照らしてみる。
いくつもの掩蔽部を一貫してつないだ通路は、素晴らしい状態を保っている。
和歌山県にある、友ヶ島 第三砲台の掩蔽部が、これとよく似た作りだったが、状態はこちらのほうが良さそうだ。
これだけの遺構が、人知れず山中に放置されているのは、本当にもったいない。

訪れる者もほとんどいないせいか、内部も全く荒らされていなかった。

掩蔽部周辺には、井戸が残されていた。
今でも機能しているようで、水が溜まっている。

付近には濾過水槽もあった。
発掘したわけではないのだろうが、ずいぶん状態も良く残っている。

奥へと進んでいくと、今度は半地下式の弾薬庫が現れた。
階段には、大きな玉砂利がたくさん転がっている。

こんな山中にある石ではないので、おそらく川から運んできて、どこかに敷き詰めてあったのではないか。

半地下式の掩蔽部内部も、蔦に浸食されてはいたが、非常にきれいな状態だ。

先ほどの階段を登り、上部にある砲座を見に行ってみる。
砲座もきれいな状態だ。
奥に、伝声管が見えている。

掩蔽部の前を抜け、奥にある砲座も見に行ってみる。

こちらも、非常に丁寧な造りだ。
側面に構築された塀も、完璧に残っている。

一通り、周囲を探索したので、そろそろ車に戻ることに。

湿度の高い山道を、車を停めた広場までザクザクと歩いていく。

車で山を下りている途中に、石積みの橋が架かっていたので見に行ってみた。

もう少し天気が良ければ下まで降りて行けそうだったのだが、足場も悪く危険そうだったので、今回はここから見るだけにした。
この橋も、日本軍が架けたものなのかな。

時間も押してしまったため、ここで一度ホテルにチェックイン。
温度的な問題と、人数的な問題で、今回は車中泊はせず、ホテルを取ったのだ。
ホテルへのチェックイン後、廃墟ファンにも有名なロシア病院とその周辺遺構を見に行くことに・・・。
後編 に続きます。
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