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[戦跡] 舞鶴に明治時代の砲台を見に行ってみた ~後編  2019-07-30

この記事は、前編 からの続きです。

ホテルへのチェックインを済ませ、今度は舞鶴工業高等専門学校の近くの、通称、ロシア病院がある一角に向かうことに。


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ちなみに、ロシア病院という名前で心霊スポット扱いされているが、もちろんロシアとも病院とも全く関係が無く、戦後のうわさや風説によってそのように呼ばれているだけだ。
実際には、この一帯は、海軍の第三火薬廠があった場所なのだ。




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戦後、接収されていた時期もあるが、その後は現在に至るまで放置状態が続いているので、この一帯にはたくさんの遺構が遺されている。
側道からちょっと分け入ると、当時の海軍の消火栓が鎮座していた。




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消火栓の奥へと進んでいくと、当時の建屋が残されていた。
内部にも入れそうなので、近づいてみる。




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建物の内部はがらんとしていた。
崩壊は進んでいるようだが、今すぐに倒壊してしまうという感じでもない。




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市街地からのアクセスが簡単で、車ですぐ近くまで来ることが出来るので、内部のコンクリートには落書きも見受けられる。
コンクリートの痛みは思いのほか少なそうだ。




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どんどんと進んでいくと、奥にはまだまだたくさんの建屋が残っているようだ。




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本日は荒天のため足場も悪いので、この一帯は、もう少し涼しくなってから本格的に探索に来ることにし、建屋を後にした。




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少し車を走らせて、今度は油脂倉庫があるというので見に行ってみた。
草ぼうぼうの平地を歩いていくと・・・。




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奥に、巨大な倉庫が見えてきた。
この倉庫も海軍火薬廠の施設のようだ。




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倉庫に近づいてみる。
かなり重厚な扉だ。




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こんなすごい扉が当時のまま残されているなんて!!!




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と思ったが、裏側はベニヤで出来ている!?
どうやら、この倉庫、映画、『日本の一番長い日』の撮影で使用されたらしく、その時のセットの一部がそのまま残されているようだ。




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扉から内部へと入ってみる。
内部は前室があり、その向こうに巨大な倉庫があるようだ。
山をくりぬいて建設されているようで、内部はやけにひんやりとしている。
倉庫内に光は届かず、内部は真っ暗だ。




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懐中電灯で奥を照らしてみる。
コンクリートで周囲を固められた重厚な造りだ。




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天井には、当時の物だろうか、電灯が残されている。




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前室から倉庫の側面を見に行ってみると、やはり二重構造になっているようだ。
各地にある火薬庫と同様の作りで、防湿性を高めているのだろう。




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側面の隙間は人一人分くらいの幅があり、奥へと進めそうだったので、進んでみる。
足元には排水溝も切られており、非常に丁寧な造りとなっている。




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どんどんと奥へ進んでいくと、上部へと続くはしごが見えてきた。




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実際に登ることはしなかったが、天井部分も隙間がある二重構造となっているのだろう。




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どんつきまで来た。
そのまま左手に折れ同様の隙間を進んでいく。




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見上げると、天井付近に通気用の穴が開けられている。
先ほどの倉庫内の写真の奥に映っている通気口だろう。




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倉庫裏側の隙間空間は、ちょっとじめっとしている。
光は全く届かず、懐中電灯を消すと完全な闇だ。




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再度、左手に折れ、入り口方向に向かって戻り始める。




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ぐるっと周囲を回り、再び倉庫内を照らす。
奥に人がいるのが分かるだろうか。
かなり巨大な空間である。




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一通り内部を見て回ったので、倉庫を後にすることに。




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かなり頑丈なこの倉庫、人為的に壊すことをしなければ、まだまだ後世へ残りそうだ。




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時刻はもう7時近いが、もう少し周辺を回ってみることに。




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丘陵沿いの小径を進んでいくと、短いトンネルのようなものが見えてきた。




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火薬保管庫の周囲を土塁で囲ってあり、その出入りのためのトンネルのようだ。




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トンネル脇の小川には当時の消火栓が横たわっていた。
基礎の土砂が水流によって抉れ、そのまま倒れたようだ。




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海軍マークもしっかりと残った、かなり状態の良い消火栓だ。




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トンネルを抜け、奥へと進んでいく。
今いる場所が、火薬庫があった場所だ。




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奥へ進んでいくと、先ほどと同様のトンネルが。
この外側が、火薬庫の外側となるのだろう。




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何か建物が残っていないか、辺りを探索してみる。




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すると、谷戸の奥になにやら建物を発見!!




