原発事故以来、長らく一般人の立ち入りが出来なかった区域が縮小され、誰でも入れるようになったというので、見に行ってみた。
これから徐々に復興が進んでいくと思うが、今回の訪問時は、規制が解除されてすぐということで、建物など、震災当時のまま残されている物もたくさんあった。
この記事は、見たままの記録をつらつらと書いているだけであるが、写真を見て不快に思われる方もいると思うので、
【注意】 被災写真が苦手な方は、 [ctrl] + [w] して下さい

ということで、金曜日の業務終了後、早速東北方面に向けて車を走らせる。
そして、福島県に入った辺りで車中泊。

翌朝、双葉町に向けて常磐自動車道を走っていく。
現在拡幅工事の真っ最中のようで、新しい橋やトンネルがたくさん作られている。

広野インターを下り走っていると、「道の駅 ならは」の看板が。
この道の駅は、長いこと双葉警察署の臨時庁舎として使用していたのだが、どうやら道の駅に戻ったようなので、ちょっと寄ってみる。

ここまで走ってくる際に取り付けていた、大画面の自作3連モニター。
画面は大きくてとても見やすいのだが、ダッシュボードの上の存在感が強すぎてちょっとかっこわるい・・・。
小型タイプと両方使ってみて、どちらを常用するか決めると以前の記事で書いていたが、視認性は落ちても、小さいタイプを使うことに決定!!

早速大きい3連モニターを取り外し、小さい物へ交換する。
と言っても、取付はダッシュボード上に両面テープで貼り付けているだけだし、結線は全てコネクターなので、交換はあっという間だ。

写真だと大きさの差があまり伝わらなそうだが、やはりダッシュボード上に設置するならこのサイズだな。

ちなみに、道の駅は一般開放されていたが、一部はまだ改装途中のようだった。

道の駅を後にし、国道6号を北上していく。
以前は2輪車は通り抜けることは出来なかったのだが、なんと自転車と歩行者以外は入れるようになっている。
次に来るときは、チョイノリを積んでこよう!!!

6号線を北上し、帰還困難区域へと入っていく。

この辺りの景色は以前と全く変わらない。

店内も、震災の日のままなのだろうか。

住宅地も相変わらず、フェンスで塞がれている。
しかし、以前に比べ、6号線の交通量が増えている気がする。
また、以前はびっくりするくらいたくさん見かけたパトカーも、今回は数台しか目にしなかった。

事故を起こした福島第一原発に近づいていく。
線量は 1.47μSV程度。
以前に比べると、若干は下がっているようだ。

と言っても、まだまだ高線量なので、この辺りが解放されるのは、もうしばらく後になるのだと思う。

そして、すき家を過ぎてちょっと進んだ所に・・・。

なんと、真新しい陸橋が作られていた。
方角的には内陸と海を結ぶ道路のようだが、帰還困難区域内にこのような建造物を新しく作っているとは思っていなかったので、ちょっとびっくり。

そのまま北上していくと、線量は更に上がっていく。
やはり、原発の北西が、高線量のようだ。

中がどうなっているのか、通る度に毎回気になっている、ケーズデンキ。

そして、被災したトヨタのディーラー。
去年来た時から、更に天井の崩落が進んでいるようだ

帰還困難区域を抜けて、横道に入ることが出来たので、市街地を見に行ってみることに。

初めて入った双葉駅周辺の市街地エリアだが、場所によっては重機が入り、被災した建物の取り壊しが行われているようだ。

車を止め、市街地を歩いてみる。
週末だからか、自分の他に人がいない。
ごくたまに車が通るが、歩いている人は皆無だ。
ここって、歩いてもいいんだよね!?

おお、良い感じの建物が。
蔵を改築したような店舗のようだが、石造りで素敵である。
これは、修復して後世に残して欲しいなあ・・・。

市街地を歩いてみると、思っていた以上に被害を受けた建物がそのまま残されていた。

道路だけはきれいに片付けられていたが、道路に面した建物は、震災時のままのようだ。

2階部分から潰れてしまっている建物もある。
もちろん自衛隊や消防・警察により、内部の確認作業は行われているのだろうが、ここだけを見ても、とても大変な作業だと思う。

