観音崎第三砲台を後にし、今度は三軒家砲台へと向かっていく。
三軒家砲台も明治時代に構築された砲台であるが、観音崎第三砲台が関東大震災後に除籍されてしまったのに対し、三軒家砲台は復旧工事により修復され、昭和9年まで東京湾防衛の重要拠点として機能していた。

三軒家砲台に向かう途中に大きな公園があった。
ここにも砲台があったらしく、公園のあちこちに当時の遺構を見ることができた。
この写真に写っている掩蔽部は、下半分以上が盛り土により埋められてしまっていた。

こちらの構築物も土に埋もれてしまっている。

公園から坂道を下っていくと、三軒家砲台入り口の門柱があった。
以前訪れたときには門柱の脇に煉瓦の壁があったのだが、現在は危険防止のためか取り壊されてしまっており、門柱だけが残されていた。

砲台へ向かう道の脇には壕が掘られていた。
同じ作りの壕が並んでいることから、おそらくそれぞれが単独壕だと思われる。
入り口はコンクリートで塞がれており、取り付けられた扉にも鍵が取り付けられているため、内部がどうなっているのかは分からない。

三軒家砲台跡。
これと同様の砲台跡が4つ並んで構築されている。
当時ここには 27cmカノン砲4門が設置されていた。
また、この奥にも 12cm速射カノン砲2門が設置されていた。

砲座間の地下には弾薬庫と思われる掩蔽部が構築されていた。

地下入り口をのぞき込んでみると、土砂に埋もれた掩蔽部が見える。
階段があると思われる場所には、大量の腐葉土が堆積している。
入り口はしっかりとコンクリートにより固められているが、コンクリートに穴が開けられているのを発見してしまった。
中が見たい!!

足を進めると、柔らかい腐葉土ゆえ靴がどんどん沈み込んでいく。
なんかミミズがいそうだし、幼虫もいそうだし、ふかふかして気持ち悪いけど、気持ち悪いのさえ我慢すれば命に関わることは無さそうなので、気にせずどんどん下っていく。
なんとか最下部に辿り着いた。
靴の中に泥が入り込んでいるような気がするが、まあいい。
早速コンクリートに開けられた穴から中をのぞき込んでみるが、当然真っ暗で何も見えない。
カメラをマニュアルフォーカスにセットし、穴に腕を突っ込んでフラッシュ撮影してみる。

撮れた写真がこれ。
内部は2部屋に分かれていた。
おそらく奥が弾薬庫で、手前の部屋からは地上の砲台へ砲弾を上げる事が出来たのだろう。
この弾薬庫も観音崎第三砲台近くにあった弾薬庫と同様に、内部にはたくさんの焦げ跡があった。

先ほど降りてきたのと反対側の腐葉土をよじ登り、地上へと戻っていく。
もう、足泥だらけだわ…。

三軒家砲台のすぐ横に、『危険注意 近づかないで下さい』と書かれたパイロンが置いてあった。
近づかないで下さいという割りにはパイロンは1つだけで、特に道が閉鎖されているわけでもない。
ホントは近づいて欲しいんじゃないかと思われるくらい、やる気のない注意書きである。

先へと進んでいくと明らかに人工的に造られた深い掘り割りの道が続いている。
側壁にへばりついた木の根がラピュタを彷彿とさせる。
こんな景色、どこかで見たなと思ったら、東京湾にある無人島、猿島で見た景色と酷似している。
猿島も東京湾防衛の一端を担っていた要塞島で、島全体が要塞となっているのだ。

この通路を見学者が安全に通れるように整備したら、落石防止フェンスが設置されてしまうだろう。
そんな事になったら雰囲気が台無しになってしまうだろうから、だったら立入禁止のままでいいやと思う。
路面には崩落した石が多少あったものの、それほどの危険は感じなかったのだが、あくまで自己責任ですよ。

掘り割りを行き止まりまで進んで行くと2つの掩蔽壕が掘られていた。
どちらも完全に塞がれており内部は全く見ることが出来なかった。

しかし見事な掘り割りだ。

掘り割りをぐるっとまわって三軒家砲台跡に戻ってきた。
この写真は、12cm速射カノン砲が設置されていた場所の下部にある弾薬庫。
イギリス積みで美しく積み重ねられた煉瓦だが、一部色が違っている。
この場所は見学者もたくさん来る場所なので、修復されているのかも知れない。

入り口には当然鍵がかけられていたが、かんぬきが錆び付いているため鍵を開けても入るのは難しそうだ。

観音崎公園内にはまむしが生息しているらしく、まむし注意の看板を見かけた。
ただ、何をどう注意すればいいんだろう。
蛇よけの鈴でもつけて進入すればいいのか?

観音崎には他にもいくつかの砲台跡があるようだが、今回は観音崎第三砲台と三軒家砲台周辺を探索してきた。
公園として整備されてしまってはいるものの、案内板には書かれていないたくさんの遺構がまだまだたくさん残されていると思われる。
ちなみに、海岸沿いにもいろいろな遺構が残されているのだが、この写真の遺構は旧軍が構築したもので、弾薬を輸送船から荷揚げする際にロープを結びつけ係船するための物らしい。
他にも、潮の干満を調査する検潮所跡(他にも諸説あり)や、関東大震災で崩落したままの当時の灯台の残骸など、たくさんの遺構を見ることが出来る。
次回探索の際には、海沿いを廻ってみようと思っている。
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