昭和50年に廃止となったその駅に、列車が放置されているというので、早速見に行ってみた。

金曜日の業務終了後、準備をし、横浜を出発。
首都高から常磐道を走り、関本PAにて車中泊。

翌日、福島市内で高速を降り、国道13号から月山道路を経由して鶴岡市に向かう。

この日は大雪の予報が出ており、段々と天候が怪しくなってきた。

写真だとあまり伝わらないが、すごい風が吹いている。

やっと山形県に入ったので、ちょっと小休止して、車内にてカップラーメンを食べた。

今回は、というか、いつもこんな感じではあるが、基本的に食べてる時と寝てるとき以外はずっと運転し続けるスタイルだ。

と言うことで、一気に鶴岡市まで走ることに。
それにしても、圧雪路面は楽しすぎる!
アクセルに対するこのリアの動きは、FR車でないと絶対に味わえない楽しさだ。
パワーが無い車でも、低速域でコントロールを楽しめるのは雪道ならではだ。

夕方5時過ぎに、やっと現地に到着。
福島県から山に入った後は路面がずっと圧雪だったため、それなりにしかスピードが出せず、こんな時間になってしまった。

スウェットにパーカーと言う、寝巻き同然の格好でここまで来たので、探索着に着替え、雪靴を履き、探索の準備をする。
でも、探索範囲も狭いはずだし、準備と言っても懐中電灯くらいかな。

鉄道ファンが訪れているのか、雪の上には足跡が残されている。
とりあえず、その足跡を辿ってみる。

足跡を辿っていくと、すぐに駅舎が現れた。
有形文化財として登録されているかは分からないが、ずいぶんと重厚で立派な駅舎だ。
駅舎の奥にはホームらしきものが見えている。
駅舎の脇をすり抜け、ホームへと向かう。

真っ暗な中を進んでいくと、ホームには列車が鎮座していた。

ライトを強力なものに切り替え、全景を撮影してみる。
ホームに設置された木造の屋根がいい味を出している。

ん!?
列車の中に誰かいる!?
暗闇の中の突然の登場にびっくりしたが、どうやらこれは、ここが善宝寺鉄道記念館という施設だった時に設置されたマネキンのようだ。
そして、窓の前には朽ちてぶら下がったヘッドライト(テールライト)が・・・。

列車の側面に行ってみる。
ガラスも割れておらず状態は良い。
記念館閉鎖後、20年以上放置されているとは思えない。
中央に何か、エンブレムみたいなものが付いている。

エンブレムは庄内交通のマークだろうか。
その下には、『モハ3』の文字が。

列車前方に移動してみる。
列車前面には向かい側のホームへ渡る階段が設置されていた。
これは、ここが鉄道記念館だった時代の遺構だろう。

線路を横切り、向かいのホームにやってきた。
ホーム上には、待合室だろうか。
木造の小屋が建てられている。
こちらも全く荒らされておらず、非常に良い状態だ。

列車に戻り、今度は列車の内部を照らして撮影してみる。
木製の窓枠だが、つり革はプラスチック製のようだ。
網棚は、本当に網で作られている。

列車の後部ドア付近から内部を除くと、先ほどのマネキンが車内を見つめている。

一通り列車周辺を見て回ったので、ホームの端へ行ってみた。
ホーム上には木が成長しているが、生えている場所から見ると、これって、植樹したのかな?

と言う訳で、滞在時間 1時間。
十分に満足したのでこのまま横浜へ戻ることにする。
明日日曜日も仕事は休みなのだが、今からかなりの雪が降ると言う予報が出ているのだ。

駅跡のすぐ横にあった素敵な建物。
古い建物なのだろうが、とてもきれいに使用されているようだ。

そして、駅舎の前には立派な噴水が。
夏場は水を湛えているのだろうか。
この駅が現役だった頃の風景が偲ばれる。

車に戻り、帰る準備をする。
帰りは国道7号を南下し、国道8号線へ出て、新潟県から国道17号を走り、都内に入るつもりだ。

そう。
今夜中に新潟県に入り、適当に車中泊して日曜日の昼には横浜に戻るつもりだった。
この時は・・・。
そう、この時は・・・・・・。
と言う訳で、後編に続きます。
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