ポストにビニールが巻かれていた。

老朽化により、撤去の対象となっているようだった。

しかし、自分以外誰もいないので、歩いていてちょっと怖くなる。

しかし、取り壊しが終わっている箇所も散見されるので、きっと平日は作業をしている人もいるのだろう。

誰もいない道を進んでいくと、お寺の門が大きく倒れ込んでいた。

お寺の敷地へと入っていく。
木々は荒れていたが、瓦礫は片付けられているようだ。

立派な釣り鐘が倒壊を免れていた。

奥へと進んでいくと、本堂が。
こちらも、しっかりと建っている。

しかし、本堂横には瓦礫の山が。

寺を出て歩いていると、除染した土を入れているのだろう、黒のフレコンバッグが集められていた。

電線は繋がっているようだが、あちこちで斜めになっている電柱が残されている。
下手に戻そうとするよりも、このままの方が安定するのかな。

強い揺れに耐えきれず、民家の壁もひび割れてしまっている。

震災以前の街の様子はどうだったのだろう。
現状から往時の姿を想像するのは難しい。

オリンピックの聖火ランナーがここを走るようだが、沿道に人は集まるのだろうか。

かなりの範囲が入れるようになったので、駅から離れた方まで行って見ることに。

と言っても、所々、通り抜け出来ない場所が残っているようだ。

この区域全体が立入禁止だった事もあり、至る所に震災時のままの建物が残されている。

双葉駅の東側は広範囲で立入禁止が解除されているが、西側に抜ける道は、まだ規制が続いていた。

一見のどかに見える道の脇にも・・・。

至る所に防犯カメラが設置されている。
以前の訪問時に双葉町付近を警らしているおまわりさんと話をしたが、立入禁止だった時期も含めて、相当な盗難被害があったのだという。

街中をゆっくりと走っていると・・・。

消防団の建物の時計が、震災の時間で止まっていた。
このあたりには津波は到達していないはずだが、シャッターが大きくめくれている。

消防団の建物の前には、無人となった昭和シェル石油のガソリンスタンドが。
しかも、給油ノズルは天井から吊り下げる、ノンスペース式。
昔、ノンスペース式のノズルがある昭和シェルのスタンドで働いていたこともあり、なんだかとても懐かしかった。

昭和シェルのマークはもうすぐ無くなって、出光の新マークに統一されてしまうが、このスタンドも復活したらシェルマークじゃ無くなっちゃうのかな。

スタンドの横にあるお店の前のポストも撤去予告が。
撤去の理由はやはり老朽化と言うことだ。

建物の入り口が大きく開いていたので、ちょっと覗き込んでみる。

覗き込むと、地震でぐちゃぐちゃになったのか、店内は酷い有様だ。
窃盗団にも荒らされているのかも知れない。

ガラスも大きく割れていたが、他の建物の損傷も激しかったし、これは地震で割れたのかな。

その後も町内をぐるぐると回ってみるが、ほとんど人がおらず、ちょっと怖くなってくる。

もう、十分に怪しいが、あまり住宅地をウロウロしていると本当に怪しいので、そろそろ撤収することに・・・。

その後、立入制限が解除され、通り抜けることが出来るようになった、国道459号で福島市内へと抜けることに。

と言っても、場所によっては帰還困難区域に指定されており、歩行者、自転車、二輪車の通行は禁止されている。

帰還困難区域なので、駐車を奨励しない立て看板もたくさん置かれていた。

浪江町から福島市までは 70Km程度。
信号はほとんど無く、離合可能な快適な道だ。

浪江町と福島市のちょうど中間辺りで小休止。
暮れかけた空がとってもきれいだ。
この場所も、帰還困難区域らしく、駐車可能スペースには注意看板が立っている。

と言っても、線量はかなり下がっているようだ。

福島市内が近づいてくると、線形改良の道路工事が至る所で行われていた。
次に来たときには、更に快適な道路になっているのだろう。

福島市内に入ったので、国道4号線を南下して進んで行く。

そして、郡山市に入る手前で給油。
ガソリンの警告灯が点いて、既に 50Km程走っていたので、ちょっとヒヤヒヤしていたのだが、まだ 15リットルくらいは残っていた。
ちなみに、横浜からの走行距離は 600Km程度だ。

連休なので、もう一泊してのんびり帰ることにしたので、郡山のドンキホーテに寄り道。

併設している温泉につかり、しばしの休憩を。

その後車中泊する場所を求め、栃木県の那須町にある、道の駅 東山道伊王野まで向かった。
後編の、足尾寄り道編に続きます。
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