同僚に渡す物があったので、ちょっと横須賀まで車で届け物に行ってきた。
そこでまさかの展開が!!

同僚との待ち合わせは、田浦のF号倉庫前だ。
車も駐めておけるし、同僚の家からも近いので、ここにしたのだ。

同僚を待っている間、スマホでF号倉庫の写真を撮ったりして時間を潰す。
蔦が絡まるこの時期の倉庫はいい雰囲気だ。
やがて同僚が来て、書類を手渡した。
用事が終わったので自宅に戻ろうとしていたその時・・・。

まさかの yakumo氏 登場!!
なんでも、別の用事でたまたま近くに行っていたという。
ま、自分も、この近くに来たときは、この道を通り、壕口の生存確認をしたりするし、この付近にはこの道しか存在しないので、あり得ない話では無いのだけれど。

そんなこんなで、yakumo氏 が最近発見した、自分の自宅近くにある地下壕に案内してもらえることになった。

場所は、横浜市栄区にある、笠間交差点近く。
環状4号線沿いの小高い丘にその地下壕はあった。
僅かな隙間から、体を滑り込ませる。
そこには、体を丸めてなんとか入り込める小さな空間があった。

そしてその先には、コンクリート巻きの壁が。
中央部分には銃眼がある。
方向は環状4号線方面を向いている。
第二次大戦時に進軍してきた米軍を迎え撃つために構築された狙撃口なのだろう。
銃眼に足を突っ込み、体をコンクリートの向こう側へと進ませる。

ズルズルと体を滑らせながら、なんとかコンクリートの向こう側に来た。

yakumo氏 も入ってくる。

今日はまさか地下壕に潜るとは思っていなかったので、おろしたての私服のツナギを着ていたのだが、早くもドロドロである。
しかもカメラも持ってきてないので、撮影は全てスマホでするしかない。
ま、そんなことは気にせず、まずは探索探索



銃眼が構築されたコンクリートのある砲室は3メートル四方ほど。
その奥には弾薬置きなのか、ちょっとした掘り込みがある。
その左手には坑道が見えている。

横浜の住宅地の真ん中にこんな遺構があることにちょっと興奮してきた(*´ω`*)
早速奥へと進んで行こう。

2度ほど折れ曲がり進んで行く。
若干の高低差もあり、テンションが上がる。

分岐が現れた。
まずは右手の坑道を進んでみることに。

壕床はちょっとガレているが、進むのに問題は無い。
奥へと進んでいくと・・・。

写真では分かりにくいが、結構な下り坂。
傾斜角度自体はたいしたことないが、粘土質の路盤がツルツルと滑り、危険この上ない。
いや、転んでも大けがするわけでは無いのだが、おろしたてのツナギが更に酷いことになるのは避けなければ・・・。

粘土質のツルツル路盤を過ぎ右カーブを折れると、その先にはまだまだ坑道が続いている。
更に、左手には分岐もあるようだ。

左手の分岐は後回しにして、まずは真っ直ぐに進んでいく。

ガレた空間に突き当たった。
右手の崩落の先にも空間がありそうだ。

瓦礫を乗り越えて進むと、また突き当たりが。

突き当たりの右手は爆風よけの掘り込みが。

そして、左手にはまた、銃眼が見えている。
壕に進入したのは環状4号線側の狙撃口だったが、この狙撃口はその反対側、神奈川県道203号を狙っているようだ。
どうやら、山の反対側付近まで来ているようだ。

同じ位置からの振り返り。
かなり大規模な天井の崩落があったことが分かる。

銃眼自体は完全に埋められていた。
向こう側も住宅街なので、当然だが。

銃眼は、段が付けられている。
進入した環状4号線側の銃眼と同じ作りだ。

狙撃口のコンクリートの近くには、外からロッドが打ち込まれていた。
銃眼付近を外から塞ぐ際の施工跡なのだろう。

コンクリートの周囲には、まるで丸太を押し当てたかのような、跡が。
支保工の跡なのか、こういう施工方法なのか分からないが、面白い作りだ。

ここから先へはどこにも行くことが出来ないので、今来た坑道を戻り始める。
しかしこの付近はガレがすごい。

先ほどの分岐の反対側には、同様の狙撃口が。

当然こちらもしっかりと塞がれている。

そして、頭上には先ほどと同様にロッドが突き出ている。
こちらの銃眼も隣の狙撃口と同時期に塞がれたのだろう。

ここにも、丸太を押し当てたような跡が。
なんなんだ、これは。

やはり、支保工が嵌まっていたのかな。

ということで、この陣地には3つの銃眼があることが分かった。

付近に落ちていたゴミから推測すると、昭和50年~60年くらいまでは壕口が開口しており、簡単に内部に入れたと思われる。

それでは続いて、先ほど通り過ぎた左手にあった分岐の先を見に行ってみることに。

先ほどとは逆から歩いているので、分岐を右手に曲がる。
あれ?行き止まりか!?

と思ったら、90度左手へと曲がっている。

その先には、更に右に曲がっている坑道が見えている。
うん、洞窟陣地っぽいぞ。

右手に折れた先には、土嚢が積まれていた。
恐らくここが本来の出入り口だったのだろう。

土嚢は天井付近までびっしりと積まれている。
懐中電灯を消してみたが、一筋の光も見えない。
もしかしたら土嚢の先は擁壁のコンクリートによって完全に法面になっているのかも知れない。

再び、進入した狙撃口に向かって戻り始める。
入り口付近にもうひとつ分岐があったはずだ。

入り口付近の分岐を入っていくと、更に右手に分岐が。
それほど面積がある壕では無いのだが、分岐が多く楽しめる壕だ。

分岐を右手に折れると、天井付近に碍子を発見。
どうやら電気も引かれていたようだ。
ちなみに碍子に刻印は無し。

そのまま進んで行くと、壕床に土砂の流入が。

そして、突き当たりを左手に折れると、ここも埋め戻しが。
先ほどと同様に隙間は全く無いようだが、天井付近に草の根が垂れていることから、土かぶりはとても薄そうだ。
外側からの場所が特定出来れば、貫通させることが出来るかも知れない。

分岐まで戻り、もう一本の坑道を進む。
こちらにも碍子が。
刻印も何も無かったが、当時の物であろう。

この坑道も最後は埋め戻し。
先ほどに比べ、坑道も狭い。
この坑道は、山頂への抜け穴だったのかも。

と言うことで、入り口付近の坑道まで戻ってきた。
往時には気がつかなかったが、随分と四角く掘ってある。

と言っても、壕内は全体的に崩落が多い。

ツルツルの上り坂も、なんとか転ばずに突破!!

もう一度あの狭い銃眼に体をねじ込まなくてはならないのが憂鬱だが、今のところ出入り出来るのはここしか無い。

背中もお腹もドロドロにし、脱出!
この写真だと山の中のようにも見えるが、振り返ると完全に住宅街。
この場所は自宅から5分程度。
出掛ける際には何度もこの前を車で通り過ぎているが、銃眼が3つも構築された陣地があるとは思っていなかった。
出入りの際にとにかく汚れるが、アクセス自体はかなり簡単なので、機会を見てまた行ってみよう (´∪`*)
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