
今回の参加者は、Twitter を通じて知り合った初顔合わせの すまる氏、そしていつもの 祐実総軍三等兵氏、空母欲奈氏である。
土曜日の夕刻、伊東にある、ホテル大東館 へと車を走らせる。

ホテルにてメンバーと待ち合わせ、早速チェックイン。

チェックイン後は、部屋でのんびりとする訳もなく、まずは防空壕を見に行ってみる。
なんといっても、今回ここに宿泊する目的は、この防空壕なのだ。

防空壕入口の扉を開けると、いきなりの壕内だ。
ちなみにホテル内に防空壕があるといっても、本当にホテルの建物内にあるわけじゃなく、山肌に建てられたホテルの裏山に防空壕があり、お風呂場に向かう際にその坑道を通り、お風呂に行けるようになっているのだ。

ネット上にはこの地下壕に言及しているページは少なく、事前情報は防空壕があるということだけだった。
しかし、実際に壕内へ入ってみると、なんと、部屋状の空間に続く横坑や分岐があるではないか。
予想外の展開に、思わずスリッパのまま横坑をのぞき込む祐実総軍三等兵氏 ( *´艸`)

ワクワクが止まらないが、今回の宿泊には夕食がつかないため、近くにある海鮮居酒屋へ食事に行くことに。
まずは腹ごしらえが必要だ。

おつくりを肴に、金目鯛の煮つけをつつきながら日本酒を堪能。
2時間ほどですっかり上機嫌になりホテルへと戻る。

そして、今度は懐中電灯などの装備をし、再び防空壕へと向かった。
今度はじっくりと壕内を見て回る。
壕内に入ると、右手にいきなり塞がれた跡が。
隙間を覗いたが、土砂が詰め込まれており、奥がどうなっているのか分からない。

この横穴も、数メートル奥まで続いていたが、奥は閉塞。

この写真を見ると分かりやすいが、壕床と横坑の高さがずれている。
これは、お風呂の位置とホテル館内の高低差を吸収するために、後年に掘り下げたのだろう。
この壕の現役当時は、この横坑の高さに壕床があったと思われる。

部屋状とはいえ、まさか横坑があるとは思っていなかったので、思いのほか壕内を楽しめる。
みんな大興奮だ。

崩落もほとんどなく、岩盤も安定しているようだ。
壕内に換気設備は見当たらなかったが湿度も低く、壕内特有のじめじめした感じは全くしない。

先ほどまで酔いも回って上機嫌だった祐実総軍三等兵氏も、真剣な面持ちで壕内を歩測し内部図を作成している。

総軍氏の内部図を航空写真に合わせてみるとおおよそこんな感じ。
ホテル一階から高さを変えずに壕内に進入し、お風呂のある館内へと掘り下げ分だけ上っているイメージだ。
写真左手の建物がホテル大東館。
写真上部の緑色部分が、ホテルの五右衛門風呂だ。

ホテルの立地がこの斜面に埋まるように建てられているので、ホテル裏は地面に埋まっており、そのまま地下壕に接続しているのだ。

壕の総延長は 100m無いくらいだと思われるが、見どころもそれなりにあるので、興味のある方は是非とも訪れて見て欲しいと思う。

通路から伸びていたこの坑道は、 20m程度で低くなり最後は埋まっていたが、途中に横坑は無く、土被りも深い場所に続いているので、隣接した壕との接続部だったのかもしれない。

ちなみに壕内をぐるっと回ると貸し切り五右衛門風呂や、大浴場が。
地下壕だけではなく、お風呂もお湯も最高♨♨!!

五右衛門風呂の脱衣所のドアを開けると館内通路。
そして、その向こう側は地下壕に続いているという、最高のロケーションでした (^^)/

壕内の説明版によると、コンクリートで固められた部屋もあったようだし、この部分は入口付近の一部と言うことなので、この周囲にも、まだまだ地下壕が人知れず眠っているはずだ。

ホテル裏手を覗いてみると、何となく怪しい箇所も・・・。
これはまた機会を見て再訪せねば!!!

チェックアウトを済ませ、伊東での探索はひとまず先送り。
今度は富士宮市に移動することに。
そこには、陸軍少年戦車兵学校の遺構が多数遺されているという。
距離はここからおよそ 80Km。
祐実総軍三等兵氏が見学のアポを取ってくれたという、大変に貴重な遺構も見られるということで期待も膨らむ!!
次回、陸軍少年戦車兵学校の遺構を見に行ってみた に続きます!
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