
翌朝、新潟県の道の駅朝日を出て、一路、阿賀町に向け車を走らせる。
目的は、阿賀町にある持倉鉱山跡だ。
以前から一度この目で石造りの遺構を見たいと思っていたが、なかなか行く機会を持てずにいた。
しかし、以前より拝読しているサイト、『秘境捕獲物語』の記事 を見て、一気に訪問欲が上がっていたのだ。

本来なら五十島駅から一本道で鉱山に向かう林道の入り口付近まで行けるようなのだが、新発田市から新潟県道14号線を下り、山越えしてきたこともあり、その流れで新潟県道17号線から現地へと向かうことに。

県道17号線に入ると、極端に道幅が狭くなった。
離合出来る箇所もほとんどない。
対向車来たら、嫌だなあ・・・。

対向車に出会うこと無く進んで行くと、やがて五十母川を渡る橋に辿り着いた。
ここは丁字路になっており、この写真の右手に折れると五十島駅方面だ。
いや、そんな事より通行止めの看板が気になるぞ!!

とりあえず、車はこれ以上行けないようなのでこの先は自転車に乗り換えて進むことにする。
幸いこの場所はかなり広くなっており、車を駐めておいても邪魔にはならなそうだ。
水と食料、そして探索用具をまとめて自転車で通行止めの先へと進んでいく。

通行止めの原因はすぐに現れた。
五十母川の増水により、橋の脇の土砂が流出したようで、路盤に大きな穴が開いている。
復旧は難しくは無さそうなので、今回たまたま通行止めなのだろう。

ちなみに、サクサクと鉱山に向かっているように見えるが、実は一度道を間違えているのだ。
いや、道を間違えていると言うよりも、国土地理院の地形図が間違っていたので、それを信じて進んだら、川に当たって行き止まりになってしまったのだ。
ハイエースを止めたのが赤丸の場所。
今いる、道路の崩落地点が青い丸の場所。
そして、持倉鉱山は、右下の矢印の道へと進まなくてはならないのだ。

Googleの航空写真で見ると、間違いは明白だ。
最初、地形図を信じて青い道を進んだら、あっという間に行き止まりだったのだ。
以前は地形図通りに橋があったのかも知れないが、かなり昔に無くなっているような感じだった。

と言うことで、上の航空写真の一つ目の矢印までやってきた。
丁寧に、持倉方面を示す看板が立てられている。
地形図を見ると、目的の持倉鉱山跡まではおよそ 2.5Kmの行程だ。

この時点ではまだ路面は舗装されており、ハイエースでも十分来れそうな感じだ。
下に置いてきたのが悔やまれるな・・・。

と思ったのもつかの間、あっという間に路盤はダートに変化した。

なんとか自転車を漕ぎながら、なだらかな坂道を登っていく。
この日の気温は24度程度と涼しかったのだが、もう既に汗が噴き出している。

五十母川を渡り、森の中の道を進んでいくと、前方から凄い勢いで釣り人が走ってくる。
一瞬、通行止めを入ってきたことを咎められるのかと思い身構えていたら、釣り人は 『熊だ熊が出た!! 伏せて!! 』 と伝えてきた。
二人してその場にしゃがみ、しばらく辺りを警戒する。
自分は熊鈴をぶら下げて、スマホでラジオの録音を流していたのだが、『親子連れの熊だから、気付かれたら危ない! ラジオ消して!!』 と言われ、慌てて音を消した。
身をかがめて辺りを伺う。
木々の間を走る小熊とそれを追うように走る大きな熊を見たときは、正直怖かった。
釣り人は、大きな熊撃退スプレーを持っており、それを構えたまま、周囲を見に行ってくれた。

もう、この先に行くのは怖くなっていたのだが、釣り人の、ここで熊を見たのは初めてという言葉に自分を納得させ、とりあえず林道を進んで行く。
ラジオを流すのは、なんとなく怖くなったので、熊鈴をチリンチリンと盛大に鳴らしながら進んで行った。

以前は4駆であればここまで登ってこられたようだが、道はかなり荒れており、4輪でももう無理な感じに見えた。
自転車に跨がれるような道では無くなっているので、自転車を押し進んで行く。

やがて林道の終点に辿り着いた。
目の前には熊注意の看板が。
その下には、持倉鉱山方面を示す案内板が。

この先も、以前は自動車が走れた道だと言うが、果たしてその痕跡はあるのだろうか。
目の前には薮が立ちはだかる。

しかし、持倉鉱山跡への訪問者が思いのほか多いせいか、薮の中にも道筋が見える。

慣れた人なら、道筋をトレース出来るくらいの痕跡が薮の奥へと続いているので、躊躇無く突入!!
ざっくざっくと薮を漕ぎながら進んで行く。

途中、小さな沢があるが、対岸にも道が続いているので、そのまま進んで行く。

やがて、2m程度の段差がある沢に辿り着いた。
そのまま下りるのは難しく思えたが、道が切れた所に単管パイプで梯子が作られており、それに捕まって沢まで下りる。

沢の対岸をよじ登り、踏み跡を進んで行くとやがて巨大な砂防ダムに辿り着いた。
柵の下に設置された銘板には、平成11年の文字が。

ほんの 20年位前は、この場所まで重機を運べたと言うことか・・・。

突然頭上でガサッという大きな音が。
びっくりして見上げると、大きな猿だった。
熊じゃ無くて、本当に良かった・・・。

この砂防ダムまで辿り着ければ、持倉鉱山まではあと 350m程度のはずだ。
あと、もう少しだ!!
はっきりと現れた踏み跡を早足で進んで行く。

しかし、もう少しで辿り着くというのに、道がどんどん荒れてきた。
というか、道自体が水流に削られて無くなっているのかも。

斜面ぎりぎりを、草木に捕まりながら慎重に進んで行く。
ウェーダーを履いて来ているなら五十母川に下りてしまった方が楽だったなあ・・・。
などと思いながら進んでいたのだが、やがて路盤がごっそり落ちてこれ以上進めなくなってしまった。

