
更に奥へと進んで行くと、木枠のようなものが朽ちて転がっていた。
この区域にも、木造の建築物がはめ込まれていたのだろうか。

そして、相変わらず、定期的に現れる貯水槽。

このとき、壕内の奥に、懐中電灯の光が!
現地に遅れて到着したあきひさ氏が、追いついてきたのだ。
と言っても、広い壕内をぐるぐると歩いて、やっと自分たちを見つけたという事だった。
ちなみに、地元民である彼がこの壕を発見し、情報をくれた張本人だ ('ω')
ということで、ここからは 3人で探索を進めていく。

壕内にたくさんある貯水槽だが、長さが違っていたり、幅が違っていたりと若干の違いがある。
しかし、形そのものが違う貯水槽は、この一つだけだった。
このような形にしたのには、何か意味があるのだろうか。

坑道の幅が広く掘削されており、壕床には木枠が残されている。
何となく、製品を並べておくプラットホームのようにも見える。

と言うのも、この付近には、明らかに大型機械を設置していたと思われる機械台座が残されていたのだ。
台座からは 20mm以上はありそうなボルトが飛び出している。

機械台座は一定の間隔をおいて、いくつも並んでいた。

坑道径も若干拡張されており、この区域は工場区だったのだろう。

機械の冷却にも使用していたのだろうか。
付近には、縦長の貯水槽が残されていた。

あきひさ氏が何かを発見していた。
何かの部品のパーツだろうか。

何かのケースの一部に見えるそのパーツには、MITATSUCHI RUBBER CO. の刻印が打たれている。
これは、東京の上野にあった、三田土ゴム製造の事だろう。
終戦間近に三田土ゴム製造を吸収合併した昭和ホールディングスの沿革ページには、三田土ゴム製造を、 『 創業明治19年 日本最古のゴム会社 』 と、記述している。
また、同ページには、『 旧相模海軍工廠の施設を利用し相模事業所としてゴム製品製造その他の操業開始 』とも書かれている。
この地下壕と直接の関連は無いと思うが、戦後も軍の施設を利用してゴムの製造をしていたようだ。

工場区域を越え、奥へと進んで行くと、太い主坑道から上り坂の細い横坑が伸びていた。
まるで洞窟陣地の坑道のようだ。

上り坂の途中に、弾薬庫のような掘り込みが。
上部には支保工もそのまま残されている。

掘り込みの中に入り込み、そこから坑道方面を撮影。
急な上り坂になっているのが分かるだろうか。

細い坑道をどんどんと登っていく。
壁には碍子が残されている。

登りながらも、微妙にうねっている坑道が続く。

やがて、閉塞点が見えてきた。
掘りかけのようだが、銃眼らしきものも見えてきた。

近づいてみると、やはり銃眼だ。
貫通はしていないが、この向こう側は山肌に面しているのだろう。

主坑道まで下り進んで行くと、変な分岐を発見。
なにやら左手に細い坑道が伸びている。

早速その坑道を進んで行く。

作りからして、ここも洞窟陣地の役割を持たせていたようだ。

最後は掘りかけの閉塞で終了していたが、この先にも銃眼を構築する予定だったのだろう。

今度は、黄金色に輝く、まるで鍾乳洞のような坑道が現れた。
ここにも奥に向かっていくつもの碍子が残されている。

水分を多く含む地層のようで、壁面には鍾乳石が育っている。

奥へと進んで行くと、閉塞点付近の天井に E26規格の電球ソケットが残されていた。

閉塞点から主坑道へと戻り、更に進んで行く。

また、支保工が残っている。
片側の足は腐って倒れているが、微妙な具合にはまり込んでいた。

次々に現れる枝坑を調べながら進んで行くので、方向感覚が分からなくなってくる。
まだ、先があるようだ。

場所によっては、相変わらず崩落がすごい。

また、広い坑道が出てきた。

壕床にはコンクリートの機械台座のようなものが並んでいる。
この辺りも、工場区域だったのだろうか。

木片に混じって、当時のインクビンなどの遺物が埋もれていた。

なかなかいい感じの分岐だ。
こうやって見ると、案外丁寧に掘削されている。

進んで行くと、上部へ向かう怪しい坑道を発見!!
早速行ってみよう。

狭く急な上り坂を登っていく。
こんな坑道にも碍子が残されている。
当時は電線が張り巡らされており、案外内部は明るかったのかもしれない。

何となくそんな予感がしたが、その先は掘りかけにより閉塞していた。

しかし、付近の坑道を探索していると、頑丈な造りの巨大な銃眼を発見。
この壕は、規模も大きいが、用途もいろいろとバラエティーに富んでいる。

銃眼には大量のがれきが押し込まれている。
埋め戻しなのか、崩落なのか分からないが、ものすごい圧力がかかっていそうだ。

潜り始めて既に 3時間近く経っている。
こんなに大きい壕は、本当に久しぶりだ。

昭和前期の物だろうか。
良い感じの瓶が落ちていた。

瓶が落ちていた近くの壕床には、何やら掘り込みが。
排水溝とも違いそうだし、何かの土台が埋まっていたのかな。

たくさんの部屋が並んでいるような広い空間が。
その一つに入ってみると・・・。

奥の方に、まるで銃眼のような穴が開いている。

近づいてみると、向こう側の空間が見えている。
ただ穴が開いてしまっただけなのかな。

反対側に回ってみると、こんな感じ。
抜け穴の大きさでは無いし、なんだろう。

ここも、埋まってしまっているが、銃眼だろう。
この壕にはこのように、狙撃口がいくつも見られた。

洞窟陣地のような坑道をまた見つけたので、奥へと進んでみる。

ここもまた、奥に向かって碍子が並んでいる。

奥の方に、コンクリートの構築物が見えてきた。

わお、またでた、巨大なコンクリート製銃眼!!

外から埋め戻されているのか、こちらの銃眼にも瓦礫が詰まっている。

yakumo氏が、なんとか奥へ行けないか頭を突っ込んでいる。
いやいや、無理でしょ。笑

役目は終えているが、ここにも支保工が残っていた。

と言うことで、3時間以上の時間をかけて回ってきたが、全ての坑道を回れたのかは、まだ、良く分からない。
ここは是非とも、祐実総軍三等兵氏にも入壕して頂き、壕内調査能力を発揮して頂きたい!
というか、ここは、是非ともマッピングしていきたいと思っている。
何といっても、壕内の構造がとても興味深いのだ。

朝から潜り続けているので、とりあえず本日は撤収する事に。

草木をかき分けながら、下界へと戻っていく。
心配していた雨も止んでいた。

本日はここまでとしたが、壕内へのアクセス自体は非常に容易なので、ここには今後定期的に通いたいと思っている。
まだまだ新発見もありそうだし、遺物の発掘なんかもしていきたい。
また、進展があれば、続編に続きます!!
※ ちなみにこの地下壕は長瀬洞窟陣地と言う名称のようです
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