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米軍接収時の管理番号だろうか。
大きく411と書いてある。




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内部をのぞき込んでみる。
コンクリートで建てられた建物だが、内部には当時の木枠が残されているようだ。




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湿気も高く、足場も悪かったが、それなりに気候条件が良いのか、壁の板まで残っている。




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天井には、当時の物だろう、電灯がぶら下がっていた。




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床材はすっかり腐って無くなっているが、ここは爆薬庫だったようだ。




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街灯一つない小径を、懐中電灯の明かりを頼りに戻り始める。
時刻はもう8時になるところだ。




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ホテルに戻る途中、もう一つの倉庫があるというので立ち寄ってみる。




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柵の上からのぞき込んでみると、鉄扉は開きそうで中に入れそう!!
しかし、内側にチェーンが巻いてあるようで、ここから入ることは出来なかった。




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上を見上げると、大きなボルトが付きだしていた。
クレーンか何かを設置していた跡だろうか。

こちら側からはこれ以上どうしようもなさそうなので、反対側に回ってみることに。




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降りしきる雨の中、倉庫の反対側にやってきた。




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こちら側の入り口も、チェーンによりしっかりと封鎖されている。




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隙間から中を覗いてみると、内部はがらんとしている。
天井には蛍光灯も設置されている。
もしかしたら、現役で何かに使用されているのかもしれない。




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ちなみにこの倉庫の鉄扉は、軍が使用していた当時のままの扉のようだ。

時間も時間なので、そろそろホテルに戻り、明日に備えて乾杯をすることに。




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探索二日目の朝。
明け方まで降り続いた雨は上がっているようだ。




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コンビニで、昼食を買い込み、まずは吉坂 (きっさか) 砲台へと向かう。
吉坂砲台は、京都府と福井県の境界の福井県側にあるのだが、福井県がかなりのお金をかけて発掘、整備をしたのだ。




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吉坂砲台は昨年探索し、記事にもした ので、今回は省略するが、見どころたくさんの巨大砲台跡だ。




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きれいに発掘された砲座などは、本当に、一見の価値があると思う。




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吉坂砲台を一通り探索し、最後に、前回訪れた際は時間が無く行くことが出来なかった、吉坂付属保塁砲台跡を探しに行ってみる。




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GPSを頼りに、関西電力の鉄塔管理用の踏み跡を辿っていくと・・・。




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前方に立派な石組みを発見。




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そして、その先には付属堡塁の門柱が。




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門柱を抜けると、すぐに炊事場跡を発見。
良い感じに苔生して良い雰囲気だ。




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その先には、半地下式の掩蔽部が。




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階段を下りて掩蔽部の中を見に行ってみる。




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1つめの掩蔽部はごく普通の弾薬庫。
その向こうには、井戸があった。
横須賀の千代ヶ崎砲台にあるのと同じような作りだ。




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その向こうの掩蔽部は、浄化水槽になっていた。
本堡塁にも立派な井戸が構築されていたが、ここ、吉坂砲台は、水を大切にしていたのだろう。




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このように、掩蔽部の中に作られた浄化水槽は、かなり珍しいのではないかと思う。




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浄化水槽の隣の井戸を見に行ってみる。
どうやらこの足元のコンクリートの下が、空洞となっており、水が溜まっているようだ。




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懐中電灯で井戸の中を照らし、のぞき込んでみる。




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やはり、この下には大きな空間があるようだ。




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と言っても、降りる術も無いので、今度は周囲を見に行ってみる。




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ここも、福井県による発掘が行われているようだが、砲座の周辺になにやら溝が掘られている。




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平場には、兵舎の跡だろうか、基礎が残されていた。




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時刻はお昼を回り、そろそろ帰り支度をしなくてはならない。
背丈ほどの草むらをくぐり抜け、今来た道を戻り始める。




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本堡塁にはラブホテルの廃墟の裏から登ったが、下りは神社の辺りへと下りる事にした。
良い雰囲気の竹林をのんびりと下って行くと・・・。




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国道27号沿いにある、杉森神社に辿り着いた。




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ここ、杉森神社は、以前の探訪時に紹介した、陸軍省の石柱 だけでなく、天然記念物である、オオハツキイチョウなんかもあるようだ。




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しかし、時刻は 14時を回っているので、ガソリンを入れ、早々に帰り支度を始める。
高速を飛ばしても、横浜に着くのは 21時を回ってしまうだろう。




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と言うことで、今回の舞鶴遠征は、2日間で走行 1063Km。
現地ではほとんど空母氏のハイエースに同乗していたため、高速走行ばかりでした( *¯ ꒳¯*)

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