しかし、その場所には先駆者が設置したトラロープが残されていたので、ありがたく使用させてもらう。

五十母川の水量が少なかった事もあり、足を濡らすこと無く川上へと進んで行く。
すると突然、目の前の2本の木の間に石造りの建物が見えてきた。

キターー(゚∀゚)ーーッ!!

川岸の薮に体を突入させる。

かなり薮が深く方向が良く分からない。
ん?
どっちだ!?
あ、見えた!!あっちだ!!

建物に向かって闇雲に薮をかき分け進んで行くと、やがて開けた平場に辿り着いた。

熊に出会わなければ、もう少し早く到着していたかも知れないが、車を置いてから、ちょうど 1時間程度で、念願の持倉鉱山跡に到着だ。

この遺構は、大正2年に建てられた鉱山事務所跡と言うことだが、100年を経てなお、大きな崩落も無くその姿を保っている。

木造で作られていたであろう屋根部分はすっかり無くなってしまっているが、それがまた独特の雰囲気を醸し出している。

足下にも煉瓦が敷き詰められているものの、この時期は草木の侵食が凄い。
奥の方に行くにつれ、草木に行く手を阻まれる。

どの角度の写真も絵になるので、いろんな場所から写真を撮りまくった。

自分は探索に一眼レフを持ち込むことは無いのだが、ここなら、持ってきてもいいかなと思ってしまった。
今回は、いつもの LUMIX LX9しか持ってこなかったが、次回の訪問時は一眼レフ持ってこよう(*´ω`*)

ちなみに、この周辺は車を駐めた付近も含めて携帯電話は全く繋がらないので、位置確認には、GPSレシーバーを持ってきた。
携帯電話に地図をキャッシュしておけば問題無さそうだし、ずっと川沿いの道なので迷うことはないと思うが、念のためである。

足下に敷き詰められた煉瓦と一緒に記念撮影を。 ←

もっとゆっくりしていたかったのだが、今夜には横浜に戻らなければならない。
と言うか、それなら青森を経由するなと言う話なのだが、その時はここに寄るとは思っていなかったのだ。

ここの対岸にも、巨大な精錬場跡の遺構が見えている。
でも、今回は対岸はお預けだ。 ← 渡河で足を濡らしたくなかった (^^;
踏み跡もしっかりしているし、熊の件を除けば、安全に辿り着けることが分かったので、ウェーダーを準備して、次回、再挑戦だ。

と言うことで、来た道を戻ることに。

最後のこの部分は、本当に道が分からない。
まあ、川に沿って進んで行けば、なんとかなるでしょ。

帰り道は一度通った道なので、根拠は皆無だがなんだか安心だ。
どんどんと進んで行く。
あっという間に、沢の梯子の所まで戻ってきた。

そして薮区間を抜けて・・・。

林道終点地点に!!
うん、楽しかった!

ガタガタ道を自転車を押して進み・・・。

自転車に跨がれるようになったら、一気に下って行く。
帰りはずっと下り坂だったこともあり、30分程度で車まで戻ってきた。

車に戻り荷物を降ろす。
腰にぶら下げていたポーチにはたくさんのひっつき虫が(*´꒳`*)

気温は26度を超えていたが、着替えて汗が引くと、ちょうど良い位の気持ちよさだ。

さーて。
帰りは全線高速乗って、ちゃっちゃと帰っちゃおう(*´ω`*)

と、磐越道に向け車を走らせ、高速道路に乗ることにしたのだが・・・。

群馬県に近づく頃から事故渋滞のオンパレード。
世間は4連休か。
そりゃ、東京向けは混むわなあ。

渋滞地点に近づいてきたので、ちょっと時間調整しようと赤城高原PAで仮眠。
しかし、1時間程度時間を置いたが、事故渋滞の距離は全く縮まっていない。

渋滞に巻かれてノロノロ走るくらいなら山越えしてスイスイ走った方が 100倍楽しい!!
と言うことで、高崎から国道254号を経て、国道407号へ。
その後、国道16号から国道129号へ入り、横浜まで戻ってきた。

今回、土曜日の夜横浜を出発して、東北地方をぐるっと周り、月曜日の深夜に横浜に到着。
総走行距離は、1682Km、燃費は 12.4Km/L でした。
内、高速道路の走行が土曜日夜の首都高や、無料区間を入れると 723Km。
日曜日も月曜日も12時間以上運転してたけど、まだまだ運転大丈夫な感じでした。
ハイエースの現在の走行距離は 26万5千キロ。
来年7月の車検までに、30万キロ行きたかったけど、週末だけの走行じゃ、ちょっと難しいかな (^^